ヘルマン
Lillian Hellman
生没年:1905-84
アメリカの劇作家。人間性あるいは人間の尊厳を貴ぶ姿勢のきわめて強い創作態度で知られ,屈折した心理や悪の描写にすぐれる。神経症的な意地の悪い女生徒がついた噓のために同性愛者とみられ,名誉と社会的地位を失う女教師たちの物語《子どもの時間The Children's Hour》(1934)によって劇壇に登場,南部の一家の物欲を描いた《小狐たちThe Little Foxes》(1939),迫りくるファシズムの危険をとらえた《ラインの監視Watch on the Rhine》(1941)など,メロドラマ風の構成と衝撃的な題材をもった作品によって地位を確立し,第2次大戦前のアメリカを代表する劇作家となった。なお上記の作品はすべて映画化もされている。戦後の作品には,人間心理を鋭く分析した《秋の園》(1951)や《屋根裏部屋の玩具》(1960)があり,ほかにボルテールの小説を原作とするミュージカル《カンディド》(1956)の台本も書いた。
私生活では,進歩的な思想をもつハードボイルド作家D.ハメットとの30年にも及ぶ恋愛関係,共同生活でよく知られている。〈赤狩り〉旋風の吹き荒れたマッカーシー時代には,ハメットに続き,1952年,非米活動委員会に喚問されたが,勇気をもって弾圧に抗し,断固,証言を拒否した。しかしこのことにより,のち長い間,さまざまな面で不自由な生活を強いられることとなった。69年より自伝三部作《未完の女An Unfinished Woman》,《ペンティメントPentimento》(1973),《ならず者の時代Scoundrel Time》(1976)を発表,いずれもベストセラーとして迎えられた。とくに《ならず者の時代》では,〈赤狩り〉時代の体験が詳しく描かれている。また《ペンティメント》の中のエピソード〈ジュリア〉は,他の自伝作品の要素も加えながらF.ジネマン監督により《ジュリアJulia》(1977)として映画化された。
執筆者:喜志 哲雄+富川 守
ヘルマン
Gottfried Jakob Hermann
生没年:1772-1848
ドイツの古典学者。イェーナ大学とライプチヒ大学で学んだ後,1803年ライプチヒ大学の修辞学教授になり,09年からは同大学詩学教授をつとめた。カント哲学の影響を受け,単に現象の記述にとどまらず現象の背後に先験的法則性を見いだそうと努め,対象を特に古典ギリシア詩の語法と韻律に限って厳密な検討を加えた。その成果は画期的な古代ギリシア語研究(1801)および16年刊ほかの韻律研究書となって公にされたばかりでなく,ギリシア悲劇,叙事詩,抒情詩(ピンダロス)などのテキスト校訂においてもみごとに発揮された。このためヘルマンは,専攻領域を細かく限定し,文書資料として残された古典語の語法の綿密な検討に終始する〈厳密〉な古典学者の模範と目されるに至り,19~20世紀を通じ多数の追従者を生み出した。
執筆者:片山 英男
ヘルマン
Wilhelm Herrmann
生没年:1846-1922
ドイツのプロテスタント神学者。マールブルク大学の組織神学教授。リッチュルの影響を受け,それにカント,シュライエルマハー,トールックからの影響を結び合わせて,リッチュル学派の中で最も独創的な神学者となった。カントの認識批判と倫理思想を助けとして,宗教の場所を人間の倫理的苦境からの救済の中に見いだした。彼によると救済をもたらすのは,〈イエスの内的生〉であって,これは〈体験〉されたキリストであり,史的イエスや聖書的キリストとは区別される。この体験と史実の区別は,弟子のブルトマンに影響を与えたほかK.バルトなど優れた神学者が彼の影響下に育てられた。
執筆者:近藤 勝彦
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ヘルマン(Johann Wilhelm Herrmann)
へるまん
Johann Wilhelm Herrmann
(1846―1922)
ドイツのプロテスタント神学者。12月6日メルコウに生まれる。1879年以後マールブルク大学教授。リッチュル学派のもっとも独創的な神学者であり、バルトやブルトマンの師である。カントに従って宗教を自然の領域から峻別(しゅんべつ)し、人間の倫理的矛盾を克服する独自の体験領域とみなす。キリスト教の史学的研究を重んじつつも、しかも史的な枠を超えて歴史的キリストが現在の人間に人格的感銘を与え、救済体験を生じさせ、世界に対する自立的態度を成立させる点を強調する。1月2日マールブルクにて没。
[森田雄三郎 2018年1月19日]
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ヘルマン
米国の女性劇作家。《子供の時間》(1934年)で寄宿学校の女生徒と女教師との葛藤を描いて注目を浴び,《小狐たち》(1939年),《ライオンの監視》(1941年)などで悪と人間の尊厳の問題を追求,第2次大戦後は米国を代表する劇作家として活躍した。《秋の園》(1951年)や《屋根裏の玩具》(1960年)などの優れた心理劇があり,マッカーシー時代(マッカーシイズム)にはハードボイルド作家で恋人のD.ハメットとともに弾圧に抗した。《未完の女》(1969年)にはじまる自伝3部作も高い評価を得ている。
→関連項目マッカーシー|ワイラー
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ヘルマン[ザルツァ]
Hermann von Salza
[生]1170頃.チューリンゲン,ザルツァ城
[没]1239.3.20. サレルノ
ドイツ騎士団の事実上の創設者。 1210年にドイツ騎士団長に選ばれ,熱心に東欧の布教活動に従事。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の信任も厚く,同帝に従って十字軍にもおもむいた。 28年以来ポーランド貴族の要請でプロシア人のキリスト教化にあたり,その褒賞としてクルム地方を与えられ,31年以後先住プロシア人征服に乗出して領土を拡大,多くのドイツ人農民を入植させて,バルト海沿岸に広大な騎士団国家を建設した。その間,皇帝の政治顧問として中央でも活躍し,デンマークとの対立を皇帝側に有利に解決した。
ヘルマン
Hellman, Lillian
[生]1905.6.20. ニューオーリンズ
[没]1984.6.30. マサチューセッツ,マーサズビンヤード
アメリカの女性劇作家。コロンビア大学などで学び,富裕な家の少女と女教師を扱った『子供の時間』 The Children's Hour (1934) で認められた。そのほかアメリカ南部の家族の物欲から生じる争いを描く『子狐たち』 The Little Foxes (1939) ,ナチズムを批判する『ライン川の番人』 Watch on the Rhine (1941) ,有閑階級の退廃を描いた『秋の園』 The Autumn Garden (1951) などの作品がある。
ヘルマン[ウィート]
Hermann, Graf von Wied
[生]1477.1.14. ウィート
[没]1552.8.15. ウィート
ケルン大司教兼選帝侯 (在位 1515~47) 。初め M.ルターの宗教改革に激しく反対したが,やがて新教に傾き,神聖ローマ皇帝カルル5世,ローマ教皇パウルス3世と対立し,1546年破門され,シュマルカルデン戦争ののち廃位された。すぐれた行政家でもあり,37~38年に彼が制定した法令は 18世紀末までのケンル大司教領の法制的基盤であった。
ヘルマン[ザルム]
Hermann von Salm
[生]?
[没]1088.9.28.
ザルム伯 (ルクセンブルク家の分家) 。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世時代の反皇帝派の頭目。ハインリヒ4世がイタリア遠征中,1081年ザクセンとシュワーベンに擁立されて対立国王となり,マインツ大司教から戴冠。しかし 85年にはデンマークに逃亡を余儀なくされ,86年皇帝とウュルツブルク近傍で戦ったが敗れ,以後ロートリンゲンの自領に引きこもった。
ヘルマン
Hermann, Eduard
[生]1869.12.19. コーブルク
[没]1950.2.16. ゲッティンゲン
ドイツの言語学者。キール,フランクフルト,ゲッティンゲンの各大学の教授を歴任。インド=ヨーロッパ語族の比較研究に従事,『音韻法則と類推』 Lautgesetz und Analogie (1931) などの著書がある。また,ホメロスの詩のすぐれた注釈の仕事でも知られる。
ヘルマン[ライヘナウ]
Hermann von der Reichenau
[生]1013.7.18. ザウルガウ
[没]1054.9.24. ライヘナウ
ドイツの年代記作者。 1020年ライヘナウのベネディクト修道院付属学校に入り,以後同地で修道士,教師として活動した。その主要な著作はキリスト生誕から 1054年までの世界年代記であるが,殉教録をも編纂している。詩作,音楽にもすぐれ,音楽理論書のほか,天文学書,数学書も残している。
ヘルマン
Hermann, (Johann) Gottfried (Jakob)
[生]1772.11.28. ライプチヒ
[没]1848.12.31. ライプチヒ
ドイツの古典学者。ライプチヒ大学教授。古典文献学における語学的方法の重要性を強調した。主著『ギリシア文法の正しい方法について』 De Emendanda Ratione Graecae Grammaticae (1801) など。
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世界大百科事典(旧版)内のヘルマンの言及
【中世科学】より
…スペインのトレドやシチリア,および北イタリアの諸都市において,ユークリッド,アルキメデス,プトレマイオス,アリストテレスの自然学,フワーリズミー,イブン・シーナー,イブン・アルハイサムなどの第一級の科学文献がラテン語に訳され,後の〈[科学革命]〉にいたる西欧科学の知的基盤をつくった。この〈12世紀ルネサンス〉の翻訳者として,クレモナのゲラルド,バースのアデラード,カリンティアのヘルマンHermann von Karinthia,チェスターのロバートRobert of Chesterらが知られているが,とくに70種以上の科学文献をアラビア語からラテン訳したゲラルドの功績は大きい。 13世紀には,このようにしてとり入れられたギリシア,アラビアの科学の遺産の上に,ようやく西欧科学の独自な活動が開始される。…
【ワルトブルクの歌合戦】より
…R.ワーグナーの楽劇《[タンホイザー]》によって一般に知られるが,伝説の原型は,[ウォルフラム]を崇拝する亜流詩人たちによって13世紀中ごろないし後半に作られたと推定される中世ドイツ語の論争詩に由来する。チューリンゲン方伯ヘルマンHermann von Thüringenをたたえる詩人たち(ウォルフラム,ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ,ラインマルReinmar von Zweter,ビテロルフBiterolf,書記)を相手に,ハインリヒ・フォン・[オフターディンゲン]がひとりオーストリア公レオポルトを称賛して敗れる前編を〈君主賛美〉,クリングゾルKlingsorのかける宗教上のなぞをウォルフラムが次々と解いて勝利を収める後編を〈なぞかけ〉,両者を合わせて〈ワルトブルクの歌合戦〉と呼ぶが,これは19世紀以降に研究の便宜上つけられた表題である。本作品のテキスト批判,解釈には未解決の問題が多く,その成立の事情は,オフターディンゲンの素姓と同様なぞに包まれている。…
【ライヘナウ修道院】より
…今に残る三つの教会堂とそのフレスコ壁画もこのころに完成したものである。また11世紀初めから導入されたゴルツェ派改革運動は精神活動を再生させ,ヘルマンHermann der Lahme(1013‐54)の《世界年代記》が著された。しかし11世紀後半以降,貴族層出身修道士の閉鎖性や所領の散逸が原因となって停滞する。…
【チューリンゲン】より
…次のルートウィヒ3世敬虔侯は,57年皇帝フリードリヒ1世のイタリア遠征に随行し,ハインリヒ獅子公との関係決裂にさいしては皇帝を助け,また第3回十字軍に参加して,90年帰途キプロスで死んだ。そのあとを弟のヘルマン1世Hermann I(1155ころ‐1217)が継ぐが,彼は文芸愛好の君主として知られ,ドイツ中世吟遊詩人の代表者であるワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ,ウォルフラム(エッシェンバハの)などが彼の宮廷のあるアイゼナハを訪れ,13世紀半ばに成立した長編抒情詩《[ワルトブルクの歌合戦]》は,中世チューリンゲン文化の全盛期をしのばせるものがある。13世紀初頭の方伯ルートウィヒ4世Ludwig IV der Heilige(1200‐27)は,ハンガリー王の娘,聖エリザベートと結婚したが,皇帝フリードリヒ2世に従って第5回十字軍に出征し,オトラントで死去した。…
【偽りの花園】より
…1941年製作。原作・脚本はリリアン・[ヘルマン]。南部の小都市を舞台に資産家一族のエゴイズムの葛藤を描く1939年のブロードウェーのヒット劇《小狐たち》の映画化である。…
【ゴールドウィン】より
…ロナルド・コールマン,デビッド・ニーブン,ダニー・ケイを育てたスターづくりの名人で,ミュージカル(映画およびレビュー)のための〈ゴールドウィン・ガールズ〉もかかえていた。映画製作における脚本の重要性を強調し,ロバート・シャーウッド,リリアン・ヘルマンといった有能な作家や脚本家の起用を心がけたことも注目される。ウィリアム・ワイラー監督と組んだ時代(1936‐48)が彼のキャリアの絶頂期とされ,《孔雀夫人》(1936),《嵐が丘》(1939),《偽りの花園》(1941),《我等の生涯の最良の年》(1946)等々の名作を生み出している。…
【ハメット】より
…なぞ解きではなく,人間存在の不条理を乾いたタッチで描くハードボイルド派の代表的作家となった。なお劇作家[L.ヘルマン]は彼の生涯の〈恋人〉であり,彼から大きな文学的影響をうけた。【島田 太郎】。…
【ワイラー】より
…パリで母の遠縁に当たるハリウッドの大立物(ユニバーサルの設立者)カール・レムリに会い,ユニバーサルの宣伝部をへて,1925年に23歳で監督となり,40本あまりの〈2巻もの〉の西部劇をつくった。 36年,サミュエル・[ゴールドウィン]と契約し,女流劇作家リリアン・ヘルマンの処女作《子供の時間》の映画化《この三人》(1936。なお,この作品は1961年にも再度映画化され,日本では《噂の二人》の題で封切られた)をはじめとして,シンクレア・ルイスのベストセラー小説の映画化《孔雀夫人》(1936),シドニー・キングズリーのヒット舞台劇の映画化《デッド・エンド》(1937),エミリー・ブロンテの小説の映画化《嵐が丘》(1939),サマセット・モームの小説(《手紙》)の映画化《月光の女》(1940),さらにリリアン・ヘルマンの舞台劇(《小狐たち》)の映画化《[偽りの花園]》(1941)等々の文芸映画や,西部劇の秀作《西部の男》(1940)など,多彩な分野で数多くの話題作をつくった。…
【バルト】より
…少年時代をベルンで過ごした後,ベルリン,チュービンゲン,マールブルク等の大学神学部で学ぶ。マールブルクでW.ヘルマンの影響を受ける。1909年からジュネーブの教会の副牧師。…
※「ヘルマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」