女たちが世間話に興じ続けて時間の経過も忘れるさまを男が皮肉まじりに評した言葉。転じて,とりとめのない長談義をいう。明治半ばごろの日本の都市生活において,共同井戸で炊事や洗濯をしながら主婦たちがおしゃべりにふけるさまを,官庁や会社などでようやく定着しはじめた会議という討議決定方式になぞらえてつけた言葉が愛用されたものである。共同井戸は,木造平屋建ての長屋とともに,初期の日本の都市の密集住宅地域につきものの設備であった。素掘りの井戸がポンプ式となり,上水道に変わってのちも,路地の水栓を十数世帯が共同使用する慣習は第2次世界大戦後まもない時期まで広く行き渡っていた。農村から流入した新しい住民にとっては,買物のニュースや近所のうわさ話から始まる井戸端の会話が,もっとも日常的な情報源であり格別の出費を要しない慰安でもあった。太平洋戦争にのぞんで,政府が隣組という近隣組織をつくって国民動員の末端の機構としたとき,もともと不定形な井戸端会議の付き合いはこれにのみこまれてしまった。戦後には世帯ごとにキッチンやバスユニットをもつ団地やマンションが普及して,共同井戸や共同水栓は消えていった。その一方で,女性の社会進出によって長談義の方法や場所は拡大している。知友との長電話の慣習は青少年男子にも及び,教養講座やスポーツ教室が新しいおしゃべり相手を得る場としてもにぎわっている。
執筆者:荒瀬 豊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報