ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都太夫一中(1世)」の意味・わかりやすい解説
都太夫一中(1世)
みやこだゆういっちゅう[いっせい]
[没]享保9(1724).5.14.
一中節の家元。都一中とも呼ばれる。京都明福寺の3代目住職周意のニ男。本名恵俊。寛文 10 (1670) 年還俗。須賀千朴と名のって京都の都万太夫に浄瑠璃を学び,2世岡本文弥の文弥節,松本治太夫の治太夫節を加えて一流を創始。近松門左衛門の浄瑠璃の景事や道行を好んで語った。正徳5 (1715) 年と享保3 (1718) 年江戸に下り,流儀を広めた。高弟に都国太夫半中 (のちの宮古路豊後掾 ) ,金太夫三中 (4世都太夫一中) ,秀太夫千中 (3世都太夫一中) らがあり,三中と千中は江戸に一中節を定着させた。
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