金崎古墳群(読み)きんざきこふんぐん

日本歴史地名大系 「金崎古墳群」の解説

金崎古墳群
きんざきこふんぐん

[現在地名]松江市西川津町 金崎

朝酌あさくみ川下流の低地を南に望む小丘陵上に造られた古墳群。国指定史跡前方後方墳二基と方墳九基が確認されていたが、昭和三八年(一九六三)ゆめおか住宅団地の造成に際して方墳六基が無許可のまま破壊され、現在は一号―五号墳の五基の古墳が団地内に保存されている。一号墳は同二二年に京都大学の梅原末治と島根師範学校の山本清らが発掘を行い、史跡整備に伴って同五一年に松江市教育委員会が再調査した。


金崎古墳群
かなさきこふんぐん

[現在地名]皆野町金崎 大堺・岩下

荒川左岸の段丘上、秩父盆地の入口にあたる地理上の要衝に位置する。大堺おおさかい一―三号墳と天神塚てんじんづか古墳の四基が現存し、県指定史跡。この四基はいずれも円墳で、大堺二・三号墳、天神塚古墳の三基は石室が開口しており結晶片岩で構築されたことが判明している。天神塚古墳は、石室の形態が短冊形埴輪が装置されており六世紀後半の築造とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金崎古墳群」の意味・わかりやすい解説

金崎古墳群 (きんざきこふんぐん)

島根県松江市西川津町金崎の低丘陵上にある前方後方墳2基(1,5号)と方墳9基(2~4号,6~11号)の計11基からなる古墳群。現在は1~5号墳を残すのみで,他は団地造成により消滅している。盟主墳とみられる1号墳は,全長約36mの前方後方墳で,1946年梅原末治らにより発掘され,76年に松江市教育委員会が再発掘した。葺石(ふきいし)はなく,後方部に円筒埴輪を用い,前方部で家形・人物埴輪の破片が出土した。主体部は後方部墳頂に設けた礫床を伴う長さ4m,幅・高さともに1mの割石積み竪穴式石室副葬品として,仿製内行花文鏡,大刀,刀子,鋤先,矛,滑石製子持勾玉および各種の玉類と多種須恵器が出土した。特に須恵器は古い特徴をもち,器種も豊富で山陰の須恵器編年の重要な資料とされる。規模はさほどでもないが,四角い系統の古墳のみによって形成された初期の群集墳として貴重である。1957年国の史跡に指定。
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国指定史跡ガイド 「金崎古墳群」の解説

きんざきこふんぐん【金崎古墳群】


島根県松江市西川津町にある古墳群。島根大学の裏手にある、朝酌(あさくみ)川下流の低地を南に望む小丘陵にある古墳時代中期の古墳群である。方墳と前方後方墳からなる。もとは11基ほどの古墳があったが、団地造成で6基が失われ、1号墳から5号墳まで5基が保存されている。調査によって、1号墳は全長36mの前方後方墳で、主体部の内部構造は割り石積みの竪穴(たてあな)式石室であることが明らかになった。石室から、内行花文鏡や勾玉(まがたま)、棗玉(なつめだま)、小玉、子持勾玉、鉄製刀身、須恵器(すえき)など豊富な副葬品が出土した。なかでも須恵器は山陰地方で最も古い形式に属し、器台、鈴付高坏(たかつき)、異形連管小壺(いけいれんかんこつぼ)などは類例も少なく、古墳に葬られた人物の身分を示していると考えられる。前方後方墳、方墳などを含むものとして山陰地方における特異な存在であり、古墳文化を考えるうえで貴重なものとして、1957年(昭和32)に国の史跡に指定された。JR山陰本線松江駅から市営バス「西川津町」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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