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妙成寺(読み)ミョウジョウジ

百科事典マイペディアの解説

妙成寺【みょうじょうじ】

石川県羽咋(はくい)市にある日蓮宗の寺。滝谷(たきだに)寺・滝谷法華堂とも。1294年佐渡(さど)国から上洛途上の日像(にちぞう)(開山)が弟子日乗(にちじょう)の縁戚の柴原(しばはら)氏の外護で創建,能登一宮(気多神社)の社僧であった日乗を2世とする。文禄(ぶんろく)年間(1592年―1596年)建立の庫裏,1614年―1670年に建立された本堂・三十番神堂・五重塔などの諸堂や,山水蒔絵料紙筥・山水蒔絵机は重要文化財。

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デジタル大辞泉プラスの解説

妙成寺(みょうしょうじ)

石川県羽咋市にある寺院。日蓮宗。山号は金栄山。1294年開創。江戸時代には加賀藩前田家からの加護を得て発展。五重塔(国重文)などは、3代藩主利光の母・寿福院の発願で建立されたもの。

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世界大百科事典 第2版の解説

みょうじょうじ【妙成寺】

石川県羽咋(はくい)市にある日蓮宗の寺。金栄山と号する。鎌倉時代末期の日像の教化をうけた日乗の建立と伝える。中世北陸日蓮宗の拠点の一つであったが,17世紀に加賀藩主前田利常以来前田家の支援によって,妙成寺は大きく発展した。現在重要文化財の堂塔伽藍が17世紀初頭から1670年代にかけて造立されたばかりでなく,利常は妙成寺を加賀・能登・越中3ヵ国の総録所とした。このころ妙成寺の末寺は27ヵ寺であったが,17世紀後半には3ヵ国日蓮宗寺院100余ヵ寺が触下(ふれした)として妙成寺の下にくみこまれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

妙成寺
みょうじょうじ

石川県羽咋(はくい)市滝谷町にある日蓮(にちれん)宗の北陸における本山。金栄山(きんえいざん)と号する。本尊は宗祖奠定(てんてい)の大曼荼羅(だいまんだら)。江戸時代に制作された折伏(しゃくぶく)像がある。1294年(永仁2)の創立。佐渡から京へ向かう日像(にちぞう)が石動山天平寺(てんぴょうじ)座主(ざす)満蔵を教化(きょうげ)した。満蔵は日乗(にちじょう)と改め、柴原(しばはら)氏の助力で能登(のと)で最古の日蓮宗寺院を創建した。その後、加賀藩主前田氏の保護を受け、なかでも3代藩主前田利常(としつね)の生母寿福院(じゅふくいん)の帰依(きえ)により、その菩提寺(ぼだいじ)として整備された。創建以来一度も大災にあわず、本堂(入母屋造(いりもやづくり))、仁王門、鐘楼、書院、三十番神堂、経堂、五重塔、祖師堂、三光堂、庫裡(くり)などが山水蒔絵(まきえ)机、山水蒔絵料紙筥(ばこ)とともに国重要文化財に指定されている。7月26、27日に日乗の功をたたえる忌講大会を行う。[田村晃祐]

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世界大百科事典内の妙成寺の言及

【土田氏】より

…また戦国末期の1573年(天正1)にも,大名畠山義慶(七尾城主)の家臣として〈土田殿〉の存在が知られる。羽咋郡館(たち)村(中世の土田荘域)の地名は,土田民部正の館に由来するものとされ,土田荘に隣接する羽咋郡甘田保の滝谷妙成寺(能登法華教団の中心寺院。羽咋市滝谷町所在)の開基館中将監(たちなかしようげん)(柴原氏)は,土田弾正忠広の代官(被官)であったとも伝えられている。…

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