古代ローマの代表的詩人。バージルともいう。5世紀以降,Virgiliusという表記もあらわれ,これが現在の英語Virgil,フランス語Virgileなどのつづりに受けつがれた。ウェルギリウスの生涯はスエトニウスやドナトゥスの伝記によってかなり詳しく知られている。それによると彼は前70年10月15日,北イタリアのマントバ近郊の小村アンデスに生まれた。父は陶工とも役人の使用人とも言われ確実なことはわからないが,低い身分であったことはまちがいない。だが,息子の教育には熱心でウェルギリウスはまずクレモナおよびミラノで初等教育の文法を学び,ギリシア・ローマの作品に多く接した。前55年にはローマに出て弁論術を学んだが,内気で訥弁(とつべん)な彼に弁論の世界はむかず,政界には進まなかった。その後ナポリに移りエピクロス派のシロのもとで哲学の勉強に専念する。少年時代から詩作をたしなんでいたことは確かで,今日《アペンディクス・ウェルギリアナAppendix Vergiliana》として伝えられている小品集のうち,哲学への傾倒をうたった《カタレプトン(小片詩集)》の第5歌および第8歌は真作であることがほぼ認められている。
長年イタリアを二分していた内乱は,彼の人生にも大きな転換をもたらした。前41年,兵士に報酬を与えるため行われた土地分配で資産を失いかけたが,ウァルスやポリオら政界の友人の協力で守り通すことができた。この事件を背景に成立したのが《詩選》全10歌の第1歌と第9歌で,いずれも土地を没収されて牧歌的世界を追われた羊飼いの悲しみを,逆に土地を保持した羊飼いの幸福と対比させて描いたものである。エピローグ的性格をもつ第10歌を除けば両歌が歌集全体の枠を形成していることになる。この事件は,当時政界の中枢にあり文人の庇護者でもあったマエケナス,それにアウグストゥス自身の知遇を得るきっかけにもなった。《詩選》は《牧歌》とも呼ばれ,シチリア島を舞台に羊飼いたちの歌くらべ,恋愛などの主題を扱った短詩集であるが,模範となったアレクサンドリアの詩人テオクリトスの《牧歌》にみられるような都会人の戯れは後退し,ローマの現実的世界が微妙な影をおとすなかで理想的な精神的世界を描きだそうとした。その意味で歌集の枠を形成する前述の第1および第9歌は形式的にも内容的にも重要である。
《詩選》の精神的世界は〈アルカディア〉と呼ばれ,ヨーロッパの詩人によってその後も精神的自由を象徴するイメージとして受けつがれた。ゲーテが《イタリア紀行》の副題に〈我またアルカディアにありき〉という文句を添えているのはその代表的な例である。《詩選》中最も有名なのは黄金時代をもたらすみどりごの誕生を主題とし,形式的にも中心的位置を占める第4歌である。のちにキリスト教徒はこれを救世主イエスの誕生を予言した詩と解釈し,ウェルギリウスを聖人の列に加えたほどであった。しかし,平和の到来や新しい国家の成立をみどりごの誕生や少年の成長にたとえる考え方はローマには以前からあり,アウグストゥスによる秩序回復への期待を背景にしていると考えるのが妥当であろう。ウェルギリウスは前42年ころから手がけていたこの詩集を前39年ころに刊行して文壇に登場し,その名声を早くも不動のものとした。
第2作の《農耕詩》全4巻は約7年の歳月をかけて前29年ころに完成した。これは叙事詩の韻律で書かれた教訓詩で,第1巻は穀物の耕作,第2巻は果樹とブドウの栽培,第3巻は牧畜,第4巻は養蜂をそれぞれ主題としている。農耕論はすでに大カトーやウァロが散文で著し,また教訓詩のジャンルではルクレティウスが《自然の本性について》で先駆的業績を挙げていた。さらに,天体の動きや気象に関してはアレクサンドリアのアラトスの《天体論》があった。だが,ウェルギリウスはこれらの文献を踏まえながらも,それを越えて農耕の苦しみと実りを,それにたずさわる人間への深い愛情とともに他の追随を許さない格調高い文章でうたいあげた。彼が最も依拠したのはヘシオドスの《農と暦(仕事と日々)》であるが,技巧的完成度の高さではウェルギリウスがはるかにまさっている。農耕の価値を説いたこの作品は,内乱で荒廃したイタリアの農地を再び整備しようとしたアウグストゥスの政策と合致するものではあったが,大地をたたえ,そしてその大地を母に再生を繰り返す草木の世界を背景にただ一回的な生を営む人間を哀惜を込めてうたっており,政治的次元をはるかに越えた大地と人類の詩である。T.S.エリオットはこの作品に〈古典のなかの古典〉と最大級の賛辞をおくっている。
だが,ウェルギリウスの作品中最も有名で広く親しまれているのは晩年の大作《アエネーイス》全12巻である。前29年から彼が死ぬ前19年までの11年間をローマ建国叙事詩といわれるこの作品の執筆に費やした。これはアエネアスがトロイア落城後,イタリアにたどりつきローマの礎を置くまでを歌った一大叙事詩で,エンニウスやナエウィウスらが築いたローマの歴史叙事詩の伝統を受けつぐ一方,ホメロスの《イーリアス》の後日譚で《オデュッセイア》の模倣という性格もある。
内乱の終焉と平和の確立を終始願ってきた詩人が,アウグストゥス帝の治世の到来を機に着手した記念碑的国民叙事詩であるが,ここでも大きな秩序が築かれていくなかで,はかない個人の存在がいつくしみ深く歌われており,作品の大きな魅力となっている。ウェルギリウスは最終的な仕上げを施すことなく,前19年9月21日病死したが,死の直前草稿の焼却を強く望んだと伝えられる。彼は中世でも過去の最大の詩人として尊ばれた。彼岸と此岸の両世界に精通した聖人ともみなされ,ダンテの《神曲》では地獄と煉獄の案内者として登場する。ダンテはその中で〈あなたは私の文学的な師であり,人生の導師でもあります。私が誇る美しい文体はあなたから学んだのです〉と述べている。
→ラテン文学
執筆者:三浦 尤三
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ローマ古典期の代表的詩人。バージルVirgilは英語名。北イタリア、マントバ近郊の農家に生まれ、ローマで修辞学を修めた。しかし内気な性格のため弁論で身をたてることをあきらめ、ネオテリキ(現代派)とよばれる詩人グループに加わって詩作にふけったが、紀元前49年ごろナポリへ行き、エピクロス学派の哲学者シロのもとで哲学を学んだ。ウェルギリウスの作品として伝えられる『カタレプトン(小品集)』の詩編はほとんどが彼の文体を模倣した偽作であるが、うち3編は彼の修業時代の習作とみなされる。10編からなる『ブコリカ(牧歌)』(『エクロガエ〈詩選〉』ともよばれる)は前41年ごろから前37年ごろにかけてつくられた。そこには三つの世界、すなわち、ギリシアの牧歌詩人テオクリトスが歌うシチリアの牧人の世界、ウェルギリウスが創造した牧人の理想郷アルカディア、内乱の混乱のなかにある現実のローマが巧みに結び合わされ独特の詩的世界がつくりだされる。第1歌では内乱に伴う土地没収という政治的事件が牧人の世界に反映する。第4歌では乱世を救う者の生誕が歌われるが、これはのちにキリストの出現を預言するものと解された。第6歌は宇宙の生成や神話を歌う特異な作風の詩である。とくに牧人の素朴な恋を歌う優雅な文体は後代の牧歌詩人の模範とされた。『ブコリカ』を刊行したころ、当時の有力な政治家で文人の保護者でもあったマエケナスに認められ、さらにオクタビアヌス(後のアウグストゥス)の知遇を得た。
前39年ごろから書き始められ前29年ごろ完成した『ゲオルギカ(農耕詩)』4巻は、ヘシオドスにさかのぼる教訓詩の伝統にのっとってつくられた詩で、マエケナスに捧(ささ)げられた。ここでは農耕、果樹栽培、牧畜、蜜蜂(みつばち)の飼育が各巻ごとにこの順序で歌われる。この歌のねらいは、農場経営について実際的な教訓を与えることではなく、農耕の起源、原因、本質、実践について深く考察し、そこに普遍的な意義をみいだすことにあった。その作風にはルクレティウスの教訓詩『事物の本性について』の影響が認められる。一方、第4歌で語られるアリスタエウス伝説やオルフェウスとエウリディケの物語には、ヘレニズム時代のギリシア詩独特の技法をうかがうことができる。この詩はそこにみられる自然界との完全な共感や完璧(かんぺき)な構成ゆえにラテン文学の最高傑作とみなす評者もいる。
叙事詩『アエネイス(アエネアスの歌)』12巻は前26年(または前29年)ごろから執筆され、前19年ウェルギリウスの死により未完のまま残された。これはローマの国民的叙事詩として構想されたが、長年の内乱を収め待望の平和を実現させたアウグストゥスをたたえる意図も読み取れる。トロイの英雄アエネアスは、祖国がギリシア軍によって滅ぼされたのちほうぼうを放浪したが、預言に導かれてイタリアに着き、その地の敵を制圧してついにローマの礎(いしずえ)を築いた。カルタゴの女王ディドの悲恋や主人公の冥界(めいかい)訪問など印象的な場面があるが、主人公はアエネアスというより、むしろ彼の人物像と行動を通じ象徴的に現れるローマの歴史である。ギリシアにさかのぼる神話と、ローマの歴史とのみごとな融合は、詩人の独創的な着想から生まれた。ホメロスをはじめとするギリシア文学の影響は顕著であるが、その独創性を損なうものではない。死後ナポリに埋葬され、中世には偉大な詩人・預言者として崇拝された。
[岡 道男]
『河津千代訳『牧歌・農耕詩』(1981・未来社)』
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前70~前19
古代ローマ最大の詩人。アウグストゥス時代に活躍し,皇帝とその側近マエケナスの庇護を受けた。範をホメロスにとった民族叙事詩『アエネイス』でローマの建国の事情とその使命をうたい,牧歌『ブコリカ』,農耕詩『ゲオルギカ』を書いた。その作品は六脚韻を完成したもので,中世からダンテをへて近代に至るまで愛読されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…古代ローマの詩人ウェルギリウス晩年の作。表題は〈アエネアスの歌〉の意で,トロイアの王子アエネアスがギリシア軍の侵攻の前に落城した祖国を父アンキセスと息子アスカニウスとともに脱出し,波乱万丈の放浪をへてイタリアにローマ帝国の礎となる新国家を建設するまでを,約1万行でうたいあげた建国叙事詩(12巻)である。…
…この事実はJ.W.A.キルヒホフの分析的研究以来今日までの100年間専門学者たちによって詳細に検討されてきているが,他方,きわめてモダンで現実的な人間オデュッセウスがおとぎ話の国で遭遇する食人鬼の恐怖,魔女たちの誘惑,とりわけ冥府訪問の段で語られる彼岸体験などは,おのおのの素材や処理の異質性もさることながら,後世の詩人や思想家たちには深い寓意性を示唆し,新しい人間体験を語る文学創造の契機となることが多かった。ローマの詩人ウェルギリウスは《アエネーイス》叙事詩の前半部分で《オデュッセイア》を範としたと伝えられるが,とりわけ第6巻の構成はホメロスを深く意識しながらローマ叙事詩の独自の精神性を明らかにしている。またルネサンスの詩人ダンテの冥界漂泊の歌《神曲》も,ウェルギリウスを介しての,一つの《オデュッセイア》解釈を留めている。…
… アレクサンドリア時代には短詩のカリマコス,牧歌のテオクリトス,叙事詩のアポロニオスらが出るが,これらの詩人の作品はすでに書かれ読まれるものとなっている。このアレクサンドリア詩の影響下に,古代ローマのいわゆるラテン詩が始まり,前1世紀にまずルクレティウス,カトゥルスが,ついで叙事詩人ウェルギリウス,抒情詩人ホラティウスが現れる。ウェルギリウスの《アエネーイス》はトロイアの落城後生き残った英雄が各地をさまよった末,イタリアにローマを建国する物語だが,題材には伝承を取り入れながらも一人の詩人の創作として構想され,書き下ろされたものである。…
…ルクレティウスの哲学詩は,ただ叙事詩的な詩的ディスクールを活用しているということだけでなく,世界や自然の原理と構造に関する想像を詩的に繰り広げてゆくその本質において,広義の叙事詩の範疇に組み入れられる。また,ローマ人の理想的な英雄の勇壮かつ高潔な行動を歌ったウェルギリウスは,ホメロスのあとを受けて,叙事詩の強力な範型を創造した名として逸することができない。 叙事詩は,中世ヨーロッパにおいても数々の注目すべき作品を産み出した。…
…生没年不詳。主著のウェルギリウス注釈書は今日のウェルギリウス研究にも欠くことができない。これには短いものと,ドナトゥスの注釈を部分的に含んでいるとみられる長いものとの2種類があり,後者は発見者P.ダニエルの名前をとって《ダニエル古注》または《増補版セルウィウス》(1600)と呼ばれる。…
…彼の著した文法書は中世で最も広く用いられた。ウェルギリウスの諸作品の注釈も書いたが,現存するのは前書き,《ウェルギリウス伝》,それに《牧歌》の序論だけである。しかし,彼の注釈はセルウィウスによって参考にされ,現在にも伝わるその膨大な注釈書に吸収されている。…
…ローマの農業論は大カトー,ウァロなどの詳記するところとなっているが,農事暦そのものを枠組みにした文学作品は伝わっていない。ウェルギリウスの《農耕詩》には暦についてはわずかな言及が含まれているにすぎず,オウィディウスの《祭暦》も神話,伝説の宝庫ではあるものの農事とはかかわりが薄い。【久保 正彰】
[近世]
ヨーロッパの農事暦は地理上の位置の南・北,農耕・牧畜地域の相違などでかなり異なるが,以下,16世紀ごろまでのイングランドを中心にその概略を記す。…
…宮廷または都市文明が爛熟し,その悪徳が目に余る状態になったとき,その反対の極にある田園の素朴さや,羊飼いたちの無垢でのどかな生き方が,美しく歌われるのである。古代ローマ第一の詩人ウェルギリウスは,大叙事詩《アエネーイス》によってローマ建国の神話化された歴史を語ったが,これは政治世界の理想化であり,これとは反対に相当数の《詩選(牧歌)》によって,政治都市ローマが決定的に失ってしまった善と美と徳を歌った。 時代が下ってルネサンス期になると,それぞれの国の宮廷や都市文明の過熟を背景に,ふたたび牧歌のジャンルが栄える。…
…有力者たちは文人保護に乗り出し,その周囲に一種の文学サークルが作られた。特に顕著だったのはアウグストゥス帝の右腕ともいうべきマエケナスのサークルで,ウェルギリウス,ホラティウス,プロペルティウス,ウァリウスVarius,プロティウス・トゥッカPlotius Tuccaなど,ラテン文学を代表する詩人たちがマエケナスの援助を受けて,職業詩人として活躍し,時代精神の形成に貢献した。メッサラのサークルにはティブルスと,リュグダムスLygdamusやスルピキアSulpiciaが属した。…
…それゆえいっそう,その混乱を終結させて元首政を樹立したアウグストゥスは秩序の再興者として称揚され,このアウグストゥス治下でローマ理念は最初の高揚期を迎えるのである。リウィウスは,ロムルスが神意によって建設した都市ローマが世界の女王となっていく過程を描き,ウェルギリウスは,最高神ユピテルがローマに領土の境も時の境もない永遠の支配を与えたと歌い,ホラティウスは,不幸からよみがえり,いっそうの高みへと昇るローマの運命をたたえた。そしてローマの支配は,平和や幸福や法を世界にもたらすものとして正当化される。…
※「ウェルギリウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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