興福院(読み)こんぶいん

日本歴史地名大系 「興福院」の解説

興福院
こんぶいん

[現在地名]奈良市法蓮町

法蓮山と号する尼寺で、浄土宗。本尊阿弥陀如来。興福尼院といい、もとは添下そえしも菅原すがはらの里(現奈良市尼辻町)にあった。「七大寺日記」「諸寺建立次第」や護国寺本および菅家本の「諸寺縁起集」などにより、奈良時代後期に式家藤原氏との関係において創建されたものであることが推察される。草創については二説がある。寺伝では和気氏が天平勝宝年間(七四九―七五七)聖武天皇の学問所を賜り、弘文こうぶん院と称する同氏の学校としたのに始まるという。また菅家本「諸寺縁起集」には次のように記す。

<資料は省略されています>

当寺には興福寺大乗院主尋尊の姉の八幡菩提院が招請されて入寺したこともあったらしい(大乗院寺社雑事記)

興福院
こうふくいん

[現在地名]箱根町元箱根

箱根神社の門前町元箱根もとばこね集落のなかほどにある。曹洞宗瑞龍山と号し、本尊釈迦如来。開山は箱根権現の別当寺金剛王院東福とうふく寺四一世融山。天文一九年(一五五〇)の「松原明神遷宮記」(相州古文書)には「前別当僧正融山」と記されており、これ以前、融山の東福寺在職中に創建されたと思われる。もと古義真言宗京都仁和にんな寺末。

天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉小田原攻めにより箱根権現が大打撃を受けた折、当院も一時断絶の状態となった。いつ再興されたかは明らかではないが、江戸時代には理琴文察を開山とする曹洞宗寺院に改宗した(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「興福院」の意味・わかりやすい解説

興福院
こんぶいん

奈良市法蓮(ほうれん)町にある浄土宗の尼寺。山号は法蓮山。弘福(こうふく)院、弘文(こうぶん)院、興福尼(こんぶに)院ともいう。770年(宝亀1)藤原百川(ももかわ)、あるいは藤原良継(よしつぐ)の創建という。『諸寺縁起集』は興福(こうふく)寺、福田(ふくでん)院、済恩(さいおん)寺とともに藤原氏の氏寺としている。その前身は和気(わけ)氏が聖武(しょうむ)天皇の学問所を移して開いた弘文院で、中興開山羽柴(はしば)秀長の後室光秀尼である。豊臣(とよとみ)秀吉は寺領200石を寄せ、ついで徳川家光(いえみつ)が天下の幸福を祈願し、同時に東福門院(後水尾(ごみずのお)天皇の中宮)の願いにより興福院としたという。別格尼寺として由緒寺の一つに数えられる。小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の庭園、茶人長闇堂(ちょうあんどう)(久保権太夫(ごんだゆう))の茶室と墓がある。寺宝に絹本着色阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)(国指定重要文化財)などがある。

[清水 乞]

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デジタル大辞泉プラス 「興福院」の解説

興福(こんぶ)院

奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗の尼寺。興福尼院ともいう。山号は法蓮山、本尊は阿弥陀如来。奈良時代後期の創建と見られている。客殿は国の重要文化財に指定。庭園は小堀遠州の作と伝わる。

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