船戸村(読み)ふなとむら

日本歴史地名大系 「船戸村」の解説

船戸村
ふなとむら

[現在地名]柏市船戸など

山高野やまごうや村の南東利根川の右岸にあり、同川との間には流作場が広がる。西は大青田おうだ村、南東は小青田こうだ村。村名は利根川を行交う舟が小休したところから付けられたといい、定船場ではないが、対岸の高野こうや(現茨城県守谷町)との間に渡船場があった。常陸―下総―武蔵を結ぶ交通利便の地で、医王いおう寺前の辻に弘化二年(一八四五)銘の道標(現在は近くに移動)があり、「右当代官所・天満宮」「向なかれ山・江戸ミち」「左みつかいどう・つくばみち」と刻まれていた。寛永二年(一六二五)の本多正貫領知目録写に船戸村高一三一石余とみえ、旗本本多領。本多氏は元和二年(一六一六)正重の代に下総国に所領を与えられているが(寛政重修諸家譜)、当村はこの時から同氏領であったと考えられ、以後幕末に至った(新田分は除く)。本多氏は元禄元年(一六八八)正永の代に大名に列し、同一六年からは上野沼田藩主、享保一五年(一七三〇)転封により駿河田中藩主となった。同氏は沼田藩主になって以降も飛地領として当村を含む下総国葛飾かつしか相馬そうま二郡内に所領を有し、飛地領の北半(中相馬領)二一ヵ村は当地に置かれた船戸陣屋(船戸役所とも)、南半(南相馬領)藤心ふじごころ村の藤心陣屋に拠って支配した。


船戸村
ふなとむら

[現在地名]東津野村船戸

鶴松森かくしようもり(一一〇〇メートル)の南麓に位置し、四万十しまんと川最上流の村で、津野山つのやま郷九ヵ村の一。「土佐州郡志」には「東限半山、西限芳生野北川村、南限大野見、北限佐川山、東西二里二十五町余南北二里十一町余」とある。村名について同書は「古曰大平、後名舟戸、村中山有出舟入舟名由之名歟」と記すが、不入いらず山に祀られる船戸神が地名に変じたとする説もある(津野山異談続)

永正八年(一五一一)頃、源義家の末孫戸田采女助が津野元実の招きに応じて来国、船戸石元屋敷に住み、氏神に総河内そうかわち社を勧請、さらに金光きんこう寺を建立して菩提寺とし、船戸を開いたと伝える(戸田物語)。戸田氏は天文一二年(一五四三)の一条氏との戦い以来、族的団結をもって津野氏のため度々戦功をたてた。


船戸村
ふなとむら

[現在地名]中条町船戸

北境を船戸川が流れ、東は上下の長橋ながはし村、南は坂町さかまち(現加治川村)、西は城塚じようづか新田に接する。胎内たいない川支流小荒こあら川が紫雲寺しうんじ潟へ注ぐ地点に位置し、舟運の拠点であったことに村名が由来すると伝える。元和二年(一六一六)の村上忠勝知行宛行状(嵐瑞澂氏蔵)に「舟戸村」とみえ、七一石八斗一升が村上吉兵衛に宛行われている。正保国絵図に「舟渡村 二百□石余」とある。はじめ村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)幕府領。万治二年(一六五九)検地帳(船戸区有文書)によれば高三九〇石一斗余・田二八町一反九畝余・畑屋敷四町四反五畝余で、屋敷名請人二四名。正徳三年(一七一三)の中条組二十一ケ村明細帳(新潟大学蔵)には小物成上納として山手船頭米・小船役米・夏川役・筒役などがあげられる。


船戸村
ふなとむら

[現在地名]大川村船戸

加茂次郎かもじろう(九七二・四メートル)の南東から北東麓にかけて位置し、吉野川左岸にある。南は同川を隔ててもり郷の中切なかぎり村。本川ほんがわ郷の一村で、宝永三年(一七〇六)の「本川郷風土記(南路志)によれば東西二六町南北四〇町余、「惣体土地黒、但在所南向南下之所也」とある。近世の郷帳類は「舟戸村」と記し、西にある小松こまつ村を当村に含む。

慶長一六年(一六一一)の本川之内高野村検地帳に村名がみえ、九筆でうち一筆は地蔵堂、残りは山畠であるが「ゐ」と記される。山畠では楮や茶を栽培。元禄地払帳では総地高七・六石、うち本田高七石、新田高〇・六石、いずれも和田弥三右衛門の給田であるが、新田は「古新田」と記される。


船戸村
ふなどむら

[現在地名]東庄町舟戸ふなど干潟ひかた町舟戸

大久保おおくぼ村の南に位置する。江戸時代は長く上代かじろ村の内であった。寛永一九年(一六四二)以来旗本筒井氏が上代村を知行していたが、天和三年(一六八三)忠清が遺領を継ぐにあたり舟戸村二九八石余と和田わだ村の一部を弟重白に分知したという(「上代三ヶ村明細記」上代家文書など)。天保郷帳に上代村枝郷として村名がみえ、高二九八石余。


船戸村
ふなどむら

[現在地名]いわき市鹿島町船戸かしままちふなど

矢田やだ川左岸にあり、南西御代みよ村、北東は久保くぼ村、南東は上神白かみかじろ村。磐前いわさき郡に属した。近世の領主変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録に舟戸村とあり、高八五石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高一一五石余。


船戸村
ふなとむら

[現在地名]飯高町舟戸ふなと

落方おちかた村の西にあり、櫛田くしだ川の支流舟戸川に沿う。飯高郡最西部の村で、西は高見山を越えて大和国吉野よしの郡へと続く。寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)には「舟戸木梶栃谷村」として現れ、元禄一五年(一七〇二)新田畑午改帳(同蔵)には、木梶きかじ栃谷とちだに両村は独立して書上げられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android