鉄舟寺(読み)テッシュウジ

デジタル大辞泉 「鉄舟寺」の意味・読み・例文・類語

てっしゅう‐じ〔テツシウ‐〕【鉄舟寺】

静岡県静岡市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は補陀洛山。推古天皇の時に久能山上に創建と伝え、久能寺と称した。現在地には武田信玄築城のため移転。明治16年(1883)山岡鉄舟が復興し、現名称とした。

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精選版 日本国語大辞典 「鉄舟寺」の意味・読み・例文・類語

てっしゅう‐じテッシウ‥【鉄舟寺】

  1. 静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は補陀落山。推古天皇のころの創建と伝えられる。はじめは久能山にあり久能寺と称したが、永祿一一年(一五六八)、武田信玄の久能山占領により現在地に移された。明治一六年(一八八三)山岡鉄舟が再興したのにちなみ現名に改称所蔵する久能寺経法華経)は国宝

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日本歴史地名大系 「鉄舟寺」の解説

鉄舟寺
てつしゆうじ

[現在地名]清水市村松

有度山うどさん丘陵東麓に位置する。補陀落山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は木造千手観音立像(県指定文化財)前身は久能寺(現静岡市)で明治一六年(一八八三)山岡鉄舟が荒廃していた久能寺に仮本堂を建て、臨済りんざい(現静岡市)を経て京都妙心寺管長となった今川貞山を招いて開山として再興。寺号は山岡鉄舟にちなむ。永禄一一年(一五六八)駿河国に侵入した武田氏は久能山に城郭を構え、天正三年(一五七五)武田勝頼は久能寺に替地として矢部やべの妙音寺領を与えた(久能寺文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉄舟寺」の意味・わかりやすい解説

鉄舟寺
てっしゅうじ

静岡市清水(しみず)区村松(むらまつ)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。補陀洛(ふだらく)山と号する。本尊は千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)。もとは現在の久能(くのう)山上にあって久能寺と称し天台密教系の寺であった。推古(すいこ)天皇のとき、守護の久能忠仁が黄金の千手観音像を本尊として一堂を建てたのが始まりで、723年(養老7)には行基(ぎょうき)が七堂伽藍(がらん)を建てたといわれる。鎌倉時代には源頼朝(よりとも)が保護を加え、武田信玄(しんげん)が寺を現在地に移して、もとの寺跡に久能山城を築いた。現在の久能山東照宮はその城跡に建てられたもの。そのとき寺は真言(しんごん)宗に改められたが、やがて荒廃した。1883年(明治16)山岡鉄舟が当時の妙心寺派管長今川貞山を開山として再興し、久能山鉄舟寺と改称した。寺宝に平安期の装飾経として名高い『法華経(ほけきょう)』(『久能寺経』、国宝)19巻、康治(こうじ)元年(1142)銘の錫杖(しゃくじょう)(国重要文化財)、県指定文化財の『大般若経(だいはんにゃきょう)』(旋風葉装折本)600巻などがある。

菅沼 晃]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鉄舟寺」の意味・わかりやすい解説

鉄舟寺
てっしゅうじ

静岡県静岡市清水にある臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は千手観音。山岡鉄舟が 1883年に,荒廃していた久能寺を再興して鉄舟寺とした。久能寺は,推古天皇の時代に草堂が建てられたと伝えられ,行基が再興して久能寺と称し,平安時代には天台宗の寺院であった。国宝『久能寺経』をはじめ,多くの寺宝を所蔵。また『権律師円恵久能寺譲状』などの中世文書を伝える。

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デジタル大辞泉プラス 「鉄舟寺」の解説

鉄舟寺

静岡県静岡市清水区にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は補陀落山。本尊は千手観音。もとは久能山上にあった天台宗の寺、久能寺。武田信玄が久能山城築城のため、現在地に移す。江戸後期には衰退したが、1883年に山岡鉄舟が再興して改称。国宝「久能寺経」を所蔵。

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