日本歴史地名大系 「金生遺跡」の解説
金生遺跡
きんせいいせき
八ヶ岳南麓の標高七六〇―七八〇メートルの尾根上に位置する。この尾根上には平安時代の集落跡である
A区は縄文時代後・晩期を中心とした集落跡で、後期一一軒、晩期一六軒、後期から晩期一一軒をはじめとして前期・中期も含め四一軒もの住居跡や配石遺構四群、石棺状遺構一六基、それに土壙八基などが発見された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
八ヶ岳南麓の標高七六〇―七八〇メートルの尾根上に位置する。この尾根上には平安時代の集落跡である
A区は縄文時代後・晩期を中心とした集落跡で、後期一一軒、晩期一六軒、後期から晩期一一軒をはじめとして前期・中期も含め四一軒もの住居跡や配石遺構四群、石棺状遺構一六基、それに土壙八基などが発見された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…八ヶ岳高原には牧場,草原が広がり,スズラン,ツツジの大群落や,美し森,川俣渓谷,天女山,谷戸城跡など景勝地が多く,1980年代以降,リゾート地として開発が進んでいる。縄文晩期の金生遺跡があり,配石遺構で知られる。【萩原 毅】。…
…本来は信仰・祭祀にかかわるいっさいの遺跡を総称すべきであるが,日本考古学では,遺構の状況や遺物の性質から,その場あるいはその近くで祭祀が行われたと判断される遺跡,遺構を祭祀遺跡,祭祀遺構と呼び,寺院など恒久的施設の遺跡は別に扱う。またヨーロッパ考古学では,祭祀にかかわる遺物が一括して多量に見いだされる遺跡は,むしろデポの一種としている。集落遺跡や生産遺跡,墓以外と判断される性格不明の遺跡を祭祀と関係づけて解釈するのは,世界の考古学に共通である。…
…配石下部からは墓壙の可能性が考えられる土坑が検出されている。ストーン・サークルではないが,ほかに大規模な配石遺構として山梨県の金生(きんせい)遺跡(縄文時代後・晩期)が注目される。【鈴木 保彦】。…
※「金生遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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