江戸中期の思想家安藤昌益(しょうえき)(確龍堂良中(かくりゅうどうりょうちゅう))の著書。稿本と刊本がある。これまでの通説では、封建制社会否定論が展開される稿本に対して、世をはばかって、その穏健な部分のみを要約したのが刊本だとされていた。だが、近年では、刊本に自然観と医学理論批判とを記述した独自の思想内容を認めるようになった。稿本と刊本の相関関係については、今後の研究をまたなければならない。
[三宅正彦]
美濃(みの)紙に書かれた原稿で、もとは101巻93冊。成立年代を示唆する資料として、巻1の序に「宝暦(ほうれき)五乙亥(いつがい)二カ月」(1755)とある。後世方(こうせいほう)医学(中国の金(きん)・元(げん)代に、朱子学の影響を受けて成立した医学を祖述する江戸時代の一派)の病理論である運気論(うんきろん)の系譜を引きつつ、独自の気一元論、陰陽五行(いんようごぎょう)説を述べ、自然、社会、人体の本来的な合一、万物の相互依存性、人間すべてが生産活動に従う当然性、階級的・身分的差別の作為性を主張している。全巻は4部分に大別される。
(1)大序巻 原理論的叙述。
(2)古書説妄失糾棄(もうしつきゅうき)分(巻第1~24) 儒教・仏教など既成諸思想の批判と天照大神(あまてらすおおみかみ)、天皇制の尊重を説く。
(3)真道哲論巻(巻第25) 現実の差別社会を本来的・理想的な平等社会に変革する過程としての過渡的社会論など。
(4)自然真営道本書分(巻第26~100) 気の運動論と漢方全科にわたる自己の医学説。
文章表現上、独自の用語や造字が多く、その漢文体はきわめて日本語的で、北奥羽とくに秋田比内(ひない)地方の方言を使うなどの特徴がある。本書は長らく世に知られなかったが、1899年(明治32)ごろ、明治~昭和の思想家狩野亨吉(かのうこうきち)が入手した。当時すでに第38、39の2巻2冊が散逸していた。1923年(大正12)東京帝国大学図書館に移譲された直後に関東大震災で大部分が焼失した。現在、東大総合図書館に所蔵される稿本は、「大序」、第1~9、24、25の12巻12冊のみである。24年、ふたたび狩野は東京の吉田書店から第35~37の3巻3冊の写本を入手した。現在は慶応義塾大学図書館所蔵。1952年(昭和27)さらに上杉修(おさむ)が中里進の協力によって、青森県八戸(はちのへ)市の岩泉也(いわいずみなり)家から第9、10の2巻2冊の写本を掘り起こした。現在、上杉家所蔵。
[三宅正彦]
3巻3冊。1753年(宝暦3)3月刊行。初刷本(しょずりぼん)の出版元は、江戸の松葉清兵衛と京都の小川源兵衛。後刷(あとずり)本は後者だけ。1752年の静良軒確仙(せいりょうけんかくせん)(昌益の門人で八戸藩の側医、神山仙庵(かみやませんあん))の「序」と昌益の「自序」を付す。「人は自然の全体也(なり)。故(ゆえ)に自然を知らざる則(とき)は吾(わ)が身神の生死を知らず」(自序)という立場から、独自の気一元論、陰陽五行説によって、天文、地理、人体を論じ、既成の漢方医学を批判した。文章表現上の特徴は稿本と同じである。本書の後刷本は1932年(昭和7)に狩野が発見し、現在は慶大図書館の所蔵。初刷本は1972年に村上寿秋(青森県三戸(さんのへ)町)が本家の村上寿一家(同県八戸市南郷(なんごう)区)から発見した。神山仙庵が各巻に署名押印し、第1巻には正誤を行っている。
[三宅正彦]
『『安藤昌益全集 第1巻』(1981・校倉書房)』▽『『日本思想大系45 安藤昌益・佐藤信淵』(1977・岩波書店)』
安藤昌益の主著。題名は,自然なる世界の根元をなす〈真〉(または〈活真〉)が営む道,すなわち自然界の法則性を意味する。これを明らかにすることにより,人間の社会の現実がその法則に反していることを示し,自然なる状態に復帰することを通じて,健全な身体と健全な社会を実現する方法を説こうとしたものである。一面では医学書であるとともに,社会批判の書でもある。同じ題名で稿本と刊本との2種類がある。稿本は本文100巻92冊と大序巻1冊とから成る大部の書で,1899年ころ狩野亨吉によって発見されたが,関東大震災(1923)で大半を焼失し,現存するのは原本12巻12冊(東京大学総合図書館蔵)と,人相巻の写本3巻3冊(慶応義塾図書館蔵)である。原本12巻のうち,大序巻と巻二十五の良演哲論の巻とは昌益の思想を最も体系的に集約したものとして,また巻二十四の法世物語の巻は,鳥,獣,虫,魚それぞれの対話の形式で人間社会を批判した文学的叙述として注目される。刊本は3巻3冊で1753年(宝暦3)江戸と京都の書肆の連名で出版されたが,後刷の本では江戸の書肆の名が削られている。現存が確認されているものは3部である。刊本の内容は自然界の法則や医学の原理を述べたもので,社会批判に関する記述は乏しい。稿本の本文がほぼ完成された段階に,その要約として刊本が作られ,さらにその後,昌益の思想が発展して稿本の大序巻,巻二十四,巻二十五の3巻が著述されるに至ったと推定されている。《安藤昌益全集》所収。
執筆者:尾藤 正英
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江戸中期の自然哲学・医学および社会批判の書。安藤昌益(しょうえき)著。刊本と稿本の2種がある。刊本は3巻。1753年(宝暦3)京都で公刊。稿本は昌益の自筆本ともみられ,101巻。ただし関東大震災のため現存するのは15巻のみ。両者の関係は,自然哲学や医学理論を展開した刊本が昌益の比較的早い時期の思想として出版されたのちに社会批判を含む稿本が作られたと考えられる。自然界の法則性と万人が直接生産者である理想社会像が描き出され,支配階級は「不耕貪食の徒」としてきびしく批判されている。封建的な身分制度を人為によるものとして批判した書物として独自の位置を占める。「日本古典文学大系」所収。
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…こうした用法は後の親鸞の〈自然法爾(じねんほうに)〉や日本の朱子学において用いられる〈自然(しぜん)〉についても言える。安藤昌益の《自然真営道》においても,自然(しぜん)は〈自(ひと)り然(な)す〉活真(生ける真実在)というように,実在の自発自主の運動を意味する形容詞として用いられ,まだ天地万物を指す名詞になりきってはいない。 他方,日本に蘭学が受容されると,英語のネイチャーnatureなどの訳語として〈自然〉という言葉があてられた。…
※「自然真営道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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