江戸中期の儒者。通称五郎左衛門、号はない。備後(びんご)国(広島県)福山に生まれる。22歳のとき京都に上り、山崎闇斎(やまざきあんさい)に従学、三宅尚斎(みやけしょうさい)、浅見絅斎(あさみけいさい)とともに崎門(きもん)の三傑(さんけつ)と称された。のち師闇斎の敬内義外説や垂加神道(すいかしんとう)説に反対して、朱子学の立場を守り破門された。初め福山侯(水野氏)に仕え、1694年(元禄7)厩橋(うまやばし)(現、前橋)侯(酒井氏)の師となり、20余年同藩の学政に参画、晩年は彦根侯(井伊氏)に仕える。その人となりは高邁逸宕(こうまいいっとう)、眼彩は人を射、また口才があり、雄弁懸河、譬喩(ひゆ)湧(わ)くがごとくであったという。享保(きょうほう)4年8月15日没。年70歳。
刊行された著述は『日本儒林叢書(そうしょ)』に『辨仁斎送浮屠道香序(べんじんさいふとどうこうにおくるのじょ)』1巻、『敬義内外考論』1巻があり、著作集に『韞蔵(うんぞう)録』16冊、『韞蔵録拾遺』30冊、『続韞蔵録拾遺』6冊があり、これらはいずれも日本古典学会編『佐藤直方全集』(1931)に収録されている。
[平 重道 2016年5月19日]
『平重道著『崎門学における敬義内外の論争』(『近世日本思想史研究』所収・1969・吉川弘文館)』
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… このように二つの立場がある以上,赤穂浪士に対する見方が分かれるのは自然である。この一方の立場から徹底的な批判を加えたのが佐藤直方であり,赤穂浪士は幕府を相手とすべきであるのに,誤って吉良を討ったとの観点から批判したのが太宰春台であった。そしてこの両者の批判をめぐって賛否の議論が,宝永から天保まで130年にもわたって続けられた。…
※「佐藤直方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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