薄葬(読み)ハクソウ

デジタル大辞泉 「薄葬」の意味・読み・例文・類語

はく‐そう〔‐サウ〕【薄葬】

簡略にした葬儀日本では、大化の改新に際し薄葬令を発して、墳墓の規模・副葬品などを縮小・簡略化させ、従来厚葬を改めた。

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精選版 日本国語大辞典 「薄葬」の意味・読み・例文・類語

はく‐そう‥サウ【薄葬】

  1. 〘 名詞 〙 葬法一つ。それ以前の厚葬に対比した名称。墳墓の規模・副葬品などが縮小・簡略化された葬法。日本では大化二年(六四六)の大化の薄葬令以来、この傾向が強くなった。
    1. [初出の実例]「臨終遺教、薄葬不皷吹」(出典:続日本紀‐宝亀元年(770)一〇月丁酉)
    2. [その他の文献]〔荀子‐正論〕

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普及版 字通 「薄葬」の読み・字形・画数・意味

【薄葬】はくそう(さう)

飾らずに葬る。〔後漢書、光武帝紀下〕(建武七年春正月詔)世、厚を以てと爲し、を鄙(いや)しと爲す。富奢僭(しやせん)、は財を單(つく)すに至る。~其れ天下に布し、忠臣孝子兄・悌弟をして、の義を知らしめよ。

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改訂新版 世界大百科事典 「薄葬」の意味・わかりやすい解説

薄葬 (はくそう)

埋葬施設や喪葬儀礼を簡素なものとすること。日本古代の葬制の流れについて考えてみると,薄葬思想が濃厚であったかと思われる時期がいくつかある。まず第1に,雄略朝から5世紀末の時期である。倭国の版図が最大となり,大王号を称するに至った倭王武雄略天皇)の山陵をどこに比定するかはさて置いても,5世紀後半の大王陵と目されるものは,その前後の大王陵と比較すると規模が小さく,古墳造営について,なんらかの規制が存在したと考えられる。第2は,推古朝前後である。この時期の大王陵は,従来の前方後円墳から方墳へと変化した。それとともに,7世紀に入ると,畿内およびその周辺地域では,大阪府柏原市の平尾山千塚や兵庫県宝塚市の長尾山古墳群など,ごく一部の例外を除いて,6世紀後半には各地で爆発的に築造されていた群集墳が,急速に終焉をむかえる。こうした事実は,推古朝前後における造墓規制の存在を示している。第3は,646年(大化2)3月に公布された詔,いわゆる大化薄葬令である。大化薄葬令については,その実質的な効力を疑問視する論考が多いが,この詔はあくまで,王以下から庶民に至るまでの身分秩序の確立を目ざしたものとみなすべきだろう。石室(石槨)や墳丘規模に関する数値は上限を示したものであり,正しく合致する例が存在しないとの理由で,薄葬令の効力を疑問視することはできない。大化薄葬令は,畿内とそのごく周辺地域に限って,施行されたと考えられる。飛鳥の南西の地域に,天武・持統合葬陵や高松塚古墳などの終末期古墳が散在する事実,また,7世紀後半には,天皇・皇后・皇子女その他に限って,殯(もがり)が営まれている事実は,これらの人々が薄葬令の対象外であったことを示している。第4は,天武朝末年からの仏式葬儀の導入,および8世紀初頭の火葬の採用である。この仏式葬儀の導入と火葬の採用は,実質的に,薄葬を著しく促したのであり,殯の期間も短縮化され,形骸化する。
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百科事典マイペディア 「薄葬」の意味・わかりやすい解説

薄葬【はくそう】

経費節約や風俗改正を目的として葬儀を簡素化すること。その命令を薄葬令という。中国で古くから皇帝の遺言などとして公布されたが,日本では大化改新の際のものが著名で,646年(大化2年)の薄葬令では,朝廷での身分に応じて,墳墓の大きさ,労務の人員と日数,副葬品などを規制した。しかしこれは,公民を私用に動員するのを禁ずるのが目的で,薄葬令というより公葬令とみるべきだとの説もある。
→関連項目葬制

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