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藤井右門 ふじいうもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤井右門
ふじいうもん

[生]享保5(1720).越中
[没]明和4(1767).8.22. 江戸
江戸時代中期の儒学者,尊王論者。幼名,吉太郎。名,直明。通称,右門。浅野長矩の遺臣藤井宗茂の子。享保 20 (1735) 年京都に出て伊藤紹述に学び,竹内式部と交わった。元文3 (38) 年藤井忠義の養子となり,従五位,大和守に任じられ,皇学所教授となった。宝暦9 (59) 年宝暦事件竹内式部連座し,江戸幕府の追求を逃れて潜伏し,江戸に出て山県大弐の家に身を寄せた。明和4 (67) 年明和事件に際し捕えられ,大弐とともに鈴ヶ森でさらし首になった。

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デジタル大辞泉の解説

ふじい‐うもん〔ふぢゐ‐〕【藤井右門】

[1720~1767]江戸中期の尊王論者。越中の人。名は直明。宝暦事件に連座して逃亡。のち、明和事件山県大弐とともに処刑された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤井右門 ふじい-うもん

1720-1767 江戸時代中期の武士,尊王家。
享保(きょうほう)5年生まれ。八十宮(やそみや)内親王家司(けいし)となり,皇学所教授をかねた。竹内式部(たけのうち-しきぶ)らの宝暦事件で京都を出奔。のち江戸の山県大弐(やまがた-だいに)の明和事件に関係して捕らえられ,明和4年8月22日処刑された。48歳。名は直明。幼名は吉太郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤井右門

没年:明和4.8.22(1767.9.14)
生年:享保5(1720)
江戸中期の武士。名は初め吉太郎,のち直明。越中国射水郡小杉村(富山県氷見市)に元赤穂浅野家の江戸家老藤井又左衛門の長子として生まれ,京都の藤井忠義の養子となって名を直明と改めた。皇女八十宮に仕え,宝暦8(1758)年,同志の尊王家竹内式部が事破れて捕らわれる(宝暦事件)と,京を出奔して名を右門と改め,江戸に出て山県大弐の塾に入門した。以後大弐の所説に心酔して尊皇斥覇を唱え,町医者の宮沢準曹らと時事を談論したが,明和3(1766)年12月災いがわが身におよぶのを怖れた準曹の訴えで,大弐ともども謀反人として捕らえられ,いわゆる明和事件の首謀者として打ち首,獄門となった。

(宇田敏彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふじいうもん【藤井右門】

1720‐67(享保5‐明和4)
江戸中期の尊王論者。伝は未詳であるが,父は赤穂浅野家の家老藤井又左衛門宗茂で,浅野家が除封になったのち越中射水郡小杉村で生まれたという。16歳で京都に出,地下の諸大夫藤井大和守忠義の養子となり,皇学所の教授となった。しかし宝暦事件で処罰された竹内式部と親交があったため,1758年(宝暦8)名を変えて逃亡し,甲斐を経て江戸に出,山県大弐と交わり,その家に寄宿した。ところが,大弐が上野小幡藩の内紛にからんで,門人らから謀反を企てていると幕府に密告され,処罰されたとき(明和事件),連座して幕府の糺問をうけた。

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大辞林 第三版の解説

ふじいうもん【藤井右門】

1720~1767) 江戸中期の尊王論者。越中の人。名は直明。皇学所教授を務めたが、宝暦事件に連座、各地に潜伏ののち江戸の山県大弐を頼る。のち、謀反の疑い(明和事件)で鈴ヶ森で処刑された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤井右門
ふじいうもん
(1720―1767)

江戸中期の尊王論者。名は直明。もと赤穂(あこう)藩主浅野長矩(ながのり)の江戸家老の子というが、その出自には諸説がある。1735年(享保20)京都に入って学を修め、のち八十宮(やそみや)内親王の家司(けいし)となり皇学所教授を兼ねる。尊王論を唱導し正親町公積(おおぎまちきんつむ)らと親交する。竹内式部(たけのうちしきぶ)らの宝暦(ほうれき)事件(1758)により京都を出奔し、数年諸国を放浪して江戸に入る。山県大弐(やまがただいに)のもとに身を寄せ尊王反幕を説き、甲府城や江戸城攻略の方法を論じるなど過激な意見を述べる。大弐らとともに謀反の陰謀ありと訴えられ(明和(めいわ)事件)、獄門の刑に処せらる。48歳。明治になって正四位を贈られた。[南 和男]

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世界大百科事典内の藤井右門の言及

【明和事件】より

…江戸中期に山県大弐藤井右門らが処罰された事件。山県大弐は儒学,兵学の塾を江戸日本橋に開き,上野小幡藩の家老吉田玄蕃と親交があった。…

※「藤井右門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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