狂気とは,字義通りに解釈すれば〈気の狂っていること〉〈気の違っている状態〉を指し,こんにちの精神病一般と変わらなくなるが,精神病が近代医学により疾患として認知された学問的概念であるのに対し,狂気は学問的に規定される以前の広義の精神変調状態を漠然と総称する世俗的概念で,厳密な定義の対象になりにくい。そもそも狂気が治療すべき自然的な疾患としてでなく,なにかしら超自然的な事態として,または正気の人間には得がたいなにかをもたらしてくれる神聖な現象として人々から迎えられたことには,多くの根拠がある。古代社会で狂気の人が神の声を伝え,民衆を導く仲介者の役割を果たしたとされるのもその一例である。例えば前600年ごろのヘブライの預言者エゼキエルは,各種の幻覚,千里眼的透視,昏迷の発作などからヤスパースにより統合失調症と断定されたが,これは後世の医学的判断にすぎないもので,当時の彼はユダヤの民に警告や希望をあたえる偉大な指導者だった。同様の事情はイエスの場合にも認められ,フランスの精神科医ビネ・サングレC.Binet-Sangléによるパラノイア(妄想症)をはじめ,さまざまな診断が下されているが,この種の医学的診断に対して,みずからも医師だったA.シュワイツァーは主として神学史の立場から厳しい反論を展開した。こうした狂気の役割は,ヨーロッパ諸国だけでなく,アラブ系の国々やイスラム圏にもみられ,ユーラシア大陸に広く分布するシャマニズムのなかにも認められる。日本の下北半島周辺に生きるイタコなどもそのなごりで,彼女らの口寄せの前提となる憑依(ひようい)状態は普通の健康人にはとても演じられない。
いずれにせよ,狂気はいわば〈神の狂気〉として社会に広く受け入れられたが,このような古代の狂気観が逆転の様相をみせるのは,ヨーロッパではキリスト教が社会生活の原理となる中世に入ってからである。とりわけカトリックのヒエラルヒーが確立する時代になると,集団の狂気が各地で流行しはじめた。何時間も踊りつづける〈舞踏狂〉(舞踏病)や皮の鞭で自分の体をはげしく打つ〈むち打ち苦行者〉,人里を徘徊して人間を食い殺す〈人狼〉(狼男),修道院内に頻発する集団憑依現象などがその例として記録され,マイナスの価値をもつものとして扱われている。教会の権威が内部矛盾によってゆらぐ中世末期になると,狂気に由来する異常な言動は悪魔と手を結んだ人間または〈悪魔憑(つ)き(デモノマニアdemonomania)〉のあかしとみなされ,迫害が及ぶようになる。いわゆる〈魔女狩り〉の嵐が吹き荒れたのはルネサンスに入ってからで,〈中世全体を通じて焚刑に処せられた魔女の数は,もっと進歩的になった15世紀とその後の2世紀間に焚刑にされた魔女の数より少ない〉と伝えられる。魔女裁判の教典とされたのは,ドミニコ会士H.クレーマーとJ.シュプレンガーの共著になる悪名高い《魔女の槌》(1486)で,ここには魔女の〈臨床症状〉や〈診断方法〉が詳述されている。中世における狂気の実態は当時の医学書のなかではなく,悪魔祓い師の便覧や宗教裁判の報告書のなかにあるといわれるゆえんである。異端再犯のかどで火刑にされたジャンヌ・ダルクの場合もその一例で,彼女の狂気の〈症状〉はその《処刑裁判記録》に詳しい。
ルネサンスという時期は狂気への対応においてさまざまの矛盾をふくみ,魔女迫害が強行される一方では,狂人のための収容施設がスペインその他で設立されはじめ,医師ワイアーJohannes Weyer(1515-88)の《悪魔の幻惑》(1563)が現れて,〈憑依者や魔女の多くは精神の病だから,僧侶にでなく医師の手にゆだねるべきである〉と抗議し,医学の側からの高い槌音を響かせた。こうした刷新はのちに〈第1次精神医学革命〉(G. ジルボーグ)と評されることになるが,この〈革命〉によって出現したのが〈精神病〉だった。つまり,それまで神秘的自然観や魔術思想で養われていた狂気は医学の乾いたまなざしの対象となり,同時に人里離れた癲狂院へと封入され,そのうえ鉄鎖でつなぎとめられた。フランス革命後の1793年,ピネルがパリ郊外のビセートルでこれらの鉄鎖を解いた事績はよく知られており,精神病者の人間化の第一歩と評される。しかしこの過程はM.フーコーの主張するように,狂気を医学の名で既成の価値体系や道徳的抑圧へと組みこんでいった過程でしかなく,つまり,精神疾患と呼ばれるものは単に〈疎外された狂気〉にすぎないともいえる(反精神医学)。
東洋の場合,狂気の〈狂〉は漢字の分類からすると会意文字で,ケモノ偏に王と書くから,元来〈人間外であるケモノに等しいが,ケモノのなかでは王の地位を占める〉という意味で作られたとされる。この〈狂〉は,古代中国ではてんかんとともに,ひじょうに早くから医学的疾患に組み入れられ,前漢時代に成立した《黄帝内経》や隋時代の《諸病源候論》では,興奮して誇大的言動を示す状態として記述される。この概念は日本にもそのまま移入され,702年の大宝律令でその〈医疾令〉に記載されて以来,江戸時代にいたるまで一貫して継承される。ただし,こうした医学的疾患としての〈狂〉とはほとんど無関係に〈たぶれ〉〈ものつき〉(または〈ものぐるい〉),〈気違い〉といった日本的狂気の系譜が存在しつづけたことは確かである。これらの現象は,ヨーロッパの場合と似て,医学や医療の対象ではなく,おおむね加持祈禱の対象だったし,また信仰や宗教の領域のみならず,文芸や芸能の領域へも広く浸透していった。明治期になって近代精神医学が日本でも発展するとともに,〈狂〉の字は呉秀三の提唱により精神医学の用語から抹消されたが,〈狂気〉のエネルギーは人間の存在するかぎり,社会の各分野で生きつづけると思われる。
→精神病
執筆者:宮本 忠雄
狂気は文化的脈絡のなかで理解されなければならず,これは精神医学の分野においては,大きく二つの立場に分けられる。一つは文化的状況を狂気(精神疾患)の基礎とする立場で,例えば未開社会や後進地域にみられる狂気を,ヨーロッパ文化の侵入にともなう急激な社会変動のなかでとらえ,現地人の間でこれに対抗して生まれる運動,信仰(カーゴ・カルト,千年王国運動など)のなかで理解しようとする。このような立場は,狂気を,個人における何らかの身体的欠陥ゆえとするのではなく,彼の属する特殊な文化的状況があって初めて現れるとする考え方であって,かつての精神病観とは立場を異にする。またこの立場は逆に,狂気を通して文化的状況を理解しようとする姿勢をもあわせもつ。
しかしいま一つの立場は,文化と狂気を前者のような関係において理解しようとするのではなく,狂気を個人と世界との関係の病態としてみる。文化とは世界を秩序だてるものだが,狂気はつねに個人を通して文化に内在し,その秩序をつき動かし,他方,文化はこうした狂気を秩序のなかに組み入れようとするものと考える。このような立場は近年の文化人類学における文化の理解により明確に現れている。この立場によれば,文化は決して固定的なものではなく,つねに展開的で,ダイナミックなものである。そして文化のこのような性格を促進するのが文化に対する反文化,つまり文化からみればまったく反理性的,反秩序的なものであり,その典型の一つが狂気である。このように狂気は,文化がみずからの体系を守るために生み出したスケープ・ゴートではなく,むしろ文化みずからが孕んだ鬼子というべきのものであり,それによってみずからも展開を遂げざるをえない要因となるものである。したがって,これがあって初めて文化は更新され,また生き生きとしたものになる。
例えばアフリカの王国の王の即位式はこれをよく表している。まずこうした王国にはフレーザーの《金枝篇》で有名な〈王殺し〉が行われるところも多く,それ自体すでに狂気的であるが,その後新王が即位するまでは,日常的状況とは対照的な無秩序が支配する。新王の選出過程には盗みや暴力行為が公然と行われ,一種の内乱状態が現出する。こうして新王が選ばれると,これも多くの社会で,前王の身体の一部を食べたり,前王の妻と儀礼的な婚姻を行ったりしてようやく王がその地位に就く。このような即位式にみられる集団的狂気ともいうべき行為によって,日常的な世界とは異次元の神話的空間が現出し,これを通過することによって,王のみならず部族全体,社会全体が再活性化され,生まれ変わる。狂気的行為は時間の動いていくうちに動きのとれなくなった古くさい秩序を破壊すると同時に,一気に新鮮な〈始源の時〉の秩序をよみがえらせる文化装置ともいえる。このように狂気的なものは,日常的,合理的なものと激しく対立しつつ,文化的脈絡においては大きな意味を担っている。
執筆者:井上 兼行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…正常ではない病的な精神(心理的)状態をさす一般的な表現。精神医学の対象となる精神の異常状態としては,心理的な原因によるとされる神経症や心因反応,性格の著しい偏りである性格異常,身体的(器質的)原因による精神の障害,薬物依存症や薬物中毒による精神異常,癲癇(てんかん)の精神症状や精神分裂病,躁鬱(そううつ)病,そして老年期および児童期の精神障害や精神遅滞などをあげることができる。精神異常を広義に解釈するならば上記のすべてがこれに含まれることになるが,ふつう精神異常という場合には,成人にみられる明らかな精神病的状態の持続,たとえば精神分裂病にみられるような状態を意味していることが多い。…
…人体の支配部位は,味覚,のど,胃,腰部,子宮,身体の左半分で,貧血性の体質をつくるとされる。月はまた,英語lunatic(ラテン語で月を意味するlunaに由来する)などの語に見えるように,しばしば精神の異常と結びつけられるが,これは月の霊気が人間に流入して狂気におもむかせるという伝統的な観念にもとづく。【有田 忠郎】
[月と日本の民俗]
月は太陽と並ぶ主要な天体であると同時に,その運行と月齢によって日を数え,潮の干満の度やその時刻がわかることから,太陽とは別の意味で日常生活のよるべき基準として尊崇されてきた。…
…ちなみに,歴史上の天才301名についても,その伝記的資料からIQを推定し,たとえばJ.S.ミルは17歳までの資料からIQ190,ゲーテは17歳から25歳までの資料でIQ200という高い数値があげられている。
[天才と狂気]
天才と狂気を結びつける考え方は古代ギリシアの昔からあり,たとえば〈狂気のない大詩人はいない〉というデモクリトスの言葉や,〈狂気をまじえぬ偉大な魂なぞはない〉というアリストテレスの言葉にもよく表現されている。〈狂気と天才を隔てるのは一重の薄い壁だけである〉というシェークスピアの文句も有名で,これが単純化して〈天才と狂人は紙一重〉になったと伝えられる。…
※「狂気」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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