土地の価格、すなわち土地の時価ないし売買価格をいう。土地に価格がつけられるのは、商品経済の発展につれて、私有され商品化されて売買の対象となったからである。埋立地のように土地が創出される場合には、その生産費用をもとに市場価格が算出されよう。しかし、土地は本来、再生産不能、移動不能、有限、各土地固有の条件があるから代替不能、減価償却不要、そして消滅せず永久に収益をあげられるという他の商品にはない特性をもっている。
[一杉哲也]
かくて地価は、まず土地からの収益(地代)を利子率で除して資本還元したものと考えることができる。これは土地が一種の資本(擬制資本)となり、そこから地代という利子を生むとみなすことを意味する。
しかし、1980年代までの日本の場合のように長年にわたって地価が上昇を続けると、値上りによる投機的利益が期待され、土地価格はこれを含めて決定されることになる。たとえば、
ここでp(1)は現在の地価、r*(i)はi時点に予想される地代、p*(n)はn時点に予想される土地価格、ρは割引率ないし土地と同じリスクをもつ耐久資産の予想収益率、nは経済的に有効な予想のできる年数である。右辺第1項は地代の資本還元価値、第2項は値上りによる利益にほかならない。
この資本還元説の難点は、土地という無限の耐用年数をもつ資産を割り引くべき、ρという割引率が現実には得られないこと、そして現在地価を得るのに将来地価の値上り予想が必要であるという循環論法であることである。
[一杉哲也]
不動産会社が保有している宅地面積と、それを買おうとする個人の動員可能な資金量から推定される需要面積とを比べると、前者がはるかに大きい。つまり供給が需要を上回っている。したがって不動産会社が、土地売却(資金回収)→土地購入(資金投下)の回転を、不況時に続けられなくなると、土地投げ売り、すなわち地価下落がおこるという説である。この全部需給説は、金融機関による土地を担保とした融資を軽視したこと、さらに土地の供給一般・需要一般を対比させたにすぎないことに難点がある。これらを修正したのが、次の限界需給説である。
[一杉哲也]
いま一般人の関心の焦点である宅地価格をみると、それは、勤務先の所在地である大都市中心部への交通の便ないし通勤時間の長さに反比例する傾向が強い。すなわち経済的位置の優れた都心部において高く、周辺部にいくにつれて低くなっている。この現象を説明しようとするのがこの説である。これは、地価が、新たに売り出された更地(さらち)(限界地)においてまず決定され、それが既成地の地価に波及して都心に及ぶとするものである。すなわち東京都八王子の奥で更地が供給されると、この限界地においては、土地の生産価格というものは本来ありえないのだから、結局買い手の出しうる最大限の価格が地価を決めることになる。するとそれが八王子駅により近い地域の地価の評価をあげ、八王子駅前の地価の評価をあげ、吉祥寺(きちじょうじ)駅前の評価をあげて東京都心に及んでいくとみるのである。これはD・リカードの差額地代説を地価に応用したものといえよう。この説では、買い手の出しうる最大限の価格がどう決定されるかの説明が困難であるが、それは買い手の所得、財産、可能な借入資金などによって左右されるものといえよう。
この説で興味深いのは、たとえば、政府が住宅金融公庫(2007年4月より住宅金融支援機構となった)の貸出枠を拡大すると、買い手の借入資金が大となって一時的には土地購入を刺激するが、やがてそれが地価上昇を誘発してしまうとする点である。この「いたちごっこ」は確実にみられるものであり、日本の土地政策の不妊性を暗示している。
[一杉哲也]
実際に行われている地価の評価方法には、収益還元方式と取引実勢方式とがある。前者は前述の資本還元方式で、農地について用いられている。後者は、当該土地近傍の売買取引価格を参考にして評価するものであり、農地以外について主として用いられている。その一種に路線評価(路線価)法がある。これは、土地の面している道路について標準を定め、他の土地はこれを基準にして位置・形状などを考慮して評価する方法であり、固定資産税や都市計画事業に伴う評価に用いられている。なお、日本では1969年(昭和44)に制定された地価公示制度により、標準的な価格を公的機関(現在は国土交通省土地・水資源局)が判定公示することになったが、その評価方法は取引実勢方式から収益還元方式重点へとかわって現在に至っている。
[一杉哲也]
高度成長期以降、一貫して上昇してきた日本の地価は、1970年代のオイル・ショックの低成長下で、1978年(昭和53)から1981年までの4年間に79%、1986年から1989年(平成1)までの4年間に2.13倍と2回にわたって急騰した(いずれも全国平均宅地公示価格)。前者は、経済活動の外延的拡大すなわち新しい宅地(住宅地、商業オフィス用地、工場用地)の開発(10万ヘクタール)が地価上昇を強めたが、後者は、この4年間に新開発が8万ヘクタールにとどまっていることから、地価の上昇はあきらかに東京の都心の地上げが誘発したものである。すなわち、1985年国土庁(現国土交通省)が東京ウォーターフロント周辺のオフィス需要が巨大であるとの予測を発表したのが引き金となり、円高不況対策としての金融緩和により、ノンバンク等を含めた金融機関から膨大な資金が不動産業に流れ、これが地上げに用いられて都心の地価を暴騰させた。そして都心の住宅地を売った人々が、郊外に住宅の代替地を求めるとそのためにまた地価が上がるという形で、地価上昇は都心から郊外へと波及していった。この場合、売却価額と購入価額の差額のみに課税されるという税制上の特例が有効に働いた。
[一杉哲也]
この暴騰に、土地政策ないし地価対策にまったく無能であった政府も、次のような対策を打ち出した。第一は不動産業に対する融資の総量規制である。これは日本銀行が金融機関の対不動産業融資を、前年同期と同額に抑える指導であり、地価抑制にかなり効果をあげた。しかし、いわゆるノンバンクはこの規制の対象でなかったため、金融機関→ノンバンク→不動産業へと融資が流れ、バブルの崩壊とともにその多くが不良債権化して「住専問題」を発生させた。第二は税制上の改正であり、前記の売却価額と購入価額の差額のみに課税されるという特例の廃止、値上りを期待して購入した分譲マンションなどのローン返済額中、利子は経費として落とせる制度を改正して土地部分の利子は経費としない措置などが行われた。第三は地価税の施行である。これは路線価を課税標準として、個人と資本金1億円未満の法人の保有土地は15億円以上の部分、同1億円以上の法人は10億円以上の部分に0.2%(1992年度、次年度からは0.3%)の税率をかけるものである。地価税の直接的な地価(時価)引下げ効果はきわめてわずかであったが、ムード面での効果は大きく、所期の目的は達成されたとみてよい。1997年には税率0.15%となり、1998年度税制改正により当分の間停止されることになったが、やがて廃止されるであろう。第四は地価監視区域制である。これは都市計画上の市街化区域内で土地取引が行われる場合には、その売買価格をあらかじめ地方公共団体に届け出て、その価格が高いと低下を勧告するという制度であり、土地取引を不活発にしたという批判はあるものの、地価抑制にかなりの効果をあげた。
さらに宅地供給の円滑化、増加を目ざしたものが、1992年の借地法と借家法を統合した借地借家法の施行である。そしてこうした諸施策にもまして効果があったのが、バブルの崩壊ないし複合不況であった。それは同時に不動産不況にほかならず、全国市街地価格指数は1991年9月をピークに1996年9月まで20.4%下落し、以後も下がり続けている。
[一杉哲也]
『野口悠紀雄「地価上昇のメカニズムと地価対策」(『季刊・現代経済』第36号所収・1979・日本経済新聞社)』▽『新沢嘉芽統・華山謙著『地価と土地政策』(1970・岩波書店)』
土地は耐久的な生産要素であるから,財産所有者の資産選択の対象となり,ストックとしての土地そのものが売買される。地価とはストックとしての土地の価格をいう。
個人・法人を問わず,いかなる用途にせよ土地を所有するか否かは,土地が資産である以上,資産選択の問題である。したがって,土地の価格の決定は基本的には資産一般の価格決定となんら変わるところがない。
各種の資産の価格は,各種の資産の単位期間当りの期待収益率が均衡化するように決定される。単位期間当りの期待収益率とは,単位期間内に当該資産の保有から得られるインカム・ゲイン(地代収入,配当収入,利子収入等をいう)の期待値とキャピタル・ゲイン(当該資産の市場価値の上昇)またはキャピタル・ロス(当該資産の市場価値の低下)の期待値との合計額を単位期間の初めにおける当該資産の市場価値で除した値をいう。したがって,単位期間内のインカム・ゲインの期待値と単位期間の終りの当該資産の市場価値の期待値とが与えられているという条件のもとで考えると,期待収益率の決定機構を明らかにすることと資産の価格の決定機構を明らかにすることとは同値である。
もしもすべての資産が同質的であればすべての資産の期待収益率は等しくなるであろう。しかし,各種の資産はさまざまな性質をもっている。資産の性質を分類する基準として,資産の期待収益率の決定を考えるうえで重要なものは流動性である。流動性とは一般的交換手段である貨幣に変換する容易さの尺度と定義される。それでは,土地の流動性は他の資産のそれに比較してどのように考えられるであろうか。
個々の土地は債券や株式等の金融資産に比べて個別性が大きいため,土地の流通市場は金融資産のそれに比べて十分に発達していない。そのため,土地の取引には金融資産の取引に比べて時間と費用が相当余分にかかる。また,土地の取引単価はその生産要素としての性格からして金融資産の取引単価よりもかなり大きくならざるをえない。すなわち,土地は分割可能性が金融資産に比べて著しく小さい。さらに,個々の土地の将来価格は不確実であるから,土地は将来の予期せぬ支出に備えるうえで定期預金等の確実な資産に比べて適当な資産ではない。このように考えると,土地の流動性は金融資産のそれに比べて相当に低いと判断される。
土地の流動性が金融資産よりも低ければ,各経済主体は,土地の期待収益率が,金融資産のそれよりもその流動性の相対的低さを補って十分に高くなければ,土地を所有しようとはしないであろう。このときの,土地の期待収益率と他の金融資産のそれとの差が,金融資産と比べたときの土地の流動性の低さに対する市場が提供する補償,すなわち,流動性プレミアムである。各経済主体は彼が土地を保有するうえで要求する主観的な流動性プレミアムよりも市場が提供する流動性プレミアムのほうが大きいと判断するかぎり,土地を所有しようとするであろう。かくて,土地の期待収益率(ρlで示す)は,いま問題にしている種類の土地のすべてがいずれかの経済主体によって所有されたときに,土地と比べられる特定の金融資産(たとえば定期預金)の期待収益率(ρdで示す)を各経済主体が土地所有を選択するうえで要求する流動プレミアム分(βで示す)だけ上回っているような水準に決定されるであろう。
いま単位期間中の地代収入と期末の地価の期待値を,それぞれ,R*とP*で,期首の地価をPで示すと,期待収益率は定義的に,ρl={R*+(P*-P)}/Pとなる。いま述べたように,均衡状態においては,ρl=ρd+βであるから,これら二つの式から,P=(R*+P*)/(1+ρd+β),すなわち,地価は,単位期間中の地代収入と期末の地価の期待値の合計額を,代替的な他の金融資産の期待収益率に流動性プレミアムを加えた値で割り引いた値に等しい水準に決定される。
将来の地代や地価の期待値は将来の土地の限界生産性が高まると期待されるときに上昇する。その結果,上に示した地価の決定式からわかるように,地価も上昇する。第2次大戦後の日本で,昭和40年代まで,地価が高騰しつづけてきたのは,その間に資本が急速に蓄積され,技術が進歩した結果,土地の限界生産性が上昇しつづけ,それが地代の急速な上昇期待を生み出したからである。
1969年6月に地価公示法が公布され,70年以後,国土庁の土地鑑定委員会が標準地を選び,〈自由で正常な土地取引きの場合に成立する価格〉を公示している。これが土地公示価格(一般には公示地価)と呼ばれるものである。毎年1回,1月1日現在の価格が調査され,速報は4月初めに発表される。その目的は,一般の土地の取引価格に対して指標を与えるとともに,公共事業用地を取得する場合の補償基準を提供する,という点にある。その際の評価方法には,(1)近傍類地の取引価格から算定される推定(比準価格),(2)近傍類地の地代等から算定される推定(収益価格),(3)同等の効用を有する土地の造成に要する費用額の推定(積算価格)の三つの方法がある。公示価格はこれらの三つの評価価格を勘案して決定される。他方,固定資産税や相続税課税の際には路線価評価法が適用される。これは宅地が面している各道路について一つの標準宅地に評点をつけて,他の宅地はこれを基準にして算定するというもので,その価格が路線価であるが,担税力等に配慮して定められている。国税庁が課税上の基準とする評価額なので,実際の地価水準よりもかなり低いのはもちろん,公示地価に比べても低いのが普通である。全国11の国税局と沖縄国税事務所が,それぞれ土地評価審議会の意見を聴いて決定する。
執筆者:岩田 規久男
農地価格は,原理的には,農地所有権の取得後に実現すると期待される地代を先取りしたものにほかならない。地代が,賃貸料として顕在化しているか,自作農制下で自作農の農地所有者資格に帰属すべき純収益(粗収入より生産費を差し引いた剰余)として推計把握される潜在量であるかはともあれ,農地所有権の経済的自己実現形態が地代とすれば,農地価格は地代徴収権価格と表現しうる。
戦前の農地価格(P)は,おおむね地主が徴収する小作料(R)の資本還元値(P=R/iiは利子率)といっていいものだった。
ただ,農地制度に階級的支配秩序がまといついている場合,借地耕作者がその秩序をくつがえすことにある程度成功したり,法律等によって借地耕作者が保護せられるときには,賃貸料の抑制に即応して,借地耕作者に第二所有権的物権が発生しうる。その対価が耕作権価格といわれるものだが,この場合の農地完全所有権価格は地代徴収権価格と耕作権価格の和である。日本では第2次大戦前,一部地域の小作者が集団的に権利を強化した慣行小作権地域にこの価格現象がみられ,戦後農地法制定以後の小作地にも類似の価格現象があった。耕作権価格の発生は,地代徴収権価格を圧迫した結果であり,賃貸料を抑制して地代の一部を借地耕作者が取得するに至ったからだと考えることができる。ここでも地代と農地価格の原理的関係は基本的に貫いている。
だが,最近の農地価格は,北海道,そして東北や九州の一部地域を除いて,地代より遊離して高騰するに至っている。この地代と農地価格の乖離(かいり)現象は高度成長下で農地の都市的土地利用への転換が進み,転用地価高騰の影響が広く農業地域に及ぶようになったこと,加えて農地所有がインフレ・ヘッジの有力手段の一つとなったことにある。日本の農地価格は,ドイツの10倍,イギリスの31倍,フランスの49倍,アメリカの132倍の高さにあるが(1995),零細で集約的な農業のために単位面積当り地代額が高く,それだけ農地価格が高くなる条件がもともとあったうえに,狭い国土で世界でもまれにみる高度成長を実現して,転用地価の影響が農地に激しく及んだためである。
執筆者:倉内 宗一
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土地の価格。商品経済の進展によって土地売買が広範化し,地価が成立した。それが一般化するのは江戸時代中期以降である。明治初年の地租改正では,これまでの貢租にかわって地租が課税されることになり,地価がその課税基準とされた。地価は土地収益の多寡によって決定されるが,その算出方法は検査例第1則によれば,田地1反歩の収穫高に米価を乗じて粗収益を算出,そこから種肥代(収穫の15%),地租(地価の3%),村入費(地価の1%)を控除した純収益を,一定の利子率(多くは6%程度)で資本還元するものである。この公定地価は地租賦課の基準であり,現実の土地売買価格と一致するわけではなかった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… 庭先価格より収穫費(利潤を含む)を差し引いたものが畑に植わったままの農産物価格となる。林業の場合,都市の中心市場での素材=丸太価格から,都市までの運搬費を差し引くと,丸太の産地価格が決定される。その産地価格から,伐採地点から山下までの運搬費と伐採造材費を差し引くと,立木価格が得られる。…
…他方,土地は耐久的な生産要素であるから,財産所有者の資産選択の対象となり,ストックとしての土地そのものが売買される。そのときの価格は地価と呼ばれる。 土地はその供給が固定されているという点に特徴があると考えられている。…
※「地価」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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