改訂新版 世界大百科事典 「蔡襄」の意味・わかりやすい解説
蔡襄 (さいじょう)
Cài Xiāng
生没年:1012-67
中国,北宋の政治家,書家。字は君謨(くんぼ)。興化軍仙遊(福建省)の人。興化軍の治所が莆田であるので莆田の人ともいう。端明殿学士となったので蔡端明,忠蕙と諡(おくりな)せられたので蔡忠蕙,莆田の雅称をもって蔡莆陽ともいわれる。仁宗の天聖8年(1030)進士に合格,累進して翰林学士,さらに三司使になり,一時宋の財政を総括したが,英宗に誤解をうけ,知杭州軍事に転出,のち没した。正義感が強く,欧陽修と親交を結び,ともに韓琦(かんき),范仲淹(はんちゆうえん)ら,実力のある政治家を助けて反対派を忌憚なく攻撃した。仁宗に愛され,君謨の2字の御書を賜ったことは有名である。文学にも長じ,〈四賢一不肖〉の詩をつくって司諫の責任を果たさなかった高若訥を攻撃したことでも知られている。書家としては,蘇軾・黄庭堅・米芾(べいふつ)とともに宋の四大家と称せられ,北宋書壇の先駆者としての地位を占めた。《万安橋記》《顔真卿自書告身跋》《謝賜御書詩表》などがあり,ただ優美閑雅ばかりでなく,骨力にすぐれた点が特徴である。
執筆者:外山 軍治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報