出雲の阿国(読み)イズモノオクニ

デジタル大辞泉 「出雲の阿国」の意味・読み・例文・類語

いずものおくに【出雲の阿国】[書名]

有吉佐和子長編小説。昭和42年(1967)より「婦人公論」誌にて連載。昭和43年(1968)、第6回婦人公論読者賞受賞。昭和44年(1969)から昭和47年(1972)にかけて単行本全3巻を刊行。昭和45年(1970)、第20回芸術選奨受賞。平成18年(2006)テレビドラマ化。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出雲の阿国」の意味・わかりやすい解説

出雲の阿国
いずものおくに

没年未詳。一般に歌舞伎(かぶき)の創始者とされている女性芸能者。伝説によると出雲国(島根県)松江鍛冶(かじ)職中村三右衛門の娘で、出雲大社巫女(みこ)だったという。江戸時代の初め京に上り、大社修繕のための勧進(かんじん)と称して芸能を演じた。初めは北野天満宮境内や五条河原に小屋がけして、「ややこ踊」や「念仏踊」といった単純な踊りだったが、1603年(慶長8)春のころ、男装して歌舞伎者に扮(ふん)し、茶屋の女のもとへ通うさまをみせる「茶屋あそびの踊」を創案し、異常なまでの人気を集めた。これが「歌舞伎踊」である。歌舞伎踊の創始については、夫となった狂言師三十郎(鼓打ちの三十郎とも、あるいは歌舞伎者の名古屋山三(なごやさんざ)とも伝える)の指導と協力があったというが確かではない。阿国の芸団は佐渡へ行ったともいい、江戸に下って千代田城内の能舞台で芸を演じたともされる。没年は、1613年(慶長18)に67歳で没したとも、故郷に帰って智月尼(ちげつに)と称し、87歳の高齢で没したともいい、また1607年(慶長12)小田原で没したとするなど、諸説があり、いずれも信じがたい。

 1600年(慶長5)7月に、出雲国出身と名のる「クニ」が宮中に参入し、ややこ踊を演じたとの記録(時慶卿記(ときよしきょうき))がある。また、北野社関係の文書に、「くにと申(もうす)かぶき女」が登場する。これらが出雲の阿国に関して信頼できるごく限られた史料である。出身については多くの説があるが、いずれも決定的とはいえず、奈良近郊の散所(さんじょ)出身の「歩き巫女」とする想像が現在の通説となっている。阿国歌舞伎の成功をみるや、ただちに模倣する者が輩出し、彼女らも「国」を名のったことから複数の阿国が現れる。後世に、阿国の2代目、3代目がいたとする説が出たのは、俗資料の間の年代的な矛盾を解決しようとしたためであろう。

[服部幸雄]

『吉川清著『出雲の阿国』(1953・田中書房)』『服部幸雄著『歌舞伎成立の研究』(1968・風間書房)』『小笠原恭子著『出雲のおくに』(中公新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出雲の阿国」の意味・わかりやすい解説

出雲の阿国
いずものおくに

歌舞伎の創始者とされる女性。松江の鍛冶職中村三右衛門の娘で,出雲大社の巫女であったというが,各種の伝説があって不明確。中世末期の歩き巫女と考える説もある。女性中心の舞踊団 (→阿国歌舞伎 ) を組織して全国を巡演し,慶長8 (1603) 年には京都で「かぶき踊」を興行して,広く庶民,武士,貴族の間に人気を得,結城秀康もこれを城中に招いたという。この「かぶき踊」は,男装して茶屋通いの様子などを見せたり,レビュー式の踊りを見せたりするもので,これに追従して多くの遊女歌舞伎,女歌舞伎が生まれた。晩年は故郷で出家,智月尼と称して 87歳で没したといわれるが,慶長 12年没,慶長 18年没説があり,また2代目,3代目があったという説もある。

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デジタル大辞泉プラス 「出雲の阿国」の解説

出雲の阿国

①有吉佐和子の小説。上中下巻からなる。1969年刊行。第2回日本文学大賞受賞。
②日本のテレビドラマ。①を原作とする。放映はNHK(2006年1月~2月)。歴史時代劇。全6回。脚本:森脇京子。音楽:牟岐礼。出演:菊川怜、堺雅人、鈴木一真、津田寛治ほか。

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