冷水峠(読み)ヒヤミズトウゲ

デジタル大辞泉 「冷水峠」の意味・読み・例文・類語

ひやみず‐とうげ〔ひやみづたうげ〕【冷水峠】

福岡県中西部、飯塚市筑紫野ちくしの市の境にある峠。標高283メートル。筑豊筑後を結ぶ交通要衝で、江戸時代には長崎街道難所として知られた。現在は国道200号が旧峠より約400メートル南を通る。旧道沿いには石畳や郡界石が残っている。

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日本歴史地名大系 「冷水峠」の解説

冷水峠
ひやみずとうげ

筑紫野市山家やまえ筑穂ちくほ内野うちのとの間にある峠。標高二八一メートル。江戸時代には長崎街道の峠で御笠みかさ山家宿と穂波ほなみ内野宿との間に位置していた。峠名の由来は、内野村から山家村へ越える峰から東方二町ほどの山間に冷水の出る所があったことによる(続風土記)。近世初頭まで峠越えの道はなく、慶長七年(一六〇二)から山家村を給知とした桐山丹波の家臣で同村に住んでいた志方彦太夫が、内野へ行く道を少しずつ広げ、しだいに開削されて冷水越(冷水道)が完成したと古老が伝えていたという(二日市宿庄屋覚書)。開削の時期はおそらく慶長一六年の山家宿開設とほぼ同じ頃とされ、内野宿側の開削は内野太郎左衛門と毛利(母里)但馬によって行われた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「冷水峠」の意味・わかりやすい解説

冷水峠
ひやみずとうげ

福岡県中部,飯塚市筑紫野市の境,三郡山地南部にある峠。標高 282m。遠賀川水系と筑後川水系の分水嶺をなす。江戸時代には筑前六宿を結び長崎・鹿児島方面と小倉をつなぐ重要な街道 (筑前六宿街道。長崎街道の一部とすることが多い) がここを通り,北に山家,南に内野宿場町発達。 1961年国道 200号線が整備され,その後冷水有料道路が開通した。 JR筑豊本線が冷水トンネルで抜けている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「冷水峠」の意味・わかりやすい解説

冷水峠
ひやみずとうげ

福岡県飯塚市(いいづかし)と筑紫野市(ちくしのし)の境にある峠で、標高283メートル。江戸時代には長崎街道の難所として知られた所で、北側には内野(うちの)、南側には山家(やまえ)の両宿場町が発達、筑前六宿(ちくぜんむしゅく)に数えられた。現在は国道200号が旧峠より400メートルほど南を通過、旧峠付近には石畳の跡や郡界石が残っている。峠の下を筑豊本線がトンネルで抜け、筑豊と筑後を結ぶ交通上の要衝である。

[石黒正紀]

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事典・日本の観光資源 「冷水峠」の解説

冷水峠

(福岡県飯塚市~筑紫野市)
福岡県文化百選 道編」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の冷水峠の言及

【三郡山地】より

…最高峰は山地のほぼ中央部,粕屋(かすや),筑紫(ちくし),嘉穂(かほ)の3郡の境に位置する三郡山(936m)で,ここから北に向かってしだいに高度を下げ,犬鳴(いぬなき)峠,三坂峠(170m)などに分断されている。三郡山南東の冷水(ひやみず)峠(283m)から南東部は古処(こしよ)山地と呼ばれることもある。筑紫(つくし)山地の一部をなし,標高500~600mおよび約300mに浸食平たん面がみられる。…

※「冷水峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」