鈴々舎馬風(読み)レイレイシャ バフウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鈴々舎馬風」の解説

鈴々舎 馬風(4代目)
レイレイシャ バフウ


職業
落語家

本名
色川 清太郎

別名
前名=金原亭 馬治,金原亭 武生

生年月日
明治37年 8月30日

出生地
東京・本所

経歴
大正10年6代目金原亭馬生(のちの4代目古今亭志ん生)の門に入り、金原亭馬治。13年金原亭武生と改め、昭和2年4代目鈴々舍馬風を襲名し、真打ち。漫談めいた語り、声色落語パロディなどに独自の才を発揮毒舌奇行で売った。

没年月日
昭和38年 12月15日 (1963年)

伝記
忘れえぬ落語家たち私の出会った落語家たち―昭和名人奇人伝芸人論〈1〉鬼籍の名人地球の上に朝がくるさらば、愛しき芸人たち落語長屋の知恵 興津 要 著宇野 信夫 著立川 談志 著池内 紀 著矢野 誠一 著矢野 誠一 著(発行元 河出書房新社河出書房新社講談社筑摩書房文芸春秋青蛙房 ’08’07’02’92’89’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴々舎馬風」の意味・わかりやすい解説

鈴々舎馬風(10世)
れいれいしゃばふう[じっせい]

[生]1939.12.19. 千葉,野田
落語家。本名寺田輝雄。実家は理髪店で,国際文化理容学校卒業。1956年 5世柳家小さんに入門し,前座名は柳家小光。1960年二つ目に昇進し,柳家かゑると改名。二つ目時代はキャバレーの歌謡ショーの司会キックボクシングのリングアナウンサーで活動。5世立川談志が司会を務めていた『やじうま寄席』(日本テレビ放送網系)などにも出演。1973年真打ちに昇進。1976年 10世鈴々舎馬風を襲名。先代が「鬼の馬風」と呼ばれた豪傑だったため,馬風を継ぐのはかゑるが適任といわれていた。自作の新作落語に『会長への道』がある。「落語界は長生き長老がなかなか死なないから出世ができない」という内容だが,2006年には落語協会会長に就任。2010年退任し最高顧問となる。得意ネタは身辺雑記を綴る『峠の茶屋』『男の井戸端会議』のほか,小さん譲りの『親子酒』『高砂や』など。著書『会長への道』(1996)。(→落語

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20世紀日本人名事典 「鈴々舎馬風」の解説

鈴々舎 馬風(4代目)
レイレイシャ バフウ

昭和期の落語家



生年
明治37(1904)年8月30日

没年
昭和38(1963)年12月15日

出生地
東京・本所

本名
色川 清太郎

別名
前名=金原亭 馬治,金原亭 武生

経歴
大正10年6代目金原亭馬生(のちの4代目古今亭志ん生)の門に入り、金原亭馬治。13年金原亭武生と改め、昭和2年4代目鈴々舍馬風を襲名し、真打ち。漫談めいた語り、声色、落語のパロディなどに独自の才を発揮、毒舌と奇行で売った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴々舎馬風」の解説

鈴々舎馬風 れいれいしゃ-ばふう

1904-1963 昭和時代の落語家。
明治37年8月30日生まれ。6代金原亭馬生(4代古今亭志ん生),4代蝶花楼馬楽(4代柳家小さん)の門人。昭和2年馬風を襲名,真打となる。落語家の物まねと毒舌で人気があった。昭和38年12月15日死去。59歳。東京出身。本名は色川清太郎。前名は金原亭馬治,古今亭今之助,武生。

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367日誕生日大事典 「鈴々舎馬風」の解説

鈴々舎 馬風 (れいれいしゃ ばふう)

生年月日:1939年12月19日
昭和時代;平成時代の落語家。落語協会会長

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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