改訂新版 世界大百科事典 「郷歌」の意味・わかりやすい解説
郷歌 (きょうか)
朝鮮,新羅の歌謡の呼称。詞脳(詩悩,思内)歌,兜率歌などともいう。《三国遺事》に14首,別に均如(新羅末~高麗初の高僧。917-973)の作った賛歌〈普賢十種願王歌〉11首が今日伝わっている。漢字の音・訓を借用して新羅語を表記する郷札という方式で書かれている。郷歌には2種類の形式がある。
(1)長形(この形式が多く,三句六名ともいう) 前句は一句[6・6 6・6],二句[6・6 6・6],後句(三句)は[3(嗟辞という) 5~9 6]。前句には字数の移動もある。
(2)短形(古くから伝わる原始的な形式)[6・6 6・6]。
《三国遺事》所載の歌は6~10世紀にかけての歌で,8世紀ごろのものがもっとも多い。郷歌が発生した背景にはいくつかの時代的要請があった。新羅の知識人たちは早くから漢詩を作り始めたが,仏教が入ってくると儀式にインドの梵唄をも取り入れた。仏教が広まるにつれて僧侶の中には布教上,新羅語による讃仏歌も必要となる。一方,三国間の抗争が激しくなると,軍隊の士気昂揚,修養の目的から軍歌も不可欠となる。こうした要請に応じようとして,在来の民謡調の形式を改良してできあがったのが郷歌の形式(上記の(1)形式)である。確立された形式で軍歌や讃仏歌を作るほか,一般の歌ももっぱらこれによって作られるにいたった。李承休(1224-1300)の詩,〈花の朝,月の夕べ,手を携えて遊び,別曲・歌詞,意に随いて製る〉(《帝王韻記》)は,新羅人の自然の風情を詠む風習が民衆に広くゆきわたっていたようすを表したものである。のちの歌辞(詞)と呼ばれる長歌形式や民族固有の短歌である時調もこの歌形を継承して作られていく。
執筆者:金 思 燁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報