一般には、戦争や災害などで故郷を離れざるを得なくなった人を指す。難民条約は、人種や宗教、政治的意見などを理由に、母国で迫害される恐れのある人を難民(条約難民)と定義、日本を含む条約加盟国に保護を義務付けている。紛争避難民らは、条約難民に該当しないこともあるため、補完的保護の対象にしている国が多い。
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一般に,政治的圧迫,戦災,自然災害などで生活の根拠を失い,故国や定住地を逃れ出た者をいう。難民は多くの場合,本国の保護を受けることができず,あるいは,それを望まないために,外国に生活の根拠を求めるので,亡命者に類似している。難民と亡命者を同じ意味で使用することもあるが,通常,政治的信条が比較的稀薄な人々を難民,政治的理由で庇護を求める人々を亡命者と呼ぶことが多い。難民が政治的問題として扱われるようになったのはおもに第1次世界大戦以後のことである。それは,それまで一時的・断続的・小規模な現象としてあった難民の問題が,日常的・連続的・大規模化したことによる。とりわけ政治的変動期を迎えたヨーロッパでは,多民族国家からなる帝国の崩壊や革命勢力の反革命勢力との過激な闘争,ナショナリズムの高揚などによって,各地に大規模な難民が続出した。バルカン半島をめぐる政治的混乱,ロシア革命,トルコ革命(1923),ナチスの進出(1933以降)は多くの難民を生みだした。これに対し,1921年以来国際連盟は難民問題の解決を図るための努力をしてきた。この事業は国際連合に引き継がれ,51年国連難民高等弁務官事務所UNHCRが設置され,7月には難民の保護が具体的に守られるようになった(難民の地位に関する条約)。UNHCR設置の背景には,第2次大戦中のヨーロッパの難民が4050万人にも及んだという事実が大きく働いている。当初,UNHCRの活動は,非政治的・人道的・社会的なものに限定されていたが,56年にハンガリーからオーストリアへ,57年に中国大陸から香港へ大量の難民が流入した事件を契機に,本国での事変に起因する大量難民については,その要件を問わずに物質的援助を与えるとした。その後,アルジェリア難民(1962),バングラデシュ難民(1971),チリ難民(1973)の保護活動を続けてきた。75年4月南ベトナムの解放後,ベトナム南部から漁船やボートで南シナ海へ流出する難民があとを絶たず,彼らは〈ボート・ピープル〉と呼ばれて,人道上国際問題となった。これは近隣諸国がその政治・経済・治安上の負担を恐れて,ベトナム難民の受入れを拒否したことにもよる。
その後も,世界各地で地域紛争や民族紛争が展開するなかで,難民の数は増大していく。1983年6月現在の世界の難民数は約1000万人(アフリカ260万人,アジア500万人,北アメリカ135万人,ラテン・アメリカ33万人,オセアニア33万人,ヨーロッパ60万人,地域的には,アフガン難民280万人,イラン160万人,ソマリア70万人などが多い。UNHCR統計)といわれ,冷戦構造の崩壊前に約1500万人にまで増大していたが,その崩壊後には,政治混乱,内乱,紛争,国家・連邦の解体が急増するに伴って,難民の数はさらに著しく増大した。UNHCRによると,96年1月現在,難民・国内避難民は約2610万人という。別の推定(朝海和夫)では,難民約3000万人,避難民約3000万人と,実に世界の100人に1人が難民か国内避難民であるとさえ言っている。
日本は政治的理由から長い間,亡命や難民を認めず,難民救済策もとっていなかった。難民の基本的な法的保護をうたった1951年の〈難民の地位に関する条約〉を,ベトナム難民の受入れを契機として81年に批准し,出入国管理令を改正して〈出入国管理及び難民認定法〉を制定したにすぎない。他国に比べて著しく遅れをとっているが,《外交青書》によると,日本に到着した〈ボート・ピープル〉(日本での出生子を含む)は93年末現在で1万4290人を数え,日本はこれに対し1万人の定住枠を設けて受け入れている(1993年末現在9246人)。
→亡命
執筆者:星野 昭吉
主として,第2次世界大戦を契機としてヨーロッパに発生した難民保護のために,1951年7月にジュネーブで開かれた〈難民および無国籍者の地位に関する国連全権会議〉で採択された,前文および6章46ヵ条から成る条約で,54年4月22日発効。96年3月現在の加盟国は126ヵ国。
この条約は,まず,難民を〈人種,宗教,国籍,特定の社会的集団に属すること,または政治的意見のゆえに,迫害を受けるという十分根拠のある恐怖のために,国籍国の外にあって,かつ,国籍国の保護を受けることができないか,または……保護を受けることを望まない者〉と定義する(1条A項)。締約国は,こうした難民を積極的に受け入れる義務は負わないが,不法入国した旨を遅滞なく当局に申し出た難民に刑罰を課すことはできず,また,迫害のおそれのある地域へ難民を追放または強制送還することは許されない(ノン・ルフールマンnon-refoulementの原則)。そして,難民には,初等教育,社会保障,物資配給などについては在留国の国民と同等の待遇が,労働組合の結成などについては最も優遇されている外国人と同等の待遇が,財産の取得,営業の自由などについては一般の外国人より不利でない待遇が与えられる。このように,難民に対してかなり手厚い保護を定めている条約であるが,その反面,適用を受けることのできるのは,〈1951年1月1日以前に発生した事件の結果〉として生じた難民に限られていた。しかし,その後も各地で多くの難民が生じつつある実情にかんがみ,1967年の〈難民の地位に関する議定書〉によって,この条約はすべての難民に拡大適用されることとなった。
日本も,インドシナ難民の流入という事態に対処するため,前記のように従来の〈出入国管理令〉を〈出入国管理及び難民認定法〉と改めるなど国内法を整えたうえで,本条約および上記議定書にあいついで加入した1982年1月1日発効)。
執筆者:波多野 里望
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難民とは、広義には、なんらかの理由で居場所を追われた人々をさす。戦禍から逃れるために移動せざるをえない者が取り上げられることが多いが、自然災害や飢饉(ききん)、経済的苦境のため居住地外に逃れる者も含まれる。そのうち、後述する難民条約による保護を受ける者のことを条約難民とよぶ。
「難民」に伴う語感やイメージから、生活圏内では日常生活に必要な買い物ができない「買い物難民」や、生活圏内では病院へのアクセスがむずかしい「医療難民」など、個人が不安定・困難な状況におかれていることをさして「難民」ということばが用いられることがあるが、この項目で取り上げる「難民refugee」は、このような意味の「難民」とは区別される。
[坂東雄介 2022年11月17日]
広義の「難民」の古い事例として、イギリスのスチュアート朝の迫害を受けて「新大陸」に移住したピューリタン(清教徒)や、フランス革命の際に革命政府への忠誠を拒否し、外国に逃れた者の例などがある。
現在の難民保護制度は、ロシア革命により生じた難民を救済するために、1921年に国際連盟がノルウェーの北極探検家ナンセンを難民高等弁務官に任命したことに端を発する。ナンセンは「ナンセン・パスポート」とよばれる旅行・身分証明書を発行し、難民が他国で生活することを可能にした。
第一次世界大戦、第二次世界大戦時に難民が流出する事態が生じるたびに個別に対応するための新たな機関が設置されたが1939年に統合され、国際連盟統一難民高等弁務官がおかれた。第二次世界大戦後、国際連合(国連)のもとに、1948年、国際難民機関(IRO)が設立、1951年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に改組され現在に至る。UNHCRは実際に生じた広義の難民を保護する活動のほか、難民が生み出される事態を予防する活動も行っている。
[坂東雄介 2022年11月17日]
1948年に採択された「世界人権宣言」14条では、迫害からの庇護(ひご)を他国に求め、享受する権利を定め、1967年「庇護権に関する宣言」ではこれを再確認した。1951年に「難民の地位に関する条約」が採択されたが(1954年発効)、同条約は1951年1月1日以前の事件によって生じた難民を保護対象としており、おもにヨーロッパ諸国で生じた難民の保護を念頭においていた。しかし、条約採択後に生じた事件により難民となった者を保護するために、1967年に保護対象の時間的・地理的制限を撤廃する「難民の地位に関する議定書」が採択され発効した。
難民条約・議定書は、迫害のおそれのある国へ送還することの禁止(ノン・ルフールマンの原則、33条)、不法に入国したことを理由とする処罰の禁止(31条)、労働・社会保障(17~24条)など、難民と認定された者に対する処遇や権利を規定している。
[坂東雄介 2022年11月17日]
第二次世界大戦中のリトアニアでナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人に対して日本通過ビザを発給し、約6000人もの逃亡を実現させた杉原千畝(ちうね)もいるが、日本国内で難民問題に関心が高まったのは、1975年(昭和50)のベトナム戦争終結後に成立したインドシナ三国の新政権から逃れるために、ベトナム、ラオス、カンボジアからボートピープルとして流出したインドシナ難民が日本に到着したことを契機とする。1981年に日本は難民条約・議定書に加入し、それに伴い、従来の「出入国管理令」を「出入国管理及び難民認定法」に改正し、難民受入れ体制を整備した。
[坂東雄介 2022年11月17日]
広義の「難民」に該当するが、難民条約・議定書によっては保護されない者もいる。たとえば、難民条約・議定書では国籍国の外にいる者を対象としているため、難民と同様の状況にあるが自国内にとどまる「国内避難民」は保護対象とはならない。また、特定個人に対する国籍国による積極的な迫害行為を要件としているため、武力紛争や治安に対する不安から逃れた者も保護対象にはならない。近年では自然災害や飢饉、経済的苦境のため居住地外に逃れる者も問題となっている。
これらの広義の「難民」ではあるが、難民条約・議定書の保護対象とはならない者を保護する仕組みとして、難民条約・議定書以外の国際人権規範(自由権規約など)が定めるノン・ルフールマンの原則に基づいて国際的保護の必要性が高いと判断された者を保護する「補完的保護制度」や、難民キャンプなどで一時的な庇護を受けた難民を、最初の庇護国から新たに受入れに合意した第三国へ移動させる「第三国定住制度」などが存在する。しかし、一般論として、これらの制度は、在留や就労資格などの点において保護内容が難民条約・議定書よりも十分ではないことが多く、制度の構築・整備が国際社会の課題となっている。
[坂東雄介 2022年11月17日]
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…1970年代においては,中東産油国への大量の石油産業関係労務者の移動が行われたが,最近における石油事情悪化のため,失業,帰国といった苦境に追いこまれている。さらに,メキシコからアメリカに流入する非合法移民あるいはまた難民といった特殊な〈移民〉の問題がある。とくに,国際難民とよばれる特殊な国際移民は,1981年の初めに1400万人に達したと推計され,深刻な国際問題となっている。…
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