鎌倉時代中期以後,紀伊の高野山およびその門流寺院で開版した,密教(おもに真言宗)ならびに悉曇(しつたん)に関する書物の総称。用紙は厚手の鳥の子紙を用い,表裏に印刷し,装丁はおおむね粘葉(でつちよう)形を採用した。開版者としてとくに知られる秋田城介(あきたのじようのすけ)(安達泰盛,1231-85)は,鎌倉執権北条氏の姻戚として勢力をもち,祖父景盛以来の縁故で高野山にはいり,その金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は10万余石の扶持を封禄し,武家の愛護のもとに偉大な勢力をもって,開版事業にも力をつくした。現存するものでは1253年(建長5)刊《三教指帰(さんごうしいき)》が最も古い。
高野版については,1260年(文応1)から1323年(元亨3)までのあいだに刊行された4種の開版目録が現存する。それには書名,開版者名,料紙,装丁の品別,価格,経師注文の規定が記載され,日本の開版文化史上きわめて貴重な資料となっている。なお江戸時代初期から木活字による開版がおこなわれたが,これは〈高野活字版〉といって前記のものと区別する。
執筆者:庄司 浅水
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鎌倉時代中期以降、紀伊高野山で出版された仏典類。密教関係の書を主とするが、『悉曇字紀(しったんじき)』『声明(しょうみょう)集』『高野大師行状図画(こうやだいしぎょうじょうずえ)』など特殊なものもある。奈良・京都諸寺における刊経の影響を受けて始まった。現存最古の高野版は1253年(建長5)快賢刊『三教指帰(さんごうしいき)』である。開版者としては快賢、安達泰盛(あだちやすもり)(秋田城介(じょうのすけ))、慶賢らが知られ、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)が出版の中心であった。もっとも盛んに行われたのは鎌倉時代中期で、版下を信芸、能海その他能書家が書き、料紙も良質、墨色も漆黒で、精刻のものが少なくないが、南北朝ごろからは料紙に高野紙を用いるようになった。表と裏両面に印刷、やや縦長の胡蝶(こちょう)装(粘葉(でっちょう)装)というのが高野版の特色。注目すべきは、近世初期、慶長(けいちょう)(1596~1615)から正保(しょうほう)(1644~48)にかけて活字による印刷が盛行したことで、古活字版の一種としても高野版は重要である。鎌倉時代開版書目4種が現存、これによって開版事情を知ることができる。
[金子和正]
『水原堯栄著『高野板之研究』(1932・自刊)』▽『木宮泰彦著『日本古印刷文化史』(1965・冨山房)』
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