もともとは色名で,壊色(えしき),濁色(じよくしよく)などと訳される。インドの仏教僧団で,不用になったり,捨てられた長短の布片を縫い合わせて,僧尼の着用すべきものとして制定された3種類の衣(三衣(さんえ))を袈裟と称した。すなわち僧伽梨(そうぎやり),鬱多羅僧(うつたらそう)と安陀会(あんだえ)の三つである。僧伽梨は大衣,重衣ともいわれ正装衣に,鬱多羅僧は上衣として礼仏や説法の聴聞に着用し,安陀会は内衣と称して日常の作業や肌着用に用いられた。仏教の北方流布とともに,規定の三衣のみでは身体の保温がたもてないために,下着を着用することになり,これは後に法衣(ほうえ)となった。インドの僧団生活で必需品であったこれらの三衣は,中国,日本では法衣の上に着用し,僧尼の身分を象徴するものとして,装飾化され,法会・儀式や集会などに着用されるに至った。元来ぼろ布を利用するなど,質素なものであったのが,のちには華美に流れていった。黄土色をした三衣は風土気候の相違と,僧尼の官僚国家体制への従属化によって,中国,日本では,律部の経典の規定をふまえながら,華美なものが創作された。大衣といわれる僧伽梨からは九条から二十五条袈裟が,鬱多羅から七条袈裟が,安陀会からは五条袈裟が生まれ,さらに小五条,輪袈裟,畳五条(折五条),絡子,鈴懸(すずかけ)といった変形的な袈裟が生まれた。普通には鬱多羅僧を七条,僧伽梨を九条袈裟と称しているが,平(ひら)袈裟,衲(のう)袈裟,紫甲(しこう)袈裟,遠山(とおやま)袈裟などの種別があり,僧階によりその着用が規制されている。例えば唐代では紫衣(しえ)と称し,紫色の袈裟と法衣は天子下賜のものとして重視された。735年(天平7)に帰国した僧玄昉は,入唐留学中に玄宗皇帝より三品に准ずるとして紫袈裟を賜ったが,帰国後に聖武天皇からも,紫袈裟をおくられ,僧正に任ぜられた。近世においては,後水尾天皇の紫衣勅許につき朝幕が衝突した紫衣事件は有名な史実でもある。
→衣帯(えたい)
執筆者:堀池 春峰
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僧の着用する衣。サンスクリット語のカシャーヤkāāya(赤褐色の意味)の音訳。もとは色名で、衣の名称ではなかったが、比丘(びく)の衣が不正色(ふせいじき)(濁色)であったところから衣の名となった。『十誦律(じゅうじゅりつ)』巻27によると、インド、マガダ国のビンビサーラ王が仏を礼拝(らいはい)しようとしたところ外道(げどう)(異教者)であった。そのため、王は仏および仏弟子と外道を区別できる衣服を願い、仏には袈裟(けさ)を着ることを制定した。形は、田の畦畔(けいはん)が整然としているのを見て、長い布と短い布をつなぎ合わせてつくることを指示した。袈裟の条相が田の畦(あぜ)をかたどっており、田に種を播(ま)けば秋に収穫があるように、仏を供養(くよう)すればかならず諸々(もろもろ)の福報を受けるという意味から、袈裟は福田衣(ふくでんえ)ともいわれる。ほかに、掃きだめなどから拾った布を使用することから弊衣(へいえ)、糞掃衣(ふんぞうえ)、小さく切った布片を何枚も縫い合わせたことから割截衣(かっせつえ)、衲衣(のうえ)ともいう。衣財は、綿、麻、絹、樹皮、毛などなんでもよく、色は青、黒、木蘭(もくらん)の濁った壊色(えじき)にする。大きさは、各人の身長に応じてつくられ、縦三肘(ちゅう)、横五肘の幅の局量法(こくりょうほう)と、衣財を直接体に当てて全体の長さを測る度量法がある。種類は、縫い合わせた布片の数により、五条(安陀会(あんだえ))、七条(鬱多羅僧衣(うったらそうえ))、九条~二十五条(僧伽梨衣(そうぎゃりえ))の3種があり、それらはいずれも奇数条である。奇数は陽の数として発展化育のもととなり、仏の教えは、永遠に割り切ることができないものであるからである。しかし、仏教が中国に伝播(でんぱ)するにつれて、生活資具の衣から仏教の標幟(ひょうし)となり、華麗な装飾的なものへと変遷していった。
[川口高風]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本で,茶道その他の諸芸の奥義を意味するのは,その転化である。インド仏教の戒律で,僧伽梨衣(普段着),鬱多羅僧(上衣),安陀衣(下着)という3種の袈裟(けさ)と,一つの鉢多羅,すなわち鉢盂(はつう)を所持することを認めたのが原義で,中国の禅宗では,五祖の法をつぐ神秀(じんしゆう)と慧能(えのう)がその衣鉢を争ったとされる。【柳田 聖山】。…
…衣帯は宗・派により名称,形状,用途が異なることが多いので,ここでは共通する事項についてのみ述べる。衣帯の基本は法衣(ほうえ)(いわゆる衣(ころも))と袈裟(けさ)で,それに被(かぶ)り物,履き物,持ち物等の付属品が加わる。衣帯を着けるには,下着として通常,白小袖(しろこそで)を着用し,その上に袴(はかま)の類をはき,法衣を着け,袈裟を掛けるが,袴類を用いない衣帯もある。…
…僧伽梨(そうぎやり))のことで,これらはいずれも形や大きさ,色,縫製法,着用法などが定められていた。三衣を総称して〈袈裟(けさ)〉ともいうが,これはその色にちなんだ名称である。初期の出家者は質素な生活を旨としていたので,実際に私物として所有を許されたのはこの三衣一鉢と座具(ざぐ),漉水囊(ろくすいのう)の〈六物(ろくもつ)〉だけであった。…
… 仏具は元来仏教教団の生活用具であったが,仏教が発展するにつれて儀式化し,工芸の粋を集めた多彩な優品が製作されるようになる。僧具のうち袈裟(けさ)はインドでは僧侶の生活着であったが,中国や日本では衣の上に,右肩から左腋下にかけて覆う儀式化したものとなる。横に布を継ぎ合わせた長方形の五条,七条,九条袈裟などがつくられ,奈良時代のものが正倉院や法隆寺献納宝物に遺存する。…
…九条袈裟を山岳修行用に簡略化した修験道独自の袈裟。胸前左右に二つ梵天(房)の付いた二条,背の中央にも二つ梵天の一条を垂らし,その末端を威儀線の紐で固定するのが天台系の本山派の結袈裟で,梵天の色は,元来白か黒であったのが,現在は修験者の位階に応じて種々の色を用いる。…
※「袈裟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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