郷土意識(読み)きょうどいしき

改訂新版 世界大百科事典 「郷土意識」の意味・わかりやすい解説

郷土意識 (きょうどいしき)

郷土に対する自意識として形成される観念。郷土はある個人の生まれ育った土地であるとともに,生活様式や思考形成など自己の人格形成がなされる場でもある。郷土の自然環境や社会環境はその土地独自のものであり,その個人にとっては非代替的価値をもち,自己のアイデンティティを確立するうえでの重要な一要因となる。したがって,緊密な生活環境をもつ地域社会ほど郷土意識は均一であり,堅固である。しかし,この郷土意識は流動性の乏しい村落社会においておのずと形成されるものではない。それは異郷を意識することによってはじめて自覚されるものであり,多くの場合に都市との関連において問題とされるゆえんもここにある。異郷にあって自己の郷土をおもう契機となったのが一般的に都市であったからである。近世初期に都市が発達し,交通路が整備されるに及んで,人口の流動性は高まり,郷土を自覚する人々をはじめて数多く生んだ。都市に流入する人々のほとんどは農村の出身者であり,農民の次・三男であった。彼らは都市で商家職人の徒弟奉公をしながら生活を送り,農村に戻ることのできない状況にあって,みずからの郷土を強く意識し,あこがれた。郷土は〈お里〉とか〈お国〉ということばで言い表された。その意識は屋号に出身地の国名や地名を冠した例が多いことにも通じ,〈故郷に錦を飾る〉という意識にも相通ずるものがある。しかし,一方で都市にも独自の郷土意識が生じてくる。いわゆる〈江戸っ子気質である。江戸っ子はみずからを文化の中心にある者として,地方から来る新参者を〈田舎者〉としてさげすみがちであった。異郷にあっての同郷人との出会いは,容易に強い親近感をもたせ,共通の郷土意識を純化し,理想化する傾向を生みがちである。と同時に,他郷の者に対しては競争的心理をともない,優劣意識を形成することが多く,排他的である。優越感に支えられた郷土意識は愛郷心となり,劣等感によるそれは異郷への憧憬となり,棄郷して都市へ流出する場合が多い。また,外国にいる者にとっては国全体が郷土と意識される。

 第2次大戦後の日本でみられるように,経済活動の合理化が徹底され高度経済成長にともなって進行した急激な都市化は,人口移動を活発化し,多数の若者が郷土を離れて都市文化を享受することを可能にした。一方,郷土では自然の破壊によって〈美しき山河〉がしだいに失われ,農村への都市化の浸透が生活様式などの諸慣行を崩壊させ,過疎地域では慣行を支えていた集落そのものの存続さえ危ぶまれるようになった。その結果,郷土意識が改めて注目されるようになってきた。たとえば,政府の国土政策でも1960年代の〈新産業都市構想〉に代わって,70年代末から郷土の特性保存をねらいとする〈定住圏構想〉が進められ,〈地方の時代〉というスローガンが掲げられ,地方の独自性や地方文化尊重の声も強くなっている。しかし,社会の合理化,都市化に対する反動として,ただ単に郷土が美化されすぎている感も強い。
郷土論
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郷土意識」の意味・わかりやすい解説

郷土意識
きょうどいしき

郷土(故郷、家郷)は人々が生まれ育った土地であるが、その土地で自分の人格や個性が形成されたという自覚に基づく感情を郷土意識という。日本人はとくに郷土意識が強いといわれることがあるが、その源泉は農耕生活にあると思われる。郷土の村落は、耕地、山、川、海の自然的環境や伝統的で一体的な文化を共有し、家を単位とした生活を共有する、永続的な共同体であった。それはきわめて強固な社会であっただけに、よくも悪くも人々がその分身であり同類であるような意識を生む基盤になったのである。近代以降はとくに、都市化が進み、出郷者が多くなって、異郷の地での郷土意識は高められた。また、郷土にとどまっていても、外部との接触が多くなってきて、やはり郷土意識つまり愛郷心も強められた。この傾向はけっして消失していないが、都市化が全国に拡大し、村落共同体も解体し、「家郷喪失の時代」に入った現在、郷土意識はやはり大きく変質してきているといえそうである。

[高橋勇悦]

『高橋勇悦著『家郷喪失の時代』(1975・有斐閣)』

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