外浦街道沿いの台地上に所在。金栄山と号し、日蓮宗。本尊妙法首題宝塔・釈迦如来・多宝如来。
日乗が日像から授与された曼荼羅本尊(京都泉涌寺蔵)に「能州一宮住僧沙門日乗」「付弟沙門妙成阿闍梨日乗」とみえ、日乗は能登一宮(気多社)社僧でもあった。当寺には暦応元年(一三三八)一二月二九日に授与された曼荼羅本尊があり、当寺を拠点として日乗の布教活動が本格化したのは一四世紀前半頃とみられる。日乗は康暦二年(一三八〇)一一〇歳で没したとされ(妙成寺過去帳)、開山堂内に同年六月二七日銘の日乗笠塔婆がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県羽咋(はくい)市にある日蓮宗の寺。金栄山と号する。鎌倉時代末期の日像の教化をうけた日乗の建立と伝える。中世北陸日蓮宗の拠点の一つであったが,17世紀に加賀藩主前田利常以来前田家の支援によって,妙成寺は大きく発展した。現在重要文化財の堂塔伽藍が17世紀初頭から1670年代にかけて造立されたばかりでなく,利常は妙成寺を加賀・能登・越中3ヵ国の総録所とした。このころ妙成寺の末寺は27ヵ寺であったが,17世紀後半には3ヵ国日蓮宗寺院100余ヵ寺が触下(ふれした)として妙成寺の下にくみこまれている。歴代住持のなかに,利常の生母寿福院の甥で身延山久遠(くおん)寺を継いだ日伝(のち日奠(にちでん)),越後の良寛の甥日養らがいる。
執筆者:高木 豊
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石川県羽咋(はくい)市滝谷町にある日蓮(にちれん)宗の北陸における本山。金栄山(きんえいざん)と号する。本尊は宗祖奠定(てんてい)の大曼荼羅(だいまんだら)。江戸時代に制作された折伏(しゃくぶく)像がある。1294年(永仁2)の創立。佐渡から京へ向かう日像(にちぞう)が石動山天平寺(てんぴょうじ)座主(ざす)満蔵を教化(きょうげ)した。満蔵は日乗(にちじょう)と改め、柴原(しばはら)氏の助力で能登(のと)で最古の日蓮宗寺院を創建した。その後、加賀藩主前田氏の保護を受け、なかでも3代藩主前田利常(としつね)の生母寿福院(じゅふくいん)の帰依(きえ)により、その菩提寺(ぼだいじ)として整備された。創建以来一度も大災にあわず、本堂(入母屋造(いりもやづくり))、仁王門、鐘楼、書院、三十番神堂、経堂、五重塔、祖師堂、三光堂、庫裡(くり)などが山水蒔絵(まきえ)机、山水蒔絵料紙筥(ばこ)とともに国重要文化財に指定されている。7月26、27日に日乗の功をたたえる忌講大会を行う。
[田村晃祐]
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…また戦国末期の1573年(天正1)にも,大名畠山義慶(七尾城主)の家臣として〈土田殿〉の存在が知られる。羽咋郡館(たち)村(中世の土田荘域)の地名は,土田民部正の館に由来するものとされ,土田荘に隣接する羽咋郡甘田保の滝谷妙成寺(能登法華教団の中心寺院。羽咋市滝谷町所在)の開基館中将監(たちなかしようげん)(柴原氏)は,土田弾正忠広の代官(被官)であったとも伝えられている。…
※「妙成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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