日本歴史地名大系 「西野々村」の解説
西野々村
にしののむら
西野々村
にしののむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「西野ノ村 柴山茅山、小川有」と村名がみえる。宇和島藩領。
太閤検地の石高は四二七石六斗八合で、耕地面積の比率は田七九パーセント、畑二一パーセント。寛文検地では石高が三三パーセント増加し、田三九パーセント、畑六一パーセントとなっている。「墅截」によると、村柄は「中」、田が「上」、畑は「中」とされ、水掛りは「吉」となっている。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田四反九畝一五歩、畑五反七畝で、百姓数は七一人、うち本百姓三四人、半百姓二六人、四半百姓一〇人、庄屋一人であった。
西野々村
にしののむら
西野々村
にしののむら
西野々村
にしののむら
西野々村
にしののむら
西野々村
にしののむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報