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駅鈴 えきれい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

駅鈴
えきれい

令制の駅制で,公務出張に際し朝廷から与えられた。出張者は,駅でこれを鳴らして駅子,駅馬を徴発した。中央官庁と地方国衙に備えてあった。 (→駅家〈うまや〉 )  

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デジタル大辞泉の解説

えき‐れい【駅鈴】

律令制で、官命によって旅行する者に中央官庁と地方国衙(こくが)から下付した鈴。駅馬供与を受ける資格を証明し、これを鳴らしながら旅行した。えきろのすず。うまやのすず。

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百科事典マイペディアの解説

駅鈴【えきれい】

律令制で駅馬使用の資格証明に使われた鈴。官人の位に応じて2〜10(こく)が刻まれ,剋数に相当する人馬が供せられた。隠岐国造(おきのくにのみやつこ)家に伝わる八稜鈴(はちりょうれい)が有名だが,剋の刻みがないため疑問視されている。
→関連項目駅・駅家

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世界大百科事典 第2版の解説

えきれい【駅鈴】

日本古代の駅伝制で公務出張者や公文書伝送の駅使らに駅馬利用の資格証明として貸与された鈴。駅鈴には身分によって利用しうる駅馬の頭数を示した剋(こく)という刻みがあったといい,親王・一位に10剋,二~三位に8剋,四位に6剋,五位に5剋,六~八位に3剋,初位以下に2剋の駅鈴が貸与されるが,隠岐国造(おきのくにのみやつこ)家に伝わる八稜鈴には刻みがないので正しいものか否か問題になっている。あるいは大和朝廷時代から律令時代初期までは実際に刻みがあり,やがて刻みをやめて剋数を記した書類を添付することにした可能性がある。

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大辞林 第三版の解説

えきれい【駅鈴】

律令制で、駅使や公用の使者に対し下付された鈴。駅馬使用の許可証にあたり、使者の位に応じて刻み目の数が違い、待遇も異なった。振り鳴らして駅子・駅馬を徴発した。うまやのすず。駅路えきろのすず。

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世界大百科事典内の駅鈴の言及

【駅伝制】より


[日本]
 日本古代の駅伝制は車を欠き馬と人のみによるが,朝廷が関与した駅制と,国郡に管理させた伝馬制とに分けられる。まず駅制の萌芽は,6世紀末から7世紀前半にかけて大和朝廷の全国支配が進み,大陸に隋・唐の大帝国が出現して朝鮮半島を圧迫しはじめたころ,北九州の出先官庁と大和朝廷との間の連絡を緊密にする必要が生じ,朝廷の発行した駅鈴(えきれい)を携帯した官人に途中の国造が便宜をはかるという形で発生したと思われる。大化改新後,7世紀後半の律令国家形成期には,駅鈴によって駅馬を利用しうる道を北九州との間だけでなく東国へも延ばしはじめたようであるが,8世紀初頭の大宝令では唐を模範とした駅制を全国に拡大することとした。…

※「駅鈴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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