金栗四三(読み)カナクリシソウ

デジタル大辞泉 「金栗四三」の意味・読み・例文・類語

かなくり‐しそう〔‐シサウ〕【金栗四三】

[1891~1983]マラソン選手・指導者熊本の生まれ。本姓、池部。「かなぐりしぞう」とも。1912年(明治45)開催の第5回オリンピックに、短距離走三島弥彦とともに初の日本代表として参加。また、教育を通じスポーツの普及に尽力した。

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共同通信ニュース用語解説 「金栗四三」の解説

金栗四三

金栗四三かなくり・しそう 1891年、現在の熊本県和水町なごみまち生まれ。東京高等師範学校(現筑波大)に入り、五輪マラソン選手の国内選考会で世界記録を27分縮めるタイムを出す。1912年ストックホルム五輪に日本で初めて出場するが、体調不良で途中棄権。現地では「消えた日本人」として知られる。16年ベルリン五輪の中止を経て、20年アントワープ五輪は16位。24年パリ五輪を最後に第一線から引退する。選手活動の一方でマラソンの指導や普及にも尽力し、20年には箱根駅伝創設した。

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20世紀日本人名事典 「金栗四三」の解説

金栗 四三
カナグリ シゾウ

明治〜昭和期のマラソン選手 全国マラソン連盟会長;日本陸上競技連盟顧問。



生年
明治24(1891)年8月20日

没年
昭和58(1983)年11月13日

出生地
熊本県春富村(現・三加和町)

本名
池部 四三

学歴〔年〕
東京高師(現・筑波大学)〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
西日本文化賞〔昭和28年〕,玉名市政文化功労章〔昭和30年〕,紫綬褒章〔昭和30年〕,熊本県近代文化功労章〔昭和32年〕,国際オリンピック委員会銅メダル〔昭和37年〕

経歴
東京高師在学中の明治45年ストックホルム五輪を皮切りに大正9年アントワープ五輪、同13年のパリ五輪と3回連続で五輪マラソンに出場。その後、東京女子師範などで教員生活のかたわらマラソンの普及指導に当たった“日本マラソンの父”。大正9年の箱根駅伝、昭和22年朝日マラソン(のち福岡国際マラソン)の創設に参加。戦後郷里の熊本で農耕をしながら、熊本県体育協会長、同県教育委員長などを務めた。

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改訂新版 世界大百科事典 「金栗四三」の意味・わかりやすい解説

金栗四三 (かなぐりしぞう)
生没年:1891-1983(明治24-昭和58)

マラソン選手,指導者。本名池部四三。熊本県出身。玉名中学から東京高等師範学校に進み嘉納治五郎校長に長距離選手としての能力を見いだされる。1912年ストックホルムで開催の第5回オリンピック大会に短距離の三島弥彦(東大)とともに,日本最初のオリンピック選手として参加,マラソンに出場したが,疲労して18kmで倒れ棄権した。これを契機にマラソンに一生を捧げることを決意下関~東京,東京~青森間などを走破してマラソンの普及に努め,その間,20年(アントワープ)と24年(パリ)のオリンピックに連続出場したが,入賞の悲願は達せられなかった。戦後いち早く同志を集めて〈日本のマラソンを強くする会〉を結成し,47年12月福岡市で〈金栗賞朝日マラソン〉(〈福岡国際マラソン〉の前身)が開催された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「金栗四三」の意味・わかりやすい解説

金栗四三【かなぐりしぞう】

マラソン選手,指導者。熊本県出身。本名池部四三。1912年東京高等師範在学中,陸上の三島弥彦とともに日本最初のオリンピック選手として1912年のストックホルムオリンピックに参加。この大会でのマラソン途中棄権の体験を機に,マラソンに一生を捧げることを決意。下関〜東京,東京〜青森間などを走破し,1920年のアントワープオリンピック,1924年のパリオリンピックにも出場。第2次世界大戦後,〈日本のマラソンを強くする会〉を結成。福岡国際マラソンの前身である〈金栗賞朝日マラソン〉を1947年12月福岡市で開催。全国マラソン連盟会長としてマラソン普及に努めた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金栗四三」の意味・わかりやすい解説

金栗四三
かなぐりしぞう

[生]1891.8.20. 熊本
[没]1983.11.13. 熊本
陸上競技選手。1914年東京高等師範学校本科卒業。全国マラソン連盟会長,日本陸上競技連盟顧問。在学中の 1912年ストックホルム・オリンピック競技大会に初の日本選手として三島弥彦とともに出場,1920年アントワープ大会,1924年パリ大会にも参加した。1913年の第1回大会から日本選手権マラソンに 3連覇。1947年マラソンの指導と普及に対する功績を記念して,金栗賞朝日マラソン(→福岡国際マラソン)が設けられた。1955年紫綬褒章,1958年朝日文化賞を受けた。(→アントワープ・オリンピック競技大会パリ・オリンピック競技大会

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金栗四三」の意味・わかりやすい解説

金栗四三
かなくりしそう
(1891―1983)

陸上競技マラソン選手。熊本県玉名郡出身。東京高等師範学校卒業。日本選手がオリンピック大会に初参加した1912年(明治45)第5回ストックホルム大会の参加者2人のうちの1人。このときのマラソンは15キロメートルで棄権したが、1920年(大正9)のアントワープ大会(16位)、1924年のパリ大会(途中棄権)と計3回出場。日本のマラソン史には欠くことのできない人である。この間、下関―東京、樺太(からふと)―東京間などを走破した。熊本県教育委員会委員長、日本陸上競技連盟会長などを歴任。教育、スポーツ界に尽くした功績で、1955年(昭和30)には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を授与されている。

[石井恒男 2020年4月17日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金栗四三」の解説

金栗四三 かなぐり-しぞう

1891-1983 明治-昭和時代の陸上競技選手。
明治24年8月20日生まれ。45年ストックホルム五輪に三島弥彦とともに日本最初の代表選手として参加,マラソンに出場。アントワープ五輪,パリ五輪にも参加。マラソンの強化をめざして全国各地で指導にあたった。日本陸上競技連盟会長。昭和58年11月13日死去。92歳。熊本県出身。東京高師卒。
【格言など】体力,気力,努力(信条)

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367日誕生日大事典 「金栗四三」の解説

金栗 四三 (かなぐり しぞう)

生年月日:1891年8月20日
明治時代-昭和時代のマラソン選手。全国マラソン連盟会長;熊本県体育協会長;熊本県教育委員長
1983年没

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世界大百科事典(旧版)内の金栗四三の言及

【マラソン】より

…日本でも1979年に女性だけの東京国際女子マラソンが初めて行われ,以後女子だけの大会も開かれるようになった。 日本最初のマラソンは1911年に行われたストックホルム・オリンピック国内予選会で,のちに日本の〈マラソンの父〉といわれた金栗四三が優勝。以来,日本の人気種目の一つとなり,36年のベルリン・オリンピックでは朝鮮出身の孫基禎が優勝した。…

※「金栗四三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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