金銭を収める入れ物のことで、江戸時代には銭(ぜに)入れともいった。銭つかいの経済が発達してから普及したもので、たぶん金(かね)包みより出たものであろう。大判、小判、豆板(まめいた)銀、額(がく)、波(なみ)銭などの貨幣が鋳造され、それが日常の通貨として使用されるようになって、財布の利用が普及した。なお、大判は通貨ではなく、戦勝のおりの報奨金であったから、財布に収めるものではなかった。財布の形態は、長い紺木綿を二つ折りにして左右の両側を縫い留め、開口部の一方を少しあけ、そこに乳(ち)をつけて、その乳に、首から下げるための打ち紐(ひも)を通す。この財布の底に銭を入れて、ぐるぐる巻いたものを懐中深く収めておく。商人のなかには、盲縞(めくらじま)の袋に白抜きで屋号を入れたものを用いた者もある。また金銭の出し入れが激しい場合は、財布の損傷も多いので、裂地(きれじ)に幸菱(さいわいびし)、麻の葉の模様をかな糸で刺した。
庶民は、着物の余り裂の縞木綿でつくったから、「縞の財布」ということばが生まれた。首から下げるこの財布は、出し入れに不便なところから、小銭は巾着(きんちゃく)を利用したが、江戸時代中期も終わり近くになると、早道(はやみち)という革製の便利なものができた。これは男子用で、角帯に挟んで用いるもので、上部は筒形、下部は留め具のついた蓋(ふた)のある袋で、上部の筒形は金銀の額入れである。この早道は、早く目的を達せられるという意味で、飛脚の別称からとったものである。これは、すりや巾着切りにあっても、簡単には抜き取られない利点があった。
また旅行用には、脇差(わきざし)に加工した銭刀(せんとう)という、銭入れも用いられ、これは盗人や「ごまのはえ」にやられぬ用心のためのものである。明治に入って、金・銀・銅貨が鋳造されて流通貨幣となると、これを入れる「げんこつ」という金具の財布(がまぐち)が普及した。さらに紙幣が発行されてから、二つ折りの布帛(ふはく)や革製の財布が登場。さらに財布の高級化により、金襴(きんらん)などの織物を用いたぜいたく品までがつくられ、革でも牛、トカゲ、ワニなどのたぐいまで用いられている。
[遠藤 武]
広義にはがまぐち,札入れの総称であるが,狭義には札入れをさす。紙などを懐中に入れて携帯するようになったのは奈良時代からで,《枕草子》などに見られる畳紙(たとうがみ)がそれである。その後ふくさで包む形になり,紙挟み,鼻紙袋へと変化していく。元禄・宝永年間(1700年前後)の《新色五巻書》《傾城禁短気》にはすでに財布の名が見えるが,《芝水庵記》に〈鼻紙入は財布の初なり〉とあるように江戸時代はきんちゃく・鼻紙袋の名称のほうが一般的であった。後には三徳やどんぶり(だんぶくろ)などが流行し,丸薬・耳かき・小楊枝・鼻紙などの小物類を入れた。女性用の筥迫(はこせこ)には鏡・櫛・おしろいなどを入れることもあった。旅先ではすりから路銀を守るため,早道(はやみち)などと呼ぶ腰にさげる袋に入れて持ち歩いた。明治になって紙幣が発行(1869年に民部省札)され,二つ折り,三つ折りで使用する札入れが普及,初期には着物の胸もとの形を整わせるため分厚いものが好まれたが,洋服着用者の増加とともに形態も洋服用のものが多くなる。1868年(明治1)にはじめて作られたがまぐちは明治20年ころには袋物中最高の生産量を示したが,明治30年になると,紙幣入れに小銭入れをつけたものがはやり,大正時代以後札入れが主流となった。
執筆者:前田 明子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の大学ブランド商品」事典 日本の大学ブランド商品について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新