石経(読み)セッキョウ(その他表記)shí jīng

デジタル大辞泉 「石経」の意味・読み・例文・類語

せっ‐きょう〔セキキヤウ〕【石経】

石に刻んだ経文経典後世に残すことを目的としたもので、中国の隋・唐代に流行日本では福岡県宗像むなかた大社のものが有名。→せっけい(石経)

せっ‐けい〔セキ‐〕【石経】

石に刻した儒教道教の経典。→せっきょう(石経)

せき‐けい【石経】

せっけい(石経)

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精選版 日本国語大辞典 「石経」の意味・読み・例文・類語

せっ‐けいセキ‥【石経】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国で、経典をきざんだ石碑。また、その経典。経書の正しいテキストを伝えるためのもので、後漢蔡邕(さいよう)が校定して書いたいわゆる熹平石経にはじまり、以後、各時代につくられたが、唐の開成年間(八三六‐八四〇)にできた開成石経は、ほぼ現存して、経書の校定や書道史の貴重な資料となっている。
    1. [初出の実例]「後世いはゆる石経是なり」(出典:制度通(1724)一一)
    2. [その他の文献]〔後漢書‐蔡邕伝〕
  3. せっきょう(石経)

せっ‐きょうセキキャウ【石経】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 石に刻んだ経文。中国の漢以降、経典を永久に残すことを目的にしたもので、隋・唐代に盛行。日本では、福岡県宗像市にある宗像神社の阿彌陀経碑が著名。
    1. [初出の実例]「石経の墨を添けり初しぐれ〈丈艸〉」(出典:俳諧・喪の名残(1697)上)
    2. [その他の文献]〔法苑珠林‐一八・智苑伝〕
  3. せっけい(石経)

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改訂新版 世界大百科事典 「石経」の意味・わかりやすい解説

石経 (せっけい)
shí jīng

中国で儒教の根本聖典である経書(けいしよ)の本文を,政府の手で石に刻したもの。儒教は中国の国教で経書は科挙の教科書でもあったから,その標準的テキストを公示する意味で古来何度か作り,太学(中央の国立大学)に立てたのである。

 (1)漢石経 後漢末に経書本文に関する論争決着をつけるため,蔡邕(さいよう)が定本を作り文字を書いて石に刻したと伝える。熹平4年(175)に起工し9年目に完成したので熹平石経といい,書体は隷書だけで書かれたので一字石経ともいう。内容は《易経》《尚書》《詩経(魯詩)》《大戴礼》《春秋》《公羊伝》《論語》の7経で,石碑は46,表裏両面に刻し国都洛陽の太学門外に立てた。のち戦乱で破損を受け宋以後はまったく亡失したが,19世紀末から残石が発見されている。(2)魏石経 三国の魏の正始年間(240-248)に《書経》《春秋》や《左氏伝》(初めの1/3ほど)を古文・篆・隷の3種の書体で表裏に刻したので,正始石経,三字石経ともいう。全部で27石ばかり,やはり洛陽の太学門前に立てられたが,漢石経と同じ運命をたどった。(3)唐石経 起工から5年目の開成2年(837)に完成し,国都長安の国子監に立てたので開成石経ともいう。内容は《易》《書》《詩》《周礼》《儀礼》《礼記》《左氏伝》《公羊伝》《穀梁伝》の9経に《孝経》《論語》《爾雅》を加えた12経で,鄭覃(ていたん)の指導により楷書で書かれた。すべて114石,表裏両面に刻され,これとともに張参の五経文字,玄度の九経字様の10石が現に西安市の陝西省博物館の碑林に陳列されている。(4)蜀石経 五代の後蜀の広政1年(938)から宋の宣和6年(1124)まで180余年をかけて完成した。唐石経に《孟子》を加えた13経全部に注を付して石経考異とともに楷書で刻し,成都の府学に立てたので成都石経ともいう。元代にモンゴル軍のため破壊され,今日では拓本の残欠が存するにすぎない。(5)北宋石経 慶暦1年(1041)から嘉祐6年(1061)にかけて刻され,篆書と楷書で書かれたので嘉祐石経または二体石経とも称する。《易》《書》《詩》《周礼》《礼記》《春秋》《孝経》《論語》《孟子》の9経で,国都汴京(べんけい)の太学に立てられたが,今日ではわずかな残石しか存在しない。(6)南宋石経 高宗の自筆を底本とし紹興5年(1135)から淳熙4年(1177)までかかって刻されたので,紹興御筆石経ともいう。内容は《易》《書》《詩》《左伝》と《礼記》(中庸,大学等のみ)(以上楷書)および《論語》《孟子》(以上行書)で,国都臨安(現,杭州)の太学に立てられた。元以後相当の破壊を受けたが,杭州の旧孔子廟あとに77石が残っている。(7)清石経 蔣衡というものが楷書で書き,乾隆56-59年間(1791-94)に刻された。《易》《書》《詩》《三礼》《春秋三伝》《孝経》《爾雅》《論語》《孟子》の13経で,北京の国子監に立てられたので乾隆石経,国子監石経ともいい,すべて189石が今日も完全に保存されている。

 儒教以外に中国では仏教と道教との石経がある。仏教のは末法の世の到来に備え仏典を永遠に伝えるため,石に刻して深山の石窟中に保存した。最大規模のものは河北省の房山にあり,7世紀の初め静琬という僧が発願し12世紀まで数百年にわたってその事業が続けられ,《大蔵経》が石窟の壁面や碑石に刻されている。近年の調査によれば,その数は1万4620を超える。道教の遺品は小規模でその例も少ない。
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普及版 字通 「石経」の読み・字形・画数・意味

【石経】せきけい

石刻の経文。太学の門外に立つ。〔後漢書、伝〕熹四年、~奏して六經字を正定せんことを求む。靈之れを許す。乃ち自らに書し、工をして鐫(せんこく)せしめ、太學の門外に立つ。是(ここ)に於て、後儒學、咸(み)な正を取る。~其のし、寫する、車乘日に千餘兩、街陌を塡塞(てんそく)す。〔注に引く洛陽記〕堂石經四部。本そ四十六枚。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石経」の意味・わかりやすい解説

石経
せきけい

儒・仏・道教の経典の文字を石に刻したもの。広く経文の標準を示し、長く後世に伝えることを目的にした。後漢(ごかん)の霊帝が175年(熹平4)に詔(しょう)して182年(光和6)に完成し、大学門外に建てられた熹平(きへい)石経(鴻都(こうと)石経、一字石経、今字(きんじ)石経ともいう)を始めとする。その後、魏(ぎ)の正始(せいし)年間(240~248)の正始石経(三字石経、三体石経ともいう)、837年(唐の開成2)に成った開成(かいせい)石経、951年(後蜀(こうしょく)の広政14)の成都(せいと)石経(益都(えきと)石経、広政(こうせい)石経ともいう)などがある。仏教では、北斉(ほくせい)の泰山(たいざん)経石峪(けいせきよく)金剛(こんごう)経、徂徠山映仏崖大般若(そらいざんえいぶつがいだいはんにゃ)経、隋(ずい)唐の房山雲居寺石経など。道教では、708年(唐の景竜2)の易州道徳経碑、735年(開元23)の御注(ぎょちゅう)道徳経などがある。

[田中 有]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石経」の意味・わかりやすい解説

石経
せっけい
shi-jing

中国で石に儒教の基本的古典である経典を刻したもの。「せききょう」とも読む。信頼できる経書の本文を明示するため首都の太学に建てられた。後漢の熹平石経をはじめ,曹魏の正始三体石経,唐の開成石経などが著名。これらは儒教の経書であるが,漢訳仏経を刻したものに河北省房山石経などがある。

石経
せききょう

石経」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「石経」の意味・わかりやすい解説

石経【せっけい】

中国で重要な経典の正文を伝えるため石に刻したもの。仏教や道教のもあるが,ふつう儒教のをさす。後漢の霊帝のころ諸家の経文が乱れ,熹平4年(175年)に熹平石経46枚が立てられ,以後,魏の三体石経,唐の開成石経から清の乾隆帝の1791年の清石経までたびたび立てられた。

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