翻訳|key
戸,引出し,箱などに取りつけ,差しかためて,しまりとする器具を錠あるいは錠前lockといい,これを開閉する具を鍵という。一対で用いられ,一般に〈鍵をかける〉などというように両者は混同されることが多い。錠の起源は古く,現存するもののうち最古のものはニネベの宮殿址から発見された木製の錠である。今日でも雨戸などに使われている〈さる〉や閂(かんぬき)などの木製の差込み棒も,単純な形式の錠であり,この原理は西洋も東洋もかわらない。
中国で鍵(けん)とか鑰(やく)とかの字は,すでに周,漢の文献に見えているが,とくに遺品というべきものはない。ただ〈五寸の鍵〉とか〈一尺の鍵〉とかいう言葉があるから,かなり長かったものにちがいない。《礼記(らいき)》月令の注に〈鍵は牡(ぼ),閉は牝(ひん)なり,管籥(かんやく)は鍵を搏(う)つの器なり〉というから,漢代には唐代のような鍵があったものと推定される。唐代の鍵はいくらも現存し,青銅金めっきや銀製のものがある。それは正倉院でも見られるように,身のまわりにおく手箱や厨子(ずし)の鍵であって,毛彫や魚々子(ななこ)をうって美しい。もちろん門の扉用などには鉄製の大きなものも作られていたにちがいない。構造はみな同じで,三つの部分からなる。一つは〈閉(つつ)〉すなわち管(図1の(4)-a)。これにはめるのが〈鍵(ばね)〉(b)。牝牡のたとえはこれをいう。〈ばね〉は〈つつ〉の中に入って開くから,これで抜けなくなり,しまるわけである。だから,これをあけるためには第3の器(c)がいる。それが〈鑰(かぎ)〉である。籥とも書き,唐代には鑰匙(やくし)といい,日本では〈さじ〉といっている。長い棒の一端に穴があったり,切込みがあったりして,これで〈ばね〉をしめつけてすぼめ,押し出す。この鑰匙に対し,鉤匙(こうし)というものがある。《和名抄》では〈とのかぎ〉と読み,曲がった鍵で戸の閂をあけるものである。閉,鍵,鑰をひっくるめて鏁子(さし)といい,これから〈じょう(錠)〉の語がでたという。
日本でも錠,鍵は古くからあったらしいが,その形や原理はわからない。唐制をまねたのは飛鳥・奈良朝以来で,その遺品は正倉院その他にある。正倉院では手まわりの調度品につくものが多いが,これは調度品からは遊離して,器物の扉とか器と蓋には鐶(かん)がつけてある。この鐶をそろえて,これに〈つつ〉についている長い棒を差しとおし,それから〈ばね〉の鐶をとおして〈ばね〉を押しこむ。だから左右に開く場合は水平につき,上に開く場合は鍵口を上に垂直につける。東大寺鎮壇具についていた蟬の形をした錠は,その口のところに鍵口がついている。日本でも中国でも,この種のものがながく使われたが,中国ではその棒が短くなって,ついに今日の形になった。江戸時代には工芸的な太鼓錠や海老(えび)錠などが作られた。南京錠といわれるものは,西洋の影響でもう一歩改良されたもので,〈つつ〉と〈ばね〉が1器になり,〈ばね〉の棒が曲がり,鍵が一方から押すのでなく,中で一回転してあくようになっている。
執筆者:水野 清一
ごく初歩的な錠前は扉の内側につけた閂であるが,木や金属の横木のかわりに,紐の先端に結び目をつけたものも用いられた。エジプトでは前2000年ころ,閂に止め木をおろし,これを歯のついた鍵であける錠前が使われた。鎌のように曲がった素朴な鍵を外側の穴から差し込んで閂を持ち上げる方法は,ながく北ヨーロッパに残っていた。3本の歯のついた鍵で閂の止め木を上げるものは,〈スパルタの鍵〉と呼ばれていた。ローマ時代には衣服にポケットがなかったので,指輪に鍵をつけたものがあった。中世には大型(20cmくらいまで)の鍵が用いられ,その歯は軸に旗をつけたような形で,はなはだ複雑な刻み目(切抜き)がほどこされた。今日,卍(まんじ)模様や雷文を鍵模様というのは,昔の鍵の切抜模様のなごりである。14世紀まではおもに青銅の鍵が使われ,鍵の頭部bow(輪孔)の飾りはたいてい三つ葉の形で,その中をくり抜いていろいろの形が描かれた。16世紀になるとこの頭部の飾りはいっそう精巧になり,動物その他の形が表され,17世紀のフランスには貴金属をつかって芸術的で優美な鍵を作る金工があらわれ,イギリスではチャールズ2世の時代,薄く平らにした鍵の頭部に手ぎわのよい打抜きで渦巻模様,組合せ文字,注文主の紋章などを表したものを作り,フランスに輸出し,フランスとイギリスの間で競争が行われたこともあった。18世紀から19世紀にかけて,ヨーロッパの多くの宮廷では侍従職のもつ精巧な儀礼用の鍵が作られ,それらの頭部は王冠や王家の紋章や組合せ文字によって飾られた。黄金鍵章gold keyはイギリス侍従長の標章であった。
執筆者:春山 行夫
古くから用いられていた南京錠にはスプリングボルト式やウォード式があり,前者は錠前に板ばねの力ではまり込んだ閂を鍵で押し出すしくみ,後者は錠前内部の障害物を通過する鍵だけが一回転し解錠できるしくみであった。中世には錠前と鍵は装飾に凝るようになり,ウォードの構造も複雑化しながら1000年以上使われたが,18世紀初めになるとレバータンブラー式が開発された。一方,錠前をこじあける技術も進み,1817年にはイギリスのポーツマスの海軍工厰でも錠前をあけられ侵入されたため,新型の錠前の発明に100ポンドの賞金がかけられたりもした。錠前師J.チャブは,にせの鍵ではあかないうえ,後で本物の鍵であけようとしたときに異常がわかる錠前を考案して,この賞金を獲得した。1860年代のアメリカでは,ニトログリセリンを鍵穴から流し込んで金庫を破壊する犯行がおこったため,J.サージェントは金庫用に符号錠(ダイヤル錠)を開発,鍵穴をなくすことに成功した。家庭錠では1784年ブラマーが開発したブラマー錠を基礎とするピンタンブラー錠やディスクタンブラー錠,マグネットタンブラー錠が現在の主流を占めている。
日本では濠や迷路を多用した城郭建築,隣保組織に見られるように,錠前以外のもので侵入や盗みを防ぐ工夫が発達していた。現存する最古の錠前は約1200年前のものと推定されるスプリングボルト式の錠で,その形から海老錠と呼ばれている。中国から渡来し,貴族の貴重品箱や寺の経文蔵などに使用されていたと考えられている。江戸時代には武器庫の矢倉錠,商家の蔵錠やたんすの錠,銭箱(ぜにばこ)の錠などがあり,奉公人などの盗みを防いだ。これら明治以前の錠前師の技術は継承されず,明治時代に洋風建築とともに欧米の錠前と鍵が輸入されたのちは,その模倣から発展していった。しかし現在も鍵をかける習慣は定着しているとはいえない。警察庁では〈ワンドア・ツーロック〉を標語に補助錠の設置を推進する一方,1981年より構造,強度,技術的解錠などについてCP(crime preventionの略)マークの認定を行っている。最近では電気錠とテンキー(コンピューター内蔵の押しボタン式錠)やカード(磁気カード)の組合せにより,鍵なしで施・解錠ができる装置がある。遠隔操作のできる制御器による集中コントロール方式も実用化されている。
執筆者:殖田 友子
今日使用されている錠には,閂などの古くからあるものから高精度のシリンダー錠,さらに他の装置と連動させて使うシステム錠まで非常に多くの種類がある。
錠はその施錠機構からみると,鍵がついておらずノブ(握り玉)を回転することで空締め(そらじめ)ボルト(ラッチボルト)を出し入れして扉の開閉を行う空錠(そらじよう)と,鍵で本締めボルト(デッドボルト)を動かして鍵で解錠しなければあかないようにできるものの2種に分けられる。前者は単に扉が風などであおられないように仮締めしておくもので,一般に,単独では室内の扉などに用いられる。ふつうに錠といった場合は後者を指すことが多く,これには広く用いられているものとして,棒状の鍵(棒鍵)を鍵穴に差し込んで回転させ,鍵の突起部で鍵内部のレバーを動かして施・解錠するレバータンブラー錠(棒鍵錠ともいう),扉側につく外筒と鍵を差し込む内筒からなり,鍵で内筒を回転させて施・解錠するシリンダー錠がある。シリンダー錠はさらに内筒の回転を阻止する機構により次のような種類に分けられる。(1)ピンタンブラー錠 板鍵を用い,内筒と外筒にまたがる数個のピンを鍵の凹凸で押し上げてピンとシリンダーの結合をはずし,シリンダーを回転させて本締めボルトを動かして施・解錠するもの。ピンは単列式および複列式がある。(2)ディスクタンブラー錠 内筒の回転を阻止するのにピンのかわりに数枚の板(ディスクタンブラー)を用いたもの。鍵を差し込むと鍵の凹凸によりディスクタンブラーが内筒内におさまる。(3)マグネットシリンダー錠 いわゆる電子ロック,電子錠などと呼ばれているものであるが,実際は磁石を利用したものである。すなわち,内筒の回転を阻止しているピンと鍵本体に,相互に反発する磁石がはめ込まれており,鍵を差し込むと磁石どうしの反発力によりピンが押し上げられて内外筒の結合がはずれる。このほか最近ではシリンダー内にレバータンブラー錠が数列並んだ形式のロータリーディスクシリンダー錠もある。
本締めボルトと空締めボルトなどの組合せ方にもいろいろな形式があるが,基本的には,箱型ケースの中に本締めボルトと空締めボルトおよびこれらの開閉機構をおさめた箱錠,ノブに鍵穴を設け空錠にシリンダー錠を組み込んだモノロック錠,ノブ,空締めボルトがなく本締めボルトだけで施・解錠する本締り錠などになる。また錠の取りつけ方法には,扉の框(かまち)の厚みの中に彫り込んで取りつける彫込錠,内側から扉面に取りつけた露出型の面付(つらつけ)錠,錠本体は持ちはこびができ,半円形に曲がった棒を掛け金にとおして施錠する南京錠などの形式がある。
一つの基本の錠からは多数の異なった鍵と錠の組合せを作ることができるが,とくにシリンダー錠の場合,鍵の変化は無数にあるといっても過言ではなく,一つの建物で鍵の種類が数十から数百になることも珍しいことではない。このように鍵の種類が多いことは防犯などの面からは好ましいが,反面,共同利用の建物などでは鍵の管理が複雑となり,また非常時にはかえって安全性を損なうことにもなりかねない。このため一つの鍵で多数の錠の施・解錠ができるようにしているのがふつうで,その鍵をマスターキーと呼ぶ。マスターキーのシステムには,それぞれ異なる錠を1本の鍵ですべて施・解錠できるマスターキー・システム,マスターキー・システムを備えた複数のグループの錠を別の1本の鍵で施・解錠できるグランドマスターキー・システム,集合住宅やオフィスビルなどの共通の出入口などに使用され,それぞれ異なる個々の鍵で特定の錠だけは施・解錠できるようにした逆マスターキー・システムなど,さまざまなものがある。
鍵を使用して解錠するかわりに錠の本体機構に電磁石を利用し,通電すると本締めボルトが引っ込む(またはノブが回せるようになる)電気錠,通電することにより扉枠側につく本締めボルトを受ける金物(ストライク部)が開き開扉できる電気ストライク錠などをシステム錠という。火災感知器や煙感知器,あるいは外部のインターホンなどの諸管理機構と組み合わせることにより,ホテル,銀行,オフィスビルなどの建物全体の総合安全システムを組むことができる。システム錠にはこのほか,磁気カードを利用したもの,音声を利用したものなども考案されている。
執筆者:岩崎 正義
ゲルマン人の間では,古くから妻は主婦として家事に必要な行為を主宰していたに相違なく,ドイツ法制史家グリムによると,鍵は主婦の地位の象徴であった。それはローマ人の間でも同様であって,新婦は鍵を与えられ,離婚された女は鍵の返還を要求された。このように離婚された女から鍵を取り戻すことは,ドイツ古法にも見える。後世でもヨーロッパではそれは同様である。イプセンの《人形の家》のノラも鍵をおいて夫の家を去った。チェーホフの《桜の園》でも鍵を捨てることは主婦の地位を去ることである。鍵が主婦の地位の象徴となったのは,家財や戸棚などの管理のために主婦が鍵をあずかることになっていたからであろう。ドイツ中世後半,都市法が行われた時期以後では,少なくとも日常に関する範囲内では,妻が夫の同意をまたず単独に取引できることが法律上認められるようになった。妻のこうした独立の処分権を学者は〈鍵の権力Schlüsselgewalt〉という。中国では家長も主婦も家務をあずかることから,ともに当家とか当家的とかいわれたが,主婦はとくに帯鑰匙的つまり〈鍵をもっている人〉といわれた。そして姑が嫁に鍵を渡すことは家務を渡すことであった。このことは文献の上では7~8世紀ころの唐代までもさかのぼることができる。主婦の地位の象徴としての鍵は,元代の戯曲や《金瓶梅》《紅楼夢》のような小説にも見いだされ,人民共和国が成立するまでは農村の慣習として珍しくはなかった。中国では主婦たる姑は,鍵をいつ嫁に渡してもさしつかえなく,またいつまで持っていてもさしつかえなかった。日本では,主婦の地位は鍵ではなくて〈しゃもじ〉〈へら〉で象徴され,主婦はそれをいつまで持っていてもさしつかえなかったのは中国と同様である。中国では鍵をにぎっている主婦は,日常の家事に関するかぎり,任意に取引もすれば,機織から煮たきまで日常の家事いっさいを切りまわし,家族を指図した。主婦は主婦なりの権威者であった。新中国においては,主婦の〈鍵の権力〉,つまりは姑の権威的地位の批判が行われている。
執筆者:仁井田 陞 キリスト教では,イエス・キリストがペテロに鍵を与えて〈われ天国の鍵をなんじに与えん〉(《マタイによる福音書》16:19)と述べたことから,ペテロは天国の門の番人といわれ,2個の鍵を手にした姿に描かれている。この2個の鍵は,ペテロの後継者であるローマ教皇のしるしとなり,一つは金,一つは銀で作られ,英語ではクロス・キーズcross keysと呼ぶ十字架の形を表し,この歴代の教皇にキリスト教徒最高の権威が与えられていることを,〈鍵の力〉(天国の扉の開閉権)が与えられているという。鍵は中世ヨーロッパの砦,城,都市などでも,その所有権や力や富の象徴と考えられていたので,それらの代表者が外来者に鍵を渡すことは,相手に城や都市を明け渡すことを意味していた。今日でも都市が親善の意味で,外国の都市や客に,儀礼的な都市の鍵を贈ったり渡したりすることが行われている。
執筆者:春山 行夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
錠を開閉するための金属の器具。西洋、東洋ともに古くからあり、錠と組み合わせて戸締りや貴重品を入れる器物の密閉に用いられるほか、単独で財産や力の象徴として、あるいは装飾品として利用されてきた。
鍵は、錠の機構の違いによって棒鍵とシリンダーキーcylinder keyとに分けられる。棒鍵は、レバータンブラーlever tumbler錠の開閉に用いるもので、シリンダーキーよりも大きい。棒鍵の突起部で、錠内部の数枚の跳ね板を移動させ、本締めボルトを出入りさせる。シリンダーキーは、シリンダーヘッドcylinder head錠、ピンタンブラーpin tumbler錠ともよばれるシリンダー錠を開閉するのに用いられる。シリンダー内に、ばねで押さえて並立させた数本のピンタンブラーの下端を、一直線にそろえるとプラグが回り、本締めボルトを出入りさせる。ピンタンブラーの長さや鍵穴に変化を与えることによって、シリンダー錠は無数の鍵違いをつくれるが、レバータンブラー錠に比べて鍵変化が生じやすい。
このほか、鍵という体裁をとらないが、同等の働きをするものがある。その一つは組合せ錠における暗号である。ダイヤル錠や文字合せ錠などは、その暗号の組合せを知る人にしか開けられない金庫や鞄(かばん)などに用いられている。他の一つは、電気錠を解き放つカードや手形、暗号の照合による電気信号である。電子計算機室や銀行などの防犯上の管理の厳しいところでは、カードや暗号、手形、声紋などの特殊な感応装置を用いて、登録された人のみが開閉できる仕組みになっている。また、最近では、磁気カードをキーとして用いるホテルも増え始めている。このように錠を開閉する最良の鍵は、つねにその時代の最先端の技術であるといえる。
また近年、建物の大型化、複雑化に伴い、管理・運営上のソフトウェア面からの、多数の鍵に対するキーシステムが必要になってきている。
[中村 仁]
エジプトでは、紀元前2000年ごろの寺院の壁画から、すでに大きな歯ブラシ型の木製の鍵を使っていたことが知られ、これが世界最古の鍵とされている。扉に開けてある穴に手を入れ、内側の錠に鍵を差し込み、突起でピンを持ち上げてかんぬきを外し、扉を開けた。古代の木製の鍵は大きくて、前8世紀の『旧約聖書』の「イザヤ書」(22章)に、「わたしはまたダビデの家のかぎを彼の肩に置く」とある。エジプトでは金属製の鍵も出土しており、L字型に折れ曲がった鍵がプトレマイオス朝期(前305~前30)のものと推定されている。先端部の突起が互い違いに突き出ているので、直線に突起が並ぶ鍵であける中世ヨーロッパの錠は、エジプト起源というよりギリシアに由来するのではないかともいわれる。ホメロスの『オデュッセイア』には、「象牙(ぞうげ)の束(つか)のついたみごとなつくりの青銅製のよく曲がっている鍵」という記述がその第21章に出てくる。ローマ人は錠と鍵の発達史のうえで重要な貢献をした。彼らが初めて錠の中にワード(鍵の固定障害片)を取り付けた。これは、19世紀にアメリカでシリンダー錠が発明されるまで長く欧米で使われた。鍵が小型化し、指輪のように指にはめるものもあった。南京錠(なんきんじょう)もこの時代に始まる。したがって中世以降の努力は、ローマ人が考え出したものの改善と芸術化に向けられた。なかには、14世紀末にイタリアに始まって17世紀初めまで使われた貞操帯のための特殊な鍵もあった。鍵は、時代の流れに沿って生活が多様化するほど、生命、財産、秘密保持のため、多種のものが使用されるようになったが、反面、ホテルや会社などではどの錠も開閉できるマスター・キーが必要になっている。
ところで、古代神話には、アッシリアのニニブ神が地上と天国の鍵を持っていたように、よくこの世と死後の世界の鍵を握る神々が登場している。鍵は早くから支配権の象徴になった。ローマ教会を創立した使徒ペテロも天国の鍵を持ち(「マタイ伝」16章)、後を継ぐ教皇の権威と正統性も金と銀の鍵によって象徴されている。オーストリアではジルベスター(大みそか)が新年の扉を鍵であけるというが、この名は4世紀の教皇シルベステル1世からきている。このように鍵は民俗でも、閉ざされたものを開くものと考えられ、ドイツでは妊婦が鍵を持っていると気分が悪くならず、お産が軽いと考えられた。また揺り籠(かご)に鍵を入れておくと離乳が早くなり、妖魔(ようま)に乳児を不気味な子とすり替えられないですむといわれた。鍵は魔女・悪魔除(よ)けになった。人々は古くから鍵が不運から守ってくれると信じ、エトルリア人は鍵を御守(おまも)りとし、ギリシア人は雹(ひょう)・あられ除けに畑とか果樹園の周りに鍵を結んでおいた。また鍵には病気などの悪を封じ込める力があるとされ、イタリア、フランスなどヨーロッパ諸国には鍵が出血、けいれん、狂犬病などによいという俗信があった。鍵は鎮火のまじないにもなった。鍵ばかりか、鍵穴も、煙突や窓や戸とともに魔的存在や霊魂の通路とみなされ、ドイツでは寝室の鍵穴から夢魔が入り込むのを恐れた。ハンガリーでは出産時に鍵穴をふさいだ。デンマークでは昔、教会を3周してその鍵穴から悪魔をよんだという。鍵で、立ち聞きする者の耳を聞こえなくすることもできた。しかしどこかユーモラスな鍵の習俗もある。南ドイツでは教会で結婚式をあげた一行が披露宴の会場へ向かうとき、若者たちが「鍵競走」をした。花嫁の部屋をあける鍵を手に入れるという趣向で、いちばん早く着いた者が金箔(きんぱく)の木の鍵を得る。花婿が負けると、彼は相手から鍵を買わなければならない。
このほか鍵は公式の場でも象徴的に使われ、中世城塞(じょうさい)都市は敵に降伏するとき市門の鍵を渡したが、いまは外国の賓客への歓迎のしるしに市の鍵が贈られる。フランス王太子妃になったマリ・アントアネットが1773年初めてパリ入りしたときも、市の鍵をもらっている。また現代のアメリカでも、子供に初めて自動車の鍵(スペア・キー)を与えることに感慨をもつ親が少なくない。すなわち、そのことが子供の一般的な行動の自由を認める象徴的行為として受け止められているからである。
[飯豊道男]
中国ではかなり古くから鍵が使われてきたらしく、周代や漢代の文献には「鍵(けん)」とか「鑰(やく)」などのことばがみえる。唐代ごろには、身の回りの調度品につけた鍵がしばしばみいだされる。中国の古い時代の錠前と鍵は、管の中にばねのついた棒をはめ込むと、そのばねが管の中に入って伸長するので抜けなくなり、一方、開けるときには、ばねをすぼめて出すための棒を用いる、という仕組みになっていた。日本では、奈良時代ごろから中国の影響で鍵が用いられるようになってきたが、初めはおもに調度品の鍵として使われていた。構造は簡単なL字型であった。江戸時代になると中国から南京錠が伝わって、広く用いられるようになった。
ところで、東洋においても、鍵には実用的な側面ばかりでなく、力や権威のシンボルとしての側面や、御守りとして呪(じゅ)的な効力が期待される側面がある。権威のシンボルという観点からみると、伝統的な中国の主婦と鍵との関係が興味深い。中国の主婦は「帯鑰匙(やくし)的人」(鍵を身に着けている人)とよばれた。家の主人は寝室に金庫を保管し、金を入れるのであるが、主人の鍵を複製したものを主婦が持っている。主婦は自由に金庫をあけて生活費や食費を出して使う権利が認められていたのである。こうして鍵を持つ主婦は、日常の家事のいっさいを切り盛りしたのであり、伝統的に中国の主婦にとって鍵は家庭内での地位を象徴するものであった。さらに鍵は、ある時期になると姑(しゅうとめ)から嫁へと渡されるが、これは嫁が姑の跡を引き継いで家の仕事を任されたことを示す。姑はいつ嫁に鍵を渡してもかまわないことになっている。小説『紅楼夢(こうろうむ)』などにも、鍵が主婦の地位の象徴とされていたようすが描かれている。
一方、御守りとしても錠や鍵が用いられていた。中国では長男にだけ銀の南京錠が与えられる。これは生命を長男に固くつなぎ止めることを意味するもので、錠は銀の鎖や輪で子供の首の周りに掛けられる。朝鮮でも錠のついた首輪を御守りにする。本物の錠に掛け金を通して、その横に鍵もつけたものを少女は身に着けるのであるが、この錠の上には、長寿や富が手に入り、望み事がかなえられるようにとの銘が刻まれており、その女性にとっては単なる錠以上の意味をもっているのである。
[清水 純]
『日本ロック研究会編『鍵と錠』(1968・井上書房)』▽『S・ギーディオン著、栄久庵祥二訳『機械化の文化史』(1977・鹿島出版会)』▽『赤松征夫『錠と鍵の世界』(1995・彰国社)』
谷崎潤一郎の長編小説。1956年(昭和31)1月『中央公論』に発表のあと、4か月の休載を経て12月完結。同年中央公論社刊。京都に住む56歳の大学教授の夫が、女らしい身だしなみをモットーとする45歳の妻郁子(いくこ)を、日記を通して性的に啓発し、体質的に淫蕩(いんとう)な彼女を若い男性の木村に接近させることで、それを刺激剤に性生活の充実を計る。一方、夫の日記を盗み読み、自分の肉体が性的に優れていることを知った妻は、夫の要望にこたえて木村に接近し、性の秘戯を楽しむようになる。悪女に変身した彼女は、夫の血圧を絶えず上昇させ、ついに死に追い込む。それが木村との共謀であるのを、夫の死後の日記で郁子は告白する。「性」を大胆に描いた問題作として話題になった。
[大久保典夫]
『『鍵』(中公文庫)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…第5に,戦後の老熟期。王朝文学の世界を舞台に母性思慕の主題を描いた《少将滋幹(しげもと)の母》(1949‐50)に始まり,〈芸術かワイセツか〉という論争をひきおこした《鍵》(1956)を経て,〈老い〉と〈性〉との葛藤を追求しつくした《瘋癲(ふうてん)老人日記》(1961‐62)を完成する。潤一郎の作品には,〈母〉と〈悪女〉という対蹠的な二つのタイプが交互に登場してくるが,女性のその両面を見きわめ,人間にとってのエロティシズムの意味の根源を老境にいたるまで存分に追求した巨人的作家である。…
…円形断面の軸に歯車あるいはベルト車などの軸とともに回転する部品を固着するために用いられる機械要素。両者の間に差し込む一種のくさびであり,軸と軸穴部の両方,または軸穴部のみに溝(キー溝)を設け,これにキーを挿入する(図)。最もよく利用されるのは,軸と軸穴部の溝にまたがって挿入する角形の沈みキーで,これにはあらかじめ軸のキー溝にキーをはめてから軸穴部を押し込む植込みキーと,軸穴部を軸にはめた後にキーを打ち込む打込みキーとがある。…
…形質のすべてを記述したものが記載で,指標形質を記述したものが記相である。指標形質のうち,分類群の識別に有効なものだけを選んで検索表keyをつくる。ここで選ばれる指標形質は分類群の差を標徴するものだから,検索表は人為的なものになるのがふつうである。…
…本来は中国の音楽理論用語。日本でもこれに準じて用いられ,洋楽のkey等の訳語としても用いられる。
[中国]
広義には音階を含めた音組織全体や〈腔調〉のように旋律型までも意味するが,狭義には音階の種類の意味に使われる。…
…本来は倉庫の鍵を預かり出納にあたる役。鎰取とも書く。…
※「鍵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新