改訂新版 世界大百科事典 「苅萱桑門筑紫〓」の意味・わかりやすい解説
苅萱桑門筑紫 (かるかやどうしんつくしのいえづと)
人形浄瑠璃。時代物。5段。並木宗輔・並木丈輔合作。1735年(享保20)8月大坂豊竹座初演。三段目口(くち)を豊竹駒太夫,切(きり)を豊竹越前少掾が語った。能や説経の《苅萱》,古浄瑠璃《くづは道心》(1674)などを先行作とし,女の髪が嫉妬の蛇と化して食い合う話(《一遍上人年譜略》),《北条九代記》などを採り入れて脚色。
(1)二段目 筑前の城主加藤左衛門尉繁氏は,日ごろ仲むつまじい御台所牧の方と妾千鳥が,うたたねの間に内心の嫉妬を顕し,黒髪が蛇と化して食い合うありさまを見て発心し,出家遁世する。(2)三段目 豊前の大領大内三郎義弘は謀反を企て,加藤家に向かって一味の印に家宝の夜明珠(やめいしゆ)を渡せと難題を出す。加藤家の執権監物太郎は,名玉の受取り手は20歳で男を知らぬ女に限り,他の者が手を触れれば,玉の光を失うと言い抜けるが,大内の老臣新洞(しんとう)左衛門の娘ゆふしでが伊勢両宮の社のお座子(くらご)であるため,玉受取りの使者に立つ。監物太郎はゆふしでに守宮(いもり)酒の媚薬を飲ませ,好色者で聞こえた弟の女之助にゆふしでを誘惑させ,黒玉を渡して,検分の新洞左衛門に,使者に汚れがあるゆえに名玉が光を失ったと言い張る。ゆふしでは申しわけに自害し,新洞左衛門は,女之助を思う娘の心を察して,御台と若君に真の名玉を持たせて逃がすように,それとなく教えて立ち帰る。(3)四段目 繁氏は高野山にいると聞き,御台と若君石動丸は女之助を供に,大内の討手を逃れて,高野山の麓学文路(かむろ)の宿まで来,玉屋与次の家にかくまわれる。与次は繁氏に恩を受けた者で,女房お埒(らち)は,女之助がかつて離別した妻であった。女之助は夢で御台所に邪恋を仕掛けたのを恥じて切腹する。(4)五段目 石動丸は苅萱道心と名を改めた父にめぐり会うが,苅萱は仏への誓いを守って親子と名のらない。御台所は女人堂で病死し,苅萱は断腸の思いで,他人として回向する。監物太郎が義弘を勅命によって捕らえてくるので,苅萱は,石動の筑紫への家づとに,義弘の命乞いをするようにさとす。人間の愛欲,野望,策略,罪業感などを鮮やかに描く豊竹座時代の並木宗輔の代表作。人形浄瑠璃では近世には通しで演じられたが,近年は,文楽・歌舞伎とも,三段目〈大内館〉〈守宮酒〉,五段目〈高野山〉のみ上演される。〈守宮酒〉は東風(豊竹座)の代表曲。歌舞伎に移されたのは1736年(元文1)1月大坂中山新九郎座(角の芝居)である。現在なお,《いもり酒》の通称でしばしば上演されている。
執筆者:内山 美樹子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報