北条秀司(読み)ホウジョウヒデジ

デジタル大辞泉 「北条秀司」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐ひでじ〔ホウデウ‐〕【北条秀司】

[1902~1996]劇作家大阪の生まれ。本名、飯野秀二。岡本綺堂師事新派新国劇歌舞伎などの商業演劇脚本を数多く執筆。作「閣下」「王将」「霧の音」「建礼門院」など。昭和62年(1987)文化功労者

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北条秀司」の意味・わかりやすい解説

北条秀司
ほうじょうひでじ
(1902―1996)

劇作家。本名飯野秀二。大阪生まれ。関西大学文科卒業。天王寺商業在学中に宝塚歌劇脚本募集で1席入選。大学卒業後上京して箱根登山鉄道に勤務、その一方で岡本綺堂(きどう)に師事。1937年(昭和12)『表彰式前夜』『華やかな夜景』で劇界にデビュー。39年綺堂の死を契機に劇作に専念、40年戯曲集『閣下(かっか)』で新潮社文芸賞を受賞。47年(昭和22)から51年にかけて、将棋の世界に一生を賭(か)けた阪田三吉の生涯を描いた『王将』3部作を発表、その後も『文楽(ぶんらく)』(1948)、『霧の音』(1951)、『井伊大老』(1953)、『建礼門院』(1969)など、歌舞伎(かぶき)、新派、新国劇に秀作を書き、商業演劇作家の第一人者となった。64年から日本演劇協会会長。87年文化功労者。

水落 潔]

『『北条秀司戯曲選集』1~8巻・補巻4巻(1962~65・青蛙房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北条秀司」の意味・わかりやすい解説

北条秀司
ほうじょうひでし

[生]1902.11.7. 大阪
[没]1996.5.19. 鎌倉
劇作家,演出家。本名飯野秀二。 1927年関西大学専門部文科卒業。箱根登山鉄道に入社。 33年より岡本綺堂に師事,雑誌『舞台』に寄稿した『表彰式前後』 (1936) が翌年新国劇で上演され,作家としてスタート。 37年従軍作家として中国に渡る。 40年『閣下』で新潮社文芸賞を受賞 (井上正夫演劇道場上演) 。庶民を対象に「平凡のことを書いて人の心を動かす」 (大仏次郎) といわれ,『だんじり囃子』 (43) ,『文楽』 (48) ,『王将』 (3部作,47~50) ,『霧の音』 (51) その他のヒット作を生み出した。『北条秀司戯曲集』 (8巻,61~63) ,『北条秀司劇作史』 (74) ほかの著がある。 64年日本演劇協会会長に就任し,93年までつとめた。 1987年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条秀司」の解説

北条秀司 ほうじょう-ひでじ

1902-1996 昭和-平成時代の劇作家。
明治35年11月7日生まれ。箱根登山鉄道につとめながら岡本綺堂に師事。昭和12年「表彰式前後」が新国劇で上演される。16年「閣下」で新潮社文芸賞を受賞。戦後は「王将」3部作,「霧の音」のほか歌舞伎,新派などの戯曲をかく。日本演劇協会会長。文化功労者。平成8年5月19日死去。93歳。大阪出身。関西大卒。本名は飯野秀二。

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世界大百科事典(旧版)内の北条秀司の言及

【新派】より

…一方,井上正夫は〈新派〉でもない新劇でもない〈中間演劇〉を標榜して井上演劇道場を36年4月におこし,岡田嘉子,市川紅梅(のち市川翠扇)らの俳優を擁しつつ,水谷とも共演,また一方では新劇の村山知義や杉本良吉らを演出に迎えた。井上道場では久板(ひさいた)栄二郎《断層》《北東の風》,三好十郎《彦六大いに笑ふ》《地熱》,北条秀司(ひでじ)《華やかなる夜景》《閣下》,八木隆一郎《熊の唄》《海の星》など意欲に燃えた問題劇を上演した。 敗戦後には,井上は演劇道場を解散して一時は村山の第2次新協劇団に参加,また柳と伊志井は新生新派を離れて〈新作座〉を結成していたが,49年1月には大同団結なって〈劇団新派〉という単一劇団の組織化に成功した。…

※「北条秀司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」