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家族法学者。穂積陳重の長子。東京大学教授定年退官後,東宮大夫をへて最高裁判所判事。近代的な家族観に基づく家族法学の基礎を築き,その立場から旧民法旧規定の〈家〉制度を批判した。1919年に設置された臨時法制審議会の幹事として,保守派の家族法理論に対決し,親族編・相続編の改正要綱を近代的な方向に向けようとしたことは有名。末弘厳太郎と協力して,1921年には東京帝国大学法学部に判例研究会を,24年には関東大震災の救援活動を契機として東京帝国大学セツルメントを組織し,学問研究のあり方に新生面を開いた。最高裁判所判事としては,50年の尊属殺重罰規定を合憲とする最高裁判所判決に対し,これを違憲とする画期的な少数意見を主張した。主著として,《離婚制度の研究》(1924),《親族法》(1933),《離縁状と縁切寺》(1942)などがある。中川善之助と共編の《家族制度全集》全10巻(1937-38)は,戦前の家族研究の集大成として重要。
執筆者:利谷 信義
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民法学者。東京生まれ。陳重(のぶしげ)の子。1908年(明治41)東京帝国大学法科大学卒業。同年同大学講師、10年同助教授。12年(大正1)民法および法理学研究のためドイツ、フランスおよびイギリスに留学。16年帰国、同年教授となり、民法講座および法理学講座を担当。数多くの著書・論文があるが、とくに民法の身分法の領域に多くの業績を残し、後の身分法学に多くの影響を与えた。43年(昭和18)定年退職後、44年貴族院議員となり、49年(昭和24)には最高裁判所判事となる。著書は『民法読本』(1927)、『親族法』(1930)、『離縁状と縁切寺』(1942)、『相続法』(1946~47)、『新民法読本』(1948)など多数。
[淡路剛久]
『中川善之助補訂『やさしい法学通論』(1963・有斐閣)』▽『『新訳論語』(講談社学術文庫)』
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