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滋賀県長浜市の旧湖北町の小谷山に築かれた典型的な中世の山城。浅井氏3代の居城。小谷山は伊吹山の一支尾根で琵琶湖の北に位置し,西および南は湖北平野が開け,また北陸方面への交通を掌握できる要衝の地でもあった。築城は亮政のときで,1516年(永正13)との説もあるが確証はなく,京極氏を小谷城に迎えた25年(大永5)の前年ごろと推定されている。小谷城は,山頂部にあたる大嶽(おおずく)とその一支脈に置かれた本丸,中の丸,京極丸などの本城域とからなっていた。大嶽は大嶽城とも称され,織田信長との対戦期に朝倉勢が浅井氏の救援のため拠ったところで,臨時に築城されたものらしい。城下の清水谷,須賀谷には,重臣団の屋敷,当主の居館があった。70年(元亀1)姉川の戦で敗れ,小谷城へ敗走した長政は,ここで織田軍と対峙したが,ついに73年(天正1)8月,猛攻をうけ落城した。このあと羽柴秀吉が入城したが,彼は翌年,今浜(長浜)に築城して本拠としたため,小谷は廃城となった。
執筆者:細溝 典彦
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戦国期の城。滋賀県長浜(ながはま)市湖北町伊部(こほくちょういべ)にあり、北近江(おうみ)の戦国大名浅井氏3代の居城で、小谷山城ともよばれる。標高299メートルの小谷山に築かれ、本丸、中丸、京極丸、山王丸などの本城部分と、小谷山背後の標高495メートルの大嶽(おおずく)の部分からなっていた。城は近江守護京極(きょうごく)氏の被官である浅井亮政(すけまさ)によって初めて築かれた。創築の年次については1516年(永正13)とする説もあるが、1524年(大永4)と考えられる。以来、久政(ひさまさ)、長政(ながまさ)と居城した。長政は織田信長の妹お市(いち)の方と結婚し、信長と結んだが、のち手を切り、ついに1573年(天正1)信長の大軍に攻められ落城した。その後一時羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が入ったが、長浜に移城して廃城となった。
[小和田哲男]
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