日本歴史地名大系 「館山城跡」の解説
館山城跡
たてやまじようあと
館山町の南、館山平野の南西端に位置する独立丘陵、
年未詳二月四日の里見義頼判物(上野家文書)によると、岡本城にいた義頼は上野源八郎泰国に対して、明五日未明より「館山へ為番手御越」よう命じている。なお「藩翰譜」によると天正九年、北条氏政は海陸二手に分れて安房・上総に侵入し、「館山・久留里・佐貫の城」を攻めたという。里見氏は同一八年の小田原攻めへの遅参を理由に上総国を没収され、安房一国九万二千石を安堵され、慶長五年の関ヶ原の戦後、常陸鹿島郡三万石を与えられている。
館山城跡
たてやまじようあと
館山城跡
たてやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報