金生遺跡(読み)きんせいいせき

日本歴史地名大系 「金生遺跡」の解説

金生遺跡
きんせいいせき

[現在地名]大泉村谷戸

八ヶ岳南麓の標高七六〇―七八〇メートルの尾根上に位置する。この尾根上には平安時代の集落跡である城下じようした遺跡をはじめとして、中世城館跡としてよく知られる谷戸やと城跡長坂ながさか町の深草ふかくさ館跡などの遺跡がある。縄文時代後・晩期と戦国時代後期を中心とした遺跡で、圃場整備事業に先立ち昭和五五年(一九八〇)発掘調査が行われた。縄文時代の遺構のうちとくに配石遺構住居群の集中する三四〇〇平方メートルの範囲は国指定史跡。現在は史跡公園として住居や配石の復原整備がなされている。調査区域は便宜上北側のA区と南側のB区とに区分されている。

A区は縄文時代後・晩期を中心とした集落跡で、後期一一軒、晩期一六軒、後期から晩期一一軒をはじめとして前期中期も含め四一軒もの住居跡や配石遺構四群、石棺状遺構一六基、それに土壙八基などが発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「金生遺跡」の解説

きんせいいせき【金生遺跡】


山梨県北杜(ほくと)市大泉町にある集落跡。八ヶ岳南麓のほぼ中央部、標高770m付近の尾根上に位置し、北側(A区)の縄文時代後期~晩期の遺跡と南側(B区)の中世の城館跡からなる。中部地方の大規模な配石遺構がある代表的な集落として貴重であり、その一部が1983年(昭和58)に国の史跡に指定された。遺跡のA区からは住居跡41軒が発見され、うち38軒は後期~晩期のもので、遺跡の特徴である配石遺構が5基発見された。また、住居跡や配石遺構の内外からは土偶や耳飾り、土器石器、石剣、石棒、イノシシ下顎(かがく)骨などの容器類や道具類など、日常生活用具や祭祀遺物が多く出土している。B区からは柱穴列の建物10軒以上と堀跡、溝、水溜めと思われる石組み遺構、墓坑などが発見され、地下式土坑も49基見つかって墓に関わる施設と考えられる。これらの遺構は、市内長坂町の深草館跡の北側に位置しており、この館跡に関わる外郭部の遺構と思われる。出土遺物は、陶磁器類・土器類、石臼(いしうす)・茶臼などの石製品古銭・鈴・火打ち金などで、八ヶ岳山麓には存在しない花崗岩などが出土していることから遠方との交流もあったと推測できる。現在は史跡公園として整備され、一般公開されている。JR中央本線長坂駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の金生遺跡の言及

【大泉[村]】より

…八ヶ岳高原には牧場,草原が広がり,スズラン,ツツジの大群落や,美し森,川俣渓谷,天女山,谷戸城跡など景勝地が多く,1980年代以降,リゾート地として開発が進んでいる。縄文晩期の金生遺跡があり,配石遺構で知られる。【萩原 毅】。…

【祭祀遺跡】より

…本来は信仰・祭祀にかかわるいっさいの遺跡を総称すべきであるが,日本考古学では,遺構の状況や遺物の性質から,その場あるいはその近くで祭祀が行われたと判断される遺跡,遺構を祭祀遺跡,祭祀遺構と呼び,寺院など恒久的施設の遺跡は別に扱う。またヨーロッパ考古学では,祭祀にかかわる遺物が一括して多量に見いだされる遺跡は,むしろデポの一種としている。集落遺跡や生産遺跡,墓以外と判断される性格不明の遺跡を祭祀と関係づけて解釈するのは,世界の考古学に共通である。…

【ストーン・サークル】より

…配石下部からは墓壙の可能性が考えられる土坑が検出されている。ストーン・サークルではないが,ほかに大規模な配石遺構として山梨県の金生(きんせい)遺跡(縄文時代後・晩期)が注目される。【鈴木 保彦】。…

※「金生遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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