古代には「あざ」と「ほくろ」との区別が明確でなかったともいわれるが、「ははくそ」は「あざ」より狭義で、現在の「ほくろ」に当たると思われる。「はは(母)+くそ」で、母の胎内にいる時についた「かす」と考えられていたか。
一般にはアワ粒大からダイズ大くらいまでの扁平な黒褐色斑ないしは半球状に隆起した黒色の皮膚の小腫瘍をさすが,医学的には,小型の色素性母斑nevus pigmentosusまたは表皮基底層の色素細胞の増加を意味する。円形または類円形で,多くは境界が鮮明で半球状に隆起し,色は黒色,褐色のものが多いが,皮膚色のものもある。とくに老人のほくろや,頭部のほくろは色がうすい。剛毛を有するものもある。全身いたるところにみられるが,比較的顔に多い。日本人では,平均して1人に10個から15個のほくろがあるといわれている。ほくろは一生を通じて同じところにあるものと考えられているが,実際には,新生児には特殊なものを除いて,ほくろはみられない。学童期ころから徐々にその数を増し,中年を過ぎると一部は消失していく。病理学的には,母斑細胞は皮膚のメラニン色素をつくる色素細胞に近い細胞で,これが固まって増えたものがほくろである。普通のほくろが悪性化することはまずないと考えてよいが,きわめてまれに悪性黒色腫となることがある。かみそりでひっかいて出血をくりかえすなど,反復刺激をうける部位にあるほくろや,短期間に急速に大きくなり,まわりに不規則に濃淡のある黒色,褐色のしみだしのみられるほくろには注意を要する。また日本人では,悪性黒色腫は足の裏に最も多く発生するので,成人で急速に拡大する色の濃い足底の色素斑にも,注意をする必要がある。ほくろは一般には治療をする必要のないものであるが,大きくて目立つもの,悪性化の心配のあるものなどは治療する。小さくて,もり上がりのないものは電気メスで焼灼するが,一般には外科的に切除して縫縮する。
執筆者:新村 真人
古代医術ではほくろを黵(葛氏方),黒志,黒子(集験方,録験方,病源論,如意方)などといい,さまざまな治療法があった。《病源論》によれば,ほくろの原因は血気の衰弱や損耗により皮膚が変化したためであると考えられていた。黒子にはほくろだけでなく,しみ,そばかすも含まれていた。薬剤には桑の木の灰やコウノトリの糞も使われている。なお,ほくろによって占うのも古代医術の領域であった。
執筆者:槇 佐知子
ほくろは平安時代まではもっぱら〈ははくそ〉といった。《和名類聚抄》では黒子は〈ははくそ〉で黶(えん)とも書き,顔の黒子は(よう)()で〈おもははくそ〉と読んでいる。母の胎内でこびりついた滓(かす)と考えたからである。当時はほかに〈あざ(痣)〉もほくろを含み,〈ふすべ(黶)〉はこぶ,いぼ,ほくろなど皮膚から隆起したものを指した。中世に入ると〈ははくそ〉とともに〈ははくろ〉ともいわれるようになる。《宇治拾遺物語》に,母親がわが子とうり二つの者とを区別するために腰部のははくそを印にしようとしたが,2人とも同じ所にあって役立たなかったという話がある。〈ははくろ〉が転じて〈はうくろ〉から〈ほくろ〉になったのは室町時代のころとされる。他方,は《和玉篇》では〈おもくろし〉,つまり〈顔色が黒い〉の意に変わってしまった。黒子だけが〈ははくそ〉〈ははくろ〉〈ほくろ〉と読まれる。ほくろは黒子に限らず入墨(文身,刺青)のことにもなり,〈俗人身にいれふぐろする事,すまじき事なり〉(徳川光圀《西山公随筆》),〈入ぼくろ大きなるハ珍らしかりけるに横筋かひに肩より南無阿弥陀仏と大文字に彫付たり〉(喜多村節信《嬉遊笑覧》),〈入墨痣 いれほくろ京阪にて謂之黥(げい)也黥いれずみと云〉(喜田川守貞《守貞漫稿》)などの記述がみえる。
滓と同様にみたくらいだから,日本の人相学では一般にほくろを良く扱わない。たとえば江戸時代の観相家水野南北は,印堂(眉間)にほくろがあると物事が成就せず不運,兄弟(けいてい)(眉)にあれば身内との縁が薄く,男女(なんによ)(下眼瞼)にあれば子どもとの縁が薄く,交友(眉の上)にあれば友人関係が悪く,家続にあれば親の遺産をつぶすなど,顔の18穴,10穴にあるほくろのすべてに悪い運勢を結びつけている(《南北相法》)。ただし,ほくろが表す運勢は諸説に分かれ,南北は天中(額の中央最上部)にあれば目上の人と意見が合わないとしたが,他の人は父と争うとしたり,汚職や訴訟を起こすとする。印堂にあるのは吉,成人で兄弟にあれば吉という説もあるから不定というほかない。身体の他の部分では,肘より下にあれば富相,肘窩にあれば技術にすぐれ,腋窩にあれば財を成し,腿にあっても福相,膝にあれば名を成し,足蹠にあれば吉で両側なら大吉相,両乳の中心にあれば長寿,上背部も長寿,鳩尾は知勇に富み,臍は福禄福知等々,ほくろが吉兆となる頻度が高くなる(神宮館版《人相の話》)。さらに手では,手掌中央にあるのは吉であるが,手掌の遠位にあっても生命線,頭脳線,感情線,運命線,太陽線に触れず,握れば隠れるのを〈福ぼくろ〉と称する。男なら財に恵まれて家運栄え,女なら美人で結婚運も良いとされる。また,ほれ合った男の右手と女の左手の手背で,第1・第2中手骨の間にあれば握り合うとき互いの母指の先にほくろが位置することになり,一生幸せに連れ添う相という。〈ほくろ女にちえ男〉。唇にほくろのある女は淫乱というが,達磨(だるま)大師が創始した達磨相法でも,男子の陰茎にあれば淫事にふけるという。人相学では応痣(おうし)といって,ほくろが人中にあれば臍近くにもあり,鼻の中心にあれば陰茎の中心に,女性の唇にあれば大陰唇にもあるなどと唱えるから,男は鼻,女は唇にあれば性器にもあって淫乱ということになってしまう。臍にほくろがある女は貴子を産むという日本の人相学の説に対し,インドの性典《アナンガランガ(愛壇)》は,左の乳,咽喉,および耳にある少女は瑞兆のある男子を産んで家族が繁栄すると述べている。
17世紀から18世紀にかけて,ヨーロッパにつけぼくろが大流行したことがある。イギリスではエリザベス1世(在位1558-1603)の時代すでに男子の間にみられ,17世紀には男女ともこれを楽しんだ。アン女王(在位1702-14)のころはホイッグ党支持の女性は右頰に,トーリー党支持の女性は左頰に,どちらでもなければ両頰につけぼくろをするなどの政治的ほくろまであった。フランスでもルイ王朝期に流行し,ルイ15世(在位1715-74)のころはつける場所によって額なら権威,唇なら接吻の許しなどのほくろ言葉さえあった。ほくろといっても星印や花その他があって,布や皮製のものもあり,黒と限らず多彩で,あたかも日本の《鳥毛立女屛風》の花鈿を思わせるものがある。もともと西洋占星術には,勇気,独立心,冷酷などの男性的特徴は誕生時に顔の右側にほくろとなってその運勢を示し,臆病,依存心,情愛などの女性的特徴は左の頰のほくろに表れるといったことに始まり,各部のほくろを黄道十二宮の支配によるとみて,性格を詮索する理論があった。当初はほくろをつけるにもこれにのっとったが,後には単なる化粧の遊びとなり,現代にまで残っている。
→人相学
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
…皮膚にみられる赤,青,褐色などの斑で,皮下出血や湿疹が治ったあとの褐色の色素沈着など一時的なものをさすこともあるが,普通には先天的な皮膚の奇形である母斑nevusをさし,ほくろもこの一種である。母斑の多くは自然に消えることはない。…
※「黒子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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