石川県北部にある市。1958年(昭和33)市制施行。能登(のと)半島の基部、邑知潟(おうちがた)地溝帯の西端にあり、西は日本海に面し、東は富山県に接する。丘陵地、砂丘地、邑知潟低地よりなる。JR七尾線(ななおせん)、国道159号、249号、415号、のと里山海道が通じる交通の要地。古代は羽咋君(はくいのきみ)(羽咋国造(くにのみやつこ))や能登一宮(いちのみや)の気多(けた)神社が栄え、中世は妙成寺(みょうじょうじ)、永光寺(ようこうじ)などの名刹(めいさつ)が建立された。近世、邑知潟埋立てを計画したが実現せず、1968年に全面干拓された。米、スイカ、野菜などを産する。明治期から製糸、羽二重(はぶたえ)製造が行われ、現在も合繊織物工業が盛んである。近年、電子部品工業、金属機械工業も発展してきた。能登観光の基地であり、日本海沿岸は能登半島国定公園域で、千里浜(ちりはま)は遠浅海岸で海水浴場に適し、国民休暇村があり、また、「千里浜なぎさドライブウェイ」としても知られる。気多神社本殿、妙成寺本堂など国指定重要文化財も多い。国指定史跡に吉崎・次場(すば)遺跡、寺家遺跡、国指定天然記念物に気多神社社叢(しゃそう)がある。面積81.85平方キロメートル、人口2万0407(2020)。
[矢ヶ崎孝雄]
『『羽咋市史』全4冊(1972~1975・羽咋市)』
石川県中部の市。1958年市制。人口2万3032(2010)。能登半島の基部西側に位置し,かつて邑知(おうち)潟があった平野と東部の宝達(ほうだつ)丘陵にまたがる。日本海に臨む砂丘に発達する市街地一帯には,吹場(すば)遺跡など弥生時代の集落遺跡や柴垣古墳群などが点在している。また能登国一宮の気多(けた)神社や羽咋国造(くにのみやつこ)の祖神をまつる羽咋神社が鎮座するなど,古くから能登地方の文化の中心地であった。中世には北陸地方における各派仏教が布教の拠点とし,また江戸時代には能登外浦街道と内浦街道の分岐する宿場町としても栄えた。明治中期以降,輸出羽二重などの繊維工業が導入されて口能登の工業中心地となり,第2次大戦後は金属工業が誘致され,近年は鋳物団地が造成された。瓦を主とする窯業や伝統の能登上布の家内工業も行われる。邑知潟干拓地では米作が盛んである。JR七尾線,国道159号,249号線が通じ,金沢市への通勤者が多い。海水浴場の柴垣海岸があり,千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェーが通じる。気多神社社叢は天然記念物。
執筆者:斎藤 晃吉
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