高台寺は
とある。両書は創建年代等を異にするが、康徳寺は天正―慶長(一五七三―一六一五)にかけて北政所高台院が生母のために建立した曹洞宗の寺院であったらしい。その旧地は両書の記述から、現京都市上京区
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山区にある寺。山号は鷲峰山。はじめ曹洞宗,のち臨済宗。豊臣秀吉の妻の北政所(きたのまんどころ)は秀吉の没後大坂から京都に移り,尼となって高台院と称した。この高台院が,秀吉の菩提を弔う所として,徳川家康の援助のもと1605年(慶長10)に開創したのが当寺である。そののち,たびたび火災にかかり,方丈など現在のおもな建物は明治以後の再建である。創建当初の建物には,開山堂と表門,それに秀吉夫妻の像を安置し北政所の遺骸を葬る霊屋(たまや)があり,いずれも重要文化財。東山を背景にした池泉観賞式の庭園は清雅な景趣に富み,山上の茶室,傘亭(からかさてい)と時雨(しぐれ)亭(重文)は伏見城の遺構と伝える。なお,近世の当寺は萩の名所で名高く,文人が遊び,〈たそがれや萩に鼬(いたち)の高台寺〉なる蕪村の名句もある。境内に文人大名の木下長嘯子,儒者で名書家の誉れ高かった竜草廬,歌人の澄月らの墓がある。
執筆者:藤井 学
霊屋の須弥壇(しゆみだん)と厨子(ずし)は豪華な蒔絵が施され,また当寺には同様な作風の蒔絵の調度類がある。いずれも桃山時代漆工芸を代表するが,これにちなんで当寺の蒔絵作品ばかりでなく,同様式のものが〈高台寺蒔絵〉と呼ばれる。霊屋須弥壇は框(かまち)から昇勾欄,柱にかけて楽器散らし,階段に花筏(はないかだ)を表し,秀吉の厨子扉は表に薄(すすき),裏に菊,楓(かえで)に桐紋を散らす。夫人の厨子では表裏に松と篠竹が描かれている。調度類は多く秋草図がのびやかに表現され,文庫,歌書簞笥(たんす),膳椀,湯桶,銚子,天目台,刀掛,鏡台,曲彔(きよくろく)など14種31点におよぶ。いずれも金粉を蒔き放しにし,絵梨地や針描(はりがき)を加えた単純な技法で,もっぱら造形性を重視した感覚的に力強い表現である。なお霊屋の秀吉厨子扉裏面などに〈幸阿弥久造之〉〈ふん六五年十二月久造之〉といった針書銘があり,16世紀末幸阿弥7世の長晏(ちようあん)久次郎はじめ,その一派によってなされたことが知れる。
執筆者:編集部
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市東山区下河原(しもかわら)町にある臨済(りんざい)宗建仁寺(けんにんじ)派の寺。鷲峰山(しゅうほうざん)と号し、詳しくは高台聖寿(しょうじゅ)禅寺という。豊臣(とよとみ)秀吉の正室北政所(きたのまんどころ)は秀吉の死後落飾して高台院湖月尼といい、一寺を建てて秀吉の冥福(めいふく)を祈ろうとしたところ、その意をくんだ徳川家康が、1605年(慶長10)ここに伽藍(がらん)を建立して高台寺と名づけた。初め曹洞(そうとう)宗に属していたが、1622年(元和8)建仁寺の長老三江紹益(さんこうじょうえき)を住持に招き、臨済宗となった。たび重なる火災によって焼失し、現在は開山堂、霊屋(たまや)、表門(いずれも国指定重要文化財)などが残る。霊屋(湖月堂)は創建当時のもので、その内陣須弥壇(しゅみだん)と厨子(ずし)の蒔絵(まきえ)は高台寺蒔絵として名高い。厨子内には、本尊の随求菩薩(ずいぐぼさつ)、その左右に豊臣秀吉夫妻の像を安置している。開山堂はもと湖月尼の持仏堂であったが、1625年(寛永2)増築して開山堂としたもので、後方の廟堂(びょうどう)に三江紹益の像を安置している。表門は薬医門(やくいもん)と号し、もと伏見(ふしみ)城にあったものを加藤清正(きよまさ)がここに移したといわれる。
寺内には円徳院、春光院、月真院、玉雲院、岡林院などの子院がある。小堀遠州作の庭園はハギの名所として知られ、傘(からかさ)亭と時雨(しぐれ)亭の2茶室、観月台は伏見城の遺構で、国の重要文化財に指定されている。寺宝は豊臣秀吉画像、秀吉消息2幅、蒔絵調度類(いずれも国指定重要文化財)など数多い。
[菅沼 晃]
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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