丸木位里(読み)マルキ イリ

20世紀日本人名事典 「丸木位里」の解説

丸木 位里
マルキ イリ

昭和・平成期の日本画家



生年
明治34(1901)年6月20日

没年
平成7(1995)年10月19日

出生地
広島県安佐郡安佐町(現・広島市安佐北区)

主な受賞名〔年〕
国際平和文化賞〔昭和27年〕「原爆の図」,日本国際美術展優秀賞(第6回)〔昭和36年〕「臥龍梅」,反ファッシズムトリエンナーレ国際具象展大賞(第3回)〔昭和54年〕,小学館絵画賞(第32回)〔昭和58年〕「みなまた海のこえ」,バチェルダー賞〔昭和58年〕「ひろしまのピカ」,講談社出版文化賞(絵本賞)〔昭和60年〕「おきなわ島のこえ」,マサチューセッツ芸術大学名誉博士号〔昭和63年〕,朝日賞(平7年度)〔平成8年〕

経歴
大正8年大阪の精華美術学院で日本画を学び、12年に上京して田中頼璋師事画壇では独自の日本画の前衛自負。昭和14年シュールリアリスム集団・美術文化協会創立と同時に加入。16年洋画家の赤松俊子と結婚。20年8月広島の原爆で4人の親族を失い、以来、反戦の祈りを込めて夫妻で「原爆の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」などを描き続けた。「原爆の図」は世界24ケ国で巡回展示され、27年国際平和文化賞を受けた。41年埼玉県東松山市に移り住み、42年自宅隣に“原爆の図丸木美術館”を開設。57年「原爆の図第15部・長崎」を完成させた。平成元年福島第二原発事故以降、電力料金の24%(原発分)不払いを続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丸木位里」の意味・わかりやすい解説

丸木位里
まるきいり

[生]1901.6.20. 広島
[没]1995.10.19. 埼玉,東松山
日本画家。妻俊と共同制作した『原爆の図』で世界的に知られる。田中頼璋や川端龍子らに日本画を学び,水墨画に抽象的表現を取り込んだ独自の画風を確立。1936~38年青龍社展に出品した。美術文化協会,前衛美術会に参加。1941年に結婚。1945年8月6日広島県広島市原子爆弾が投下され(→原子爆弾投下),両親の安否を気遣い被爆直後の当地に赴いた。そこで見た凄惨な光景に衝撃を受け,妻俊と共同で『原爆の図』連作を制作し始めた。俊は 1912年2月11日北海道に生まれ,女子美術専門学校で洋画を学び,二科展に出品していた。位里が全体の雰囲気や構図を,俊が人物をおもに手がけた。1950年日本美術会の日本アンデパンダン展(→アンデパンダン展)に同作品の第1部「幽霊」を発表,1982年に連作最後の第15部「長崎」が完成。1953年から『原爆の図』世界巡回展を開始し,各国で大きな反響を呼んだ。また,1979年に反ファシズムトリエンナーレ国際具象展グランプリを受賞した『三国同盟から三里塚まで』をはじめ,『アウシュビッツの図』『水俣の図』『沖縄の図』など戦争や公害に取材した作品を次々に発表した。1953年世界平和文化賞受賞。1967年埼玉県東松山市に丸木美術館を開館。1995年,俊とともにノーベル平和賞の候補に推薦された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丸木位里」の意味・わかりやすい解説

丸木位里
まるきいり
(1901―1995)

日本画家。広島市に生まれる。初め日本南画院展、1936年(昭和11)から38年までは青龍社(せいりゅうしゃ)展に出品する。翌39年美術文化協会結成に参加し、47年(昭和22)までその会員として活躍。また、46年には日本美術会創立に加わる。47年、美術文化協会を脱退して前衛美術会をおこすが、49年には同会を退き、以後無所属となる。この間、妻の丸木俊(とし)(旧姓赤松、1912―2000)と『原爆の図』第一部「幽霊」の共同制作を続け、50年の第3回日本美術会アンデパンダン展に出品して大きな反響をよんだ。以後、『原爆の図』は「火」「水」と描き続けられ、53年にはこれに対して国際平和文化賞が与えられた。これらを公開するため、66年には埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館を開設。70年にアメリカ各地で巡回展が催され、84年までに15部が完成した。晩年は水墨による自由で力強い風景画の制作にも取り組んでいた。

[二階堂充]

『田近憲三解説『臥竜丸木位里墨画集』(1970・造形社)』『丸木美術館編『新版 原爆の図』(1988・小峰書店)』『草薙奈津子解説『現代の水墨画10 名作選Ⅱ 丸木位里他』(1984・講談社)』

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百科事典マイペディア 「丸木位里」の意味・わかりやすい解説

丸木位里【まるきいり】

日本画家。広島県生れ。独学し,青竜社,美術文化協会,前衛美術会などに参加。1953年《原爆の図》で国際平和文化賞。これは,1949年から30年近くにわたって妻の俊(旧姓赤松。1912年−2000年)と共同制作した15部作で,人間の怨念のうずまく地獄図が描かれている。日本アンデパンダン展に発表され,日本,世界各地を巡回して大きな反響を呼んだ。1967年埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館を開設。
→関連項目戦争画丸木俊

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸木位里」の解説

丸木位里 まるき-いり

1901-1995 昭和-平成時代の日本画家。
明治34年6月20日生まれ。母は丸木スマ。田中頼璋(らいしょう)にまなぶ。昭和14年美術文化協会の創立に参加。原爆投下直後の広島で救援活動に従事,その体験から妻の俊(とし)とともに「原爆の図」を連作。27年国際平和文化賞。42年埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館を設立した。平成7年10月19日死去。94歳。広島県出身。

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367日誕生日大事典 「丸木位里」の解説

丸木 位里 (まるき いり)

生年月日:1901年6月20日
昭和時代;平成時代の日本画家
1995年没

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