厳島(読み)いつくしま

精選版 日本国語大辞典 「厳島」の意味・読み・例文・類語

いつくしま【厳島】

[一] 広島県広島湾の西南部にある島。佐伯郡宮島町をなす。日本三景の一つ。厳島神社がある。宮島。
[三] 謡曲。脇能物。廃曲。作者未詳。諸国一見の僧が厳島に参詣すると天女が現われ、法華経の功徳を説く。

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デジタル大辞泉 「厳島」の意味・読み・例文・類語

いつくしま【厳島】

広島県南西部、廿日市はつかいち市の島。広島湾にある。日本三景の一。厳島神社がある。伊都岐いつき島。宮島。

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日本歴史地名大系 「厳島」の解説

厳島
いつくしま

広島湾の西南にあり、対岸と大野おおのノ瀬戸で隔たり、周囲約三〇キロ。最高峰は弥山みせんで、その北麓の、御手洗みたらい川が海に注ぐ付近に厳島神社が鎮座。神社の周辺西と東を中心に門前町が発達した。

地名はまず「日本後紀」弘仁二年(八一一)七月一七日条に「伊都岐島神」と神名としてみえ、島の名であると同時に神の名であったことが知られる。一方、厳島は宮島ともよばれるが、これは時代が下り、年代のはっきりしているものでは「高倉院厳島御幸記」の治承四年(一一八〇)三月二五日に「宮島ちかくなりにけりと、きよき心をおこす」とみえるのが早い。ほかに「伊津岐島」(長寛勘文)、「伊調島」(今昔物語集)、「伊津久島」(山槐記)などとも記される。

〔古代・中世〕

平清盛の厳島信仰にまず注目される。清盛は久安二年(一一四六)から途中一時期を除いて保元元年(一一五六)までの間安芸守に在任したが、その間に現地の在庁官人や社寺と関係が生じ、とりわけ安芸国一宮の実質を備えつつあった厳島と結ばれる端緒があったと思われる。永暦元年(一一六〇)八月、清盛は自ら厳島に参詣、この時すでに清盛にとって厳島神に対する帰敬は熱烈なものがあった。その後、治承四年一〇月までに文献で明らかなものだけで一〇回の厳島参詣をしており、異常なまでの信仰を寄せている。

中世の厳島で注目されるのは、神主職がそれまで一手に掌握していた地方豪族の佐伯氏を離れて鎌倉御家人の手に移ったことと、社家の厳島常住が始まったことである。根強い勢力をもつ佐伯氏一族のなかに承久の乱に際して京都方に味方したものがあったので、幕府は神主職を佐伯氏より没収して周防前司藤原親実に与えた。その後、天文一〇年(一五四一)までおよそ一六代三〇〇年余りの間、親実の子孫が世襲した。神主家は南北朝から室町初期にかけて、安芸国の屈指の勢力をもち、領地拡大を図ったが、結局大内氏の勢力圏に含まれて被官関係を結び、近隣の武田氏をはじめとする国人勢力に対抗した。しかし自ら在地に強力な領主権をうちたてることはできず、大内氏・武田氏の両勢力の間に介在し、さらに尼子・毛利・吉川・村上諸氏らの盛衰に応じて対応を強いられた。永正五年(一五〇八)一二月、神主興親は、大内義興に従って京都滞在中病没し、その正統が絶えた後、神主職を競望する神領衆の小方加賀守と友田上野介興藤の勢力が数年間対峙したが、大永三年(一五二三)興藤が武田氏の援助を得て神主職を得た。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「厳島」の意味・わかりやすい解説

厳島
いつくしま

広島県南西部、広島湾西部にある島。厳島神社の所在地で宮島(みやじま)ともいう。廿日市(はつかいち)市に属す。面積30.39平方キロメートル。幅600メートルの大野瀬戸を隔てて本土と対する。地質は斑(はん)状黒雲母花崗(くろうんもかこう)岩で、全山原生林で覆われる。最高所は弥山(みせん)(529.8メートル)で、頂上からの展望はすばらしい。また付近一帯は「瀰山(みせん)原始林」として国の天然記念物に指定されている。弥山の北麓(ろく)に厳島神社が鎮座し、門前町を形成する。古来、「安芸の宮島(あきのみやじま)」として日本三景の一つに数えられる風光の地で、瀬戸内海国立公園の一部でもあり、特別史跡・特別名勝にも指定されている。厳島神社の建造物群と前面の海、背後の森林とは、1996年(平成8)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。

 島全体が神霊の地とされ、神社に仕える者以外の居住が始まったのは戦国時代からである。しかし神聖な島に対する掟(おきて)は厳しく、島内で五穀をつくること、機(はた)織りなどは禁じられ、出産、葬式にもいろいろな規制があった。江戸時代にも特別地域として扱われた。島内に広島大学附属宮島自然植物実験所、歴史民俗資料館水族館などがある。また、北東の海岸沿いに包ヶ浦(つつみがうら)自然公園がある。本土側の廿日市市宮島口から宮島桟橋まで連絡船で結ばれ、広島港にも高速船が通じる。特産品として杓子(しゃくし)や、ろくろ細工が知られる。人口2193(2000)。

[北川建次]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「厳島」の意味・わかりやすい解説

厳島
いつくしま

広島県南西部,広島湾にある島。宮島ともいう。廿日市市に属する。日本三景の一つ。島はほぼ北東から南西方向に長く,周囲約 30km,本土とは大野瀬戸を隔てて約 600mで,連絡船で結ばれる。島の最高峰は標高 535mの弥山で,信仰の場であるとともに,瀬戸内海の眺望の場でもある。満潮時,海上に影を落とす朱塗の大鳥居や海に浮かび上がる華麗な社殿で知られる厳島神社は島の北岸にあり,本社社殿など 6棟が国宝に指定されているほか,『平家納経』など多くの国宝を所蔵する。1996年世界遺産の文化遺産に登録された。島の全域が神域として保護されたため,亜熱帯性の植物やマツ,モミ,カヤの原生林が残り,秋の紅葉が名高い。弥山原始林は国指定天然記念物。弥山登山のロープウェー,水族館などの観光施設もある。島全体が国の特別史跡,特別名勝に指定されている。南部の海岸部には山間からの湧出水と海水が混ざる潮汐湿地が形成され,国の絶滅危惧種ミヤジマトンボの国内唯一の生息地となっており,2012年ラムサール条約に登録された。面積 30.39km2。人口 2193(2000)。

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国指定史跡ガイド 「厳島」の解説

いつくしま【厳島】


広島県廿日市市宮島町にある島。宮島は広島湾の最西端に位置し、広島市中心部から約20kmの南西海上にあり、厳島ともいう。長方形の島は1周約30kmで、最高峰の弥山(みせん)をはじめ、駒ヶ林(こまがばやし)、岩船山が連なり、また山塊では花崗岩が大きく露出して荒々しい景観を生み出している。厳島とは、「神をいつきまつる島」という意味からきているともいわれ、島全体が信仰の対象となっていたと考えられる。厳島神社は593年(推古天皇1)、佐伯部(さえきべ)の有力者であった佐伯鞍職(くらもと)が現在の場所に創建し、806年(大同1)には唐から帰朝した僧空海(弘法大師)が宮島に立ち寄り、弥山を開山したと伝えられる。平安時代には平清盛の庇護のもと、現在の社殿の規模や配置の基本が形づくられ、その後歴代施政者の庇護を受けて今日に伝えられてきた。弥山などの深い緑に覆われた自然を背景に、海中に建つ大鳥居や朱塗りの社殿群は荘厳をきわめ、江戸時代には日本三景の一つとされた。また、1555年(弘治1)には陶晴賢(すえはるかた)と毛利元就(もうりもとなり)が覇権を争った厳島合戦の古戦場跡などもある。島の全域が1923年(大正12)に国の史跡および名勝に指定され、1952年(昭和27)に国の特別史跡および名勝に指定された。1996年(平成8)には原爆ドームとともに世界遺産に登録された。JR山陽本線宮島口駅から宮島連絡船で約10分。

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改訂新版 世界大百科事典 「厳島」の意味・わかりやすい解説

厳島 (いつくしま)

広島湾の南西部にある島で,1島1町の宮島町であったが,2005年11月合併により廿日市市の一部となった。
廿日市[市]

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百科事典マイペディア 「厳島」の意味・わかりやすい解説

厳島【いつくしま】

宮島(みやじま)

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事典・日本の観光資源 「厳島」の解説

厳島

(広島県廿日市市)
日本十二景」指定の観光名所。

厳島

(広島県廿日市市)
日本三景」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の厳島の言及

【日本三景】より

…宮城県の松島,京都府の天橋立(あまのはしだて),広島県の厳島(いつくしま)を日本三景と称している。松島や天橋立はすでに平安時代中期までに,京都の貴族たちには広く知られた名勝地で,歌や名所絵のよき題材とされていた。…

※「厳島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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