谷戸城跡(読み)やとじようあと

日本歴史地名大系 「谷戸城跡」の解説

谷戸城跡
やとじようあと

[現在地名]大泉村谷戸 城山

逸見清光居城と伝える山城。標高八五二メートル。国指定史跡。「高白斎記」天文一七年(一五四八)九月六日条に「矢戸御陣所」とみえる。「甲斐国志」によると、平安時代末の逸見冠者清光の居城といわれ、天正一〇年(一五八二)小田原北条勢が入ったという。昭和五七年(一九八二)一部試掘調査が行われ、横堀や青磁片と内耳土器・洪武通宝などを検出している。また平成四年(一九九二)から同六年にかけて遺構確認調査が行われ、空堀を確認し、一五世紀以降にも使用されていたことが推測される。山頂には周囲を高さ一―二メートルほどの土塁によって囲まれた台形を呈する郭があり、この内側に土塁を伴う三角形の主郭がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「谷戸城跡」の解説

やとじょうあと【谷戸城跡】


山梨県北杜(ほくと)市大泉町にある城跡。八ヶ岳南麓のすそ野にある標高862mの城山(茶臼(ちゃうす)山)の尾根上に位置し、甲斐源氏の祖、平安時代末期の逸見冠者(へみのかじゃ)清光の居城と伝えられる城跡である。逸見清光は常陸国武田荘を拠点とし、武田冠者を名のった源義清(みなもとのよしきよ)の子で、配流された甲斐国に土着し、清光の次男信義が武田姓に復して、甲斐武田氏の初代となった。『甲斐国志』には、北条氏直(うじなお)と徳川家康が武田氏滅亡後の甲斐国をめぐって対立した、1582年(天正10)の争乱で谷戸城が北条方の城となり、大幅な修築がなされたと記されている。遺構は山頂にある周囲を0.5~2mほどの土塁で囲んだ東西30m、南北40mの平坦地を主郭とし、東・北・西側にも郭(くるわ)を設けている。試掘調査では土塁に沿った横堀や礎石の一部、蓮弁文青磁椀の破片や15世紀ごろの内耳土器、洪武通宝(こうぶつうほう)などが出土した。1993年(平成5)に国の史跡に指定された。周辺の城下集落南西にある城下遺跡では平安期の集落が発掘されて、石帯や12世紀後半の常滑(とこなめ)焼破片、12世紀後半~13世紀のものと推定される中国青磁や白磁の破片、白かわらけが出土している。谷戸城一帯には御所町屋、対屋敷といった地名が残り、谷戸城北西には源氏との関連を示す白旗社(白旗明神)があることから、甲斐源氏発祥の地とする伝承中世を通じてこの地域の拠点の城としての役割を果たした初期武田氏に関わる城として、重要な遺跡といえる。JR中央本線長坂駅から北杜市民バス「JA大泉支店」下車、徒歩約8分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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