秋田県の中央部,雄物川下流から八郎潟南東部までの海岸平野で,海岸には砂丘が発達している。面積約180km2。基盤は油層を含む新第三紀層であるが,表層は砂礫(されき),粘土から構成され,きわめて低平である。雄物川はじめ岩見川,太平川,新城川,馬場目川などの流路変更により,多くの河跡湖や湿地帯が分布している。これらの低平な平野の大部分は耕地整備された単作水田で,地まわり米を産する。野菜,果物類の生産量は少なく,大部分を移入に頼っているが,雄物川下流に発達の著しい自然堤防上には四ッ小屋,仁井田などの集落が立地し,海岸砂丘地とともに畑や果樹園に利用されている。追分付近一帯の砂丘地では梨畑,ブドウ畑が黒松林(防風林)の間に開かれ,これらの果物はおもに秋田市に出荷される。海岸砂丘固定のための黒松の植林は,江戸時代末期,秋田藩林取立役の栗田定之丞らによるところが大きい。秋田平野では数多くの油田が開発されたが,最大の八橋(やばせ)油田は1950年から13年間,日本一の座を保ち,秋田市の工業発展に寄与した。65年,秋田・男鹿両市とその間の町々が新産業都市に指定され,秋田湾地区開発計画が策定されて,港湾および産業道路の整備,火力発電所建設,大型工場誘致などが促進されたが,高度経済成長時代が終わってからは,この計画も見直されている。1905年開通の奥羽本線は,雄物川水運や街道交通にとって代わったが,近年,道路交通の重要性が復活し,秋田市中心のバス網も整った。また,秋田新空港開設(1981)は東京との交通を著しく便利にした。秋田平野の人口は全県人口の約1/3である。秋田市はこの平野の中心都市であるが,五城目町は谷口集落,潟上市の旧昭和町,旧天王町,八郎潟町はかつての八郎潟漁業の中心集落である。
執筆者:北条 寿
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秋田県中西部、日本海沿いに展開する平野。北の男鹿(おが)半島から南へ延びる天王(てんのう)砂丘、八郎潟(はちろうがた)干拓地、雄物川(おものがわ)の運搬物の堆積(たいせき)によってつくられた沖積地を含む。雄物川放水路左岸の海岸砂丘は、第三紀の基盤丘陵の上に堆積したもので、藩政期に栗田定之丞(くりたさだのじょう)によって植林が行われるまでは砂が内陸に移動して被害を与えた。雄物川下流は河道の変遷が多く、土崎港に流れ込んでいる旧雄物川も地震による地盤変動によって流路を変えたものである。この川はしばしば洪水をもたらし、1938年(昭和13)砂丘を横断し日本海に流れるように放水路の工事が行われた。八郎潟の東部は馬場目(ばばめ)川の運搬物が堆積してできた平野である。天王砂丘は雄物川からの運搬物が二次的に沿岸に堆積したもので、砂丘列は3条に分かれる。平野の中心地としての秋田市と男鹿市船川を結ぶ地域の都市化が著しい。農業は米作主体である。
[宮崎禮次郎]
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… 秋田県は奥羽山脈,白神山地,丁岳(ひのとだけ)山地と鳥海山などによって三方を囲まれており,これらの山地は豊かな森林,地下資源を提供してきた。またその山地から流出する雄物川,米代川,子吉川は,流域にそれぞれ肥沃な横手盆地と秋田平野,花輪・大館・鷹巣各盆地と能代平野,本荘平野などを形成し,ここに経営耕地面積全国7位(1996)の農業地域がひろがる。一方,後述のように地の利にとぼしく,中でも首都圏と隔たっていることは,他産業とくに第2次産業を著しく不振たらしめ,人口支持力も弱く,年々数万人の出稼者を送り出してきた。…
※「秋田平野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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