荻堂貝塚(読み)おぎどうかいづか

精選版 日本国語大辞典 「荻堂貝塚」の意味・読み・例文・類語

おぎどう‐かいづかをぎダウかひづか【荻堂貝塚】

  1. 沖縄中頭(なかがみ)北中城(きたなかぐすく)村荻道にある貝塚。縄文的文様の甕形土器が多量出土国史跡

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「荻堂貝塚」の解説

荻堂貝塚
おぎどうかいづか

[現在地名]北中城村荻道

貝塚時代前期の貝塚。縄文時代後期前半に相当する標式土器である荻堂式土器の発見された遺跡で、国指定史跡標高約一三五メートルの琉球石灰岩台地の崖下斜面に位置する。石川市伊波いは貝塚と同じく一九〇四年(明治三七年)鳥居龍蔵により発見された。一九年(大正八年)には松村瞭により発掘調査が行われ、翌年にその調査報告書「琉球荻堂貝塚」が刊行された。これは沖縄で初めての本格的な発掘調査で、報告書も最初のものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荻堂貝塚」の意味・わかりやすい解説

荻堂貝塚
おぎどうかいづか

沖縄県北中城(きたなかぐすく)村字荻堂にある貝塚。沖縄先史時代(貝塚時代という)の前期を代表する貝塚で、国指定史跡。1904年(明治37)鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)によって発見された。1919年(大正8)東京大学の松村瞭(あきら)が発掘調査を行い、その結果は報告書『琉球(りゅうきゅう)荻堂貝塚』(1920)にまとめられている。縄文的文様の口縁部に小突起をもつ平底の甕形(かめがた)土器が多量に出土しており、第二次世界大戦後「荻堂式土器」の名が冠せられ、編年上前期標準型式となった。

 沖縄の貝塚時代は縄文文化の影響を受けて発生し、それが土着化、個性化していく過程として理解されているが、その通念を確定するうえで貴重な資料を提供した貝塚である。東京大学理学部人類学教室に出土土器が保存されている。

[高良倉吉]

『沖縄考古学会編『石器時代の沖縄』(1978・新星図書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「荻堂貝塚」の意味・わかりやすい解説

荻堂貝塚 (おぎどうかいづか)

沖縄本島の中央部,中頭(なかがみ)郡北中城(きたなかぐすく)村字荻道後原(くしばる)にあり,縄文後期に比定される。1919年,松村瞭が発掘調査を行った。遺跡は石灰岩丘陵の北面崖下に形成され,3層(表土,混貝土層,基盤の石灰岩)からなり,中位の包含層は70~100cmの層厚をもつ。食糧残滓としては獣魚骨のほか多種類の海産貝が検出されたが,陸産のマイマイも目だち,重要な食糧資源の一つであったと考えられている。人工遺物には土器,石器,貝器,骨器などがあり,とくに貝器の著しい発達を松村は琉球貝塚の特色と考えた。荻堂式土器は本貝塚の土器を標式とするもので,山形口縁・平底の深鉢形を主体とし,わずかながら壺形を伴う。文様は口唇部と口頸部に施され,口縁内面や胴下半部は施文の対象とならない。数種の文様要素が認められるが,連点文と鋸歯文を組み合わせる例が最も多い。国の史跡に指定されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

国指定史跡ガイド 「荻堂貝塚」の解説

おぎどうかいづか【荻堂貝塚】


沖縄県中頭(なかがみ)郡北中城(きたなかぐすく)村荻堂後原にある貝塚遺跡。沖縄本島中部、北中城の標高約135mの琉球石灰岩丘陵の崖下斜面に営まれた貝塚遺跡。沖縄の先史時代解明の先鞭(せんべん)をつけた貴重な遺跡として、1972年(昭和47)に国の史跡に指定。遺跡は、表土層(耕作土)が約30cm、遺物包含層が70~100cm、その下は石灰岩の基盤となっており、貝類・魚骨・獣骨のほかに、石器・土器・貝製品が出土。土器は口縁に4ヵ所の突起をもつ深鉢形で底は小さく平たい。文様は器体の上半部のみにほどこし、2本の線、または点が一組になって、連線文や連点文として器をめぐり、鋸歯状の文様構成も多用されている。これらの土器は「荻堂式」と名付けられ、沖縄貝塚時代前期土器の代表的形式の一つとされ、南島先史時代研究の標準資料となった。那覇バスターミナルから沖縄バス「石平(いしんだ)」下車、徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荻堂貝塚」の意味・わかりやすい解説

荻堂貝塚
おぎどうかいづか

沖縄本島中部の北中城 (きたなかぐすく) 村字荻堂に所在する新石器時代前期の貝塚で,縄文後期に比定される。太平洋岸から約 1.5kmにあり,沖縄の貝塚としては内陸部の遺跡といえる。 1904年,鳥居龍蔵によって発見され,19年,松村瞭の発掘調査によって著名となった。出土遺物には土器,石器,骨器,貝器などがあり,本貝塚出土の土器を標式とする荻堂式土器は新石器時代前期を代表する型式の一つである。 56年,琉球政府時代に史跡に指定され,施政権返還後の 73年,国指定の史跡となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の荻堂貝塚の言及

【北中城[村]】より

…現在も農業が主で,サトウキビ,野菜,花卉栽培が行われる。護佐丸が15世紀に築城した中城城跡(史)が中城村にまたがってあるほか,沖縄の民家を代表する中村家住宅(重要文化財),沖縄最古の貝塚といわれる荻堂貝塚(史)があり,民俗芸能として南島踊が知られる。【堂前 亮平】。…

※「荻堂貝塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android