デジタル大辞泉
「奈良市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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奈良市
ならし
面積:二一一・九一平方キロ
奈良県の北端、奈良盆地の北辺と大和高原の北西部を占める。
地形上、西部は奈良盆地の一部とその周辺の台地・丘陵すなわち佐保川・率川・岩井川の河谷によって舌状になった台地(旧市街地)を中心に、その南に鹿野園台地・今市台地があって天理市に続く。北は佐保・佐紀の両丘陵、平城ニュータウン、登美ヶ丘の丘陵などで京都府と接し、西には西ノ京丘陵・矢田丘陵が含まれて生駒市境となり生駒山地に続き、南は低平に開けて大和郡山市に接している。東部は標高三〇〇―四〇〇メートルの高原で、西から白砂川・今川・布目川の流域に属し、ほぼ市域の東端を限る布目川付近で添上郡月ヶ瀬村・山辺郡山添村・都
村と境する。高原の北は京都府、南は高峰山(六三二・五メートル)で天理市と境する。
盆地と高原の境界、当市のほぼ中央部にあたる地帯は、東から西に急傾斜する春日断層崖と三笠火山群からなっている。東部台地・丘陵から西流・西南流する川は、北から佐保川・吉城川・率川・能登川・岩井川・地蔵院川・菩提仙川があり、佐紀丘陵からは秋篠川が南流して佐保川に流入、また市の西部を生駒市から流入した富雄川が南流する。
〔原始〕
奈良市周辺における旧石器・縄文時代の遺跡は希薄である。北郊の佐紀池周辺で縄文時代中―後期に該当する土器片が出土し、古市の台地上でも若干の縄文時代の石鏃類が採集されている。弥生時代になると河川の流域ごとに遺物の出土は増加し、富雄川流域では大和田遺跡や富雄北遺跡などがあり、いずれも狭小な谷間の遺跡で、主として後期の土器類を出土している。秋篠川流域では平城宮下層の佐紀遺跡がある。住居跡九棟、方形周溝墓一一基など畿内第五様式を主体とする大規模な低地性集落であることが判明した。西ノ京丘陵上では六条山遺跡から竪穴住居跡五基、方形の遺構二基なども発見されている。菩提仙川流域では窪之庄遺跡と広大寺遺跡があり、銅鐸の出土地点も秋篠寺の西側丘陵と山町の二ヵ所ある。
古墳時代の遺跡は平城宮下層から前―後期の溝・井戸が、佐紀池からは前期の遺物類が出土している。前期古墳は富雄川流域では富雄丸山古墳が、古市台地では古市方形墳がある。佐紀丘陵の佐紀盾列古墳群では西群が古く、狭城盾列池上陵(神功皇后陵)など古式古墳が存在する。この地区では猫塚古墳・マエ塚古墳・塩塚古墳など発掘調査の実施されたものもある。東群はウワナベ古墳・コナベ古墳などが中心で、大和五号墳・六号墳など陪冢の一群が調査され、多数の鉄製品が出土した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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奈良〔市〕
なら
奈良県北部にある中核市。県庁所在地。1898年市制。1957年までに周辺の 3町 13村を編入。2005年月ヶ瀬村と都祁村を編入した。市域は旧都奈良を中心に,西は生駒山地東斜面の丘陵,東は大和高原中部から名張川流域にかけて広がる。旧都奈良は和銅3(710)年元明天皇の平城京に始まり,長岡京遷都まで 7代 75年間都が置かれ,その後も東大寺,興福寺,春日大社の門前町として発展。江戸時代には奈良奉行が置かれ,宗教,観光都市として繁栄,1950年国際文化観光都市の指定を受けた。伝統工業として筆,墨,赤膚焼,一刀彫などがあり,奈良漬は特産。ほかに電機,プラスチック,染色,食品などの工業がある。1968年以来大型量販店の進出が目立ち,第3次産業が大幅に増加している。奈良公園を中心に東大寺をはじめ興福寺,春日大社,奈良国立博物館,西ノ京には薬師寺,唐招提寺,垂仁天皇陵など国の特別史跡,史跡,名勝に指定されている名所,および国宝を所蔵する社寺が多く,1966年古都保存法が適用された。春日山原始林は国の特別天然記念物に,知足院のナラヤエザクラ,春日大社境内のナギ樹林,春日山のルーミスシジミは国の天然記念物に指定。春日若宮おん祭の神事芸能は国の重要無形民俗文化財。1998年には東大寺,興福寺,春日大社,元興寺,薬師寺,唐招提寺の 6社寺と春日山原始林,平城宮址が「古都奈良の文化財」として世界遺産の文化遺産に登録された。市街地南部は西九条工業団地を中心に工業化が進み,西部の西大寺,富雄など近畿日本鉄道奈良線沿線では宅地化,都市化が著しい。市域の一部は大和青垣国定公園に属する。JR関西本線奈良駅では桜井線,近畿日本鉄道奈良線が分岐。国道24号線(奈良街道),169号線などが通る。面積 276.94km2。人口 35万4630(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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