観世栄夫(読み)かんぜひでお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「観世栄夫」の意味・わかりやすい解説

観世栄夫
かんぜひでお

[生]1927.10.4. 東京,東京
[没]2007.6.8. 東京,墨田
観世流シテ方の能楽師。7世観世銕之丞(雅雪)の二男。父雅雪,祖父観世華雪,14世喜多六平太後藤得三などに師事。1931年『老松』の仕舞で初舞台。1934年『忠信』で初シテ。1949年に喜多流に転流し,後藤得三の芸事養子となり後藤と改姓。1953年,兄観世寿夫,弟静夫(のちの8世観世銕之丞)とともに華の会を結成し,のちに三役ワキ方・狂言方・囃子方)を加えて同人組織として活動。1956年『道成寺』を初演。1958年に能楽協会を退会して能楽界を離脱。観世姓に戻り,新劇の劇団青年芸術劇場や自由劇場に参加して演出を担当。オペラ,舞踊などの演出も手がけ,俳優としても演劇や映画に出演した。1970年,新劇の俳優,演出家らとともに,新しい演劇の創造を目的とする冥の会を結成,同人となる。1979年に観世流に復帰。1986年『卒都婆小町』,1997年『檜垣』,2004年『姨捨』を初演。1997年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。幽の会を主宰。申楽乃座の同人。伝承を越えて現代に生きる能を追求した。著書に『華より幽へ 観世榮夫自伝』(2007)がある。(→

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百科事典マイペディア 「観世栄夫」の意味・わかりやすい解説

観世栄夫【かんぜひでお】

観世流シテ方能楽師・俳優・演出家。東京都出身。能楽師の7世観世銕之丞(てつのじょう)の二男。東京音楽学校(現,東京芸術大学)中退。一時能楽を離れ,テレビ・映画などで活躍したが,1978年に亡くなった兄の能楽師観世寿夫(ひさお)の遺言により,1979年に復帰。の《檜垣(ひがき)》で1997年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。弟は8世観世銕之丞。舞台の《子午線の祀り(まつり)》(演出・出演),映画の《砂の女》《鉄輪(かなわ)》《利久(りきゅう)》《午後の遺言状》などが代表作。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世栄夫」の解説

観世栄夫 かんぜ-ひでお

1927-2007 昭和-平成時代の能楽師シテ方。
昭和2年8月3日生まれ。7代観世銕之丞の次男。観世寿夫(ひさお)の弟。8代観世銕之丞の兄。観世流。昭和24年喜多流にうつり後藤得三の芸養子となる。のち能楽からはなれ,俳優となり映画,舞台,テレビなどで活躍。54年観世流に復帰,演出も現代劇,歌舞伎,オペラなど幅ひろく活動。平成17年「姨捨」の演能で毎日芸術賞。平成19年6月8日死去。79歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)中退。

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世界大百科事典(旧版)内の観世栄夫の言及

【観世寿夫】より

…没後《観世寿夫著作集》全4巻が編まれた。弟に観世栄夫(1927‐ ),8世観世銕之丞(1931‐ )がいる。観世流【羽田 昶】。…

※「観世栄夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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