物質,エネルギー,運動量などが移動する現象を一般に輸送現象という。例えば,電池に豆電球をつないだときを考えてみると,この場合,電池の+極から-極へと電流が流れる。実際には,-極から+極へと電子の流れが生じているわけだが,このような電子の流れは輸送現象の一例である。また,銅線の一端を熱し,他端を冷やして温度こう配を作ると,高温側から低温側へと熱が移動し,いわゆる熱伝導が起こる。この場合には,熱というエネルギーが輸送される。さらに,気体中に密度の濃淡があると,全体は均一になろうとして,密度の大きいところから小さいところへと気体が流れていく(拡散)。このような電流,熱流,気体の流れなど,なんらかの意味で流れの生じている現象が輸送現象であると考えてよい。
体系が熱平衡状態にあるときには,体系中にいかなる流れもあってはならない。むしろ,流れのないということが熱平衡の定義である。したがって,逆にいうと,輸送現象を起こすためには,なんらかの方法で熱平衡を破る必要がある。この熱平衡を破る原因になるものを一般的な力と称している。例えば,前述の豆電球に電流が流れる場合,電流を流す原因となるものは体系に外部から加わる電場である。電場がこのときには一般的な力となり,この力の作用で電流が流れるということになる。電場が十分小さいと,それによって生ずる電流は電場に比例すると考えてよい。このような場合を線形応答という。
電場,電流の間の関係は,もう少し正確にいうと次のようになる。いま,半導体,金属などの電気の導体に外部から電場Eを加えたとし,Eのx,y,z成分をEx,Ey,Ezとする。この電場により導体中に電流が発生するが,電流の流れる向きと垂直な断面をとり,単位時間当り単位面積を通して流れる電荷量を電流密度の大きさと定義する。この大きさをもち,電流の流れる向きにひいたベクトルが電流密度jである。jのx,y,z成分をjx,jy,jzとすれば,線形応答の範囲内で,一般に,
という関係が成立する。ここで,σxx,σxy,……は3×3の行列の要素と考えられるが,この行列を電気伝導度のテンソルという。とくに,体系が等方的であれば,jはEに比例し,(1)式は,
jx=σEx,jy=σEy,jz=σEz ……(2)
と簡単化され,あるいはベクトル間の関係として,
j=σE ……(3)
と表される。(2),(3)式に現れる比例定数σを電気伝導度という。ちなみに,(3)の関係はオームの法則を表す。
上述の電気伝導と同様に,温度こう配という一般的な力と熱流との比例関係を表す定数として熱伝導度が,また密度こう配と物質流間の比例定数として拡散係数が定義される。さらに,体系に電場と温度こう配とが同時に作用するときには,電流と熱流とが発生するが,このような場合にも上の比例関係を拡張することができる。簡単のため,2種類の一般的な力F1,F2があるとし,これにより2種類の流れJ1,J2が起こるとする。例えば,F1は電場,F2は温度こう配,J1は電流,J2は熱流と考えてよい。線形応答の範囲で,
J1=L11F1+L12F2,J2=L21F1+L22F2
と表すことができ,ここに現れるL11,L12などを一般に輸送係数という。F1,F2を適当に選ぶと,L12=L21であることが示される。この関係をオンサーガーの相反定理という。物理的にいえば,温度こう配が電流に及ぼす効果は,電場が熱流に及ぼす効果に等しいということである。(1)式でσxy=σyx,σxz=σzx,σyz=σzyの関係が成り立つが,これも一種の相反定理である。
輸送現象は,体系が熱平衡からはずれたとき,熱平衡に戻ろうとする動きであると考えられる。例えば,熱が高温側から低温側へ一方的に流れるのは,両者が同温度になろうとする傾向の現れである。こういう意味で,輸送現象の理論的研究は,不可逆過程の熱力学や統計力学と不可分の関係にあった。一方,電気伝導度,熱伝導度などの輸送係数は各種の物質に対して実験的に研究され,それらの磁場依存性,温度依存性などが測定されている。したがって,輸送現象の研究は物性物理学においても重要な意味をもっている。1957年,久保亮五らは線形応答理論を完成させ,現在,線形応答に関する統計力学的な基礎づけは確立されている。
執筆者:阿部 龍蔵
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金属の棒の両端に電圧をかけると、金属の中に電場が生じ、電流が流れる(電気伝導)。物体の温度が不均一なとき、物体中に熱の流れが生じる(熱伝導)。このように物体中を電気、熱などの物理量が流れる現象を、一般に輸送現象という。液体の流れのような、物質そのものの運動は含まない。
輸送現象には、電気伝導や熱伝導のほかにもいろいろある。水の中にインクをこぼすと、インクは広がって水全体を染めるようになる。このように、溶液の中で溶けている物質(溶質)の濃度が不均一であれば、溶質の流れがおこる(拡散)。流れている気体や液体中で流れの速さが一様でないと、速い領域と遅い領域との間に一種の摩擦力が働く(粘性)。この力は速いほうの流速を遅くし、遅いほうの流速を速くするから、そこに運動量の流れがおきているとみてよい。
輸送現象の特徴は、流れの向きが定まっていることである。熱の流れは高温の領域から低温の領域へ向けておこり、溶質は高濃度の領域から低濃度の領域へ向かって流れる。逆向きには流れない。熱が流れると温度差は減り、溶質が拡散すると濃度差が減る。温度や濃度が均一で、それ以上時間的に変化しない状態を、熱平衡状態という。物質の状態がこの熱平衡から外れると、流れはそれを回復する向きにおこるのである。このような変化を、逆向きにはおこりえないという意味で、不可逆変化という。輸送現象は代表的な不可逆変化である。
物質中に「流れ」を生じさせるためには、電場、温度勾配(こうばい)のような、ある種の「力」を加えなければならない。「力」が弱いときには「流れ」も小さい。このような場合、「流れ」は「力」に比例すると考えてよい。たとえば、電場がEのとき流れる電流をIとすれば、I=σEの関係が成り立つ。また、温度勾配がdT/dxのとき流れる熱流をJとすれば、J=κ(dT/dx)の関係が成り立つ。比例係数σ、κは物質や温度などの条件による定数で、σを電気伝導度、κを熱伝導度という。一般に、「流れ」と「力」を結ぶ比例係数を輸送係数という。
[長岡洋介]
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粘性,熱伝導,拡散などのように,気体,液体,あるいは固体の一方から他方へある量が移動する現象をいう.分子の熱運動の結果として,物質内の仮想平面を通して,粘性では運動量が,熱伝導ではエネルギーが,また拡散では物質自身が輸送される.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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