浅川(読み)あさかわ

精選版 日本国語大辞典 「浅川」の意味・読み・例文・類語

あさかわ あさかは【浅川】

東京都八王子市にある地名。旧浅川町。高尾山有喜寺の門前町として発達甲州街道沿い近く多摩御陵武蔵野陵がある。

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日本歴史地名大系 「浅川」の解説

浅川
あさがわ

金砂郷村最北端の西金砂にしかなさ(三六二メートル余)の麓に源を発し、村の西寄りの地域を直線的に南流し、途中中沢なかざわ川・赤土あかつち川・照山沢てるやまざわ川・千寿せんず川などを合せ、中野なかので久慈川に注ぐ。全長は二一・九三キロ。

「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一一月四日条に、源頼朝軍が金砂城を攻略した記述がみえ、「彼城郭者、構高山頂也、御方軍兵者、進於麓渓谷、故両方在所、已如天地」と記されるが、これは浅川の上流部かと思われる。建武三年(一三三六)の伊賀盛光軍忠状(飯野八幡社文書)には「右八月廿日常陸国寄瓜連城処仁、御敵小田宮内少輔并広橋修理亮以下凶徒、同国馳向花房山大方河原之間、致合戦忠節候畢」とみえる。

浅川
あさかわ

長野市北部の飯縄原の大座法師いいづなはらのだいざほうし池に発し、北郷きたごう富田とみたの境を東流する釣沢つりさわと、同じく飯縄原の北郷に属するおお池に発し、屈曲して南流する流れが、伺去真光寺しやりしんこうじで合流する。それから浅川の扇状地を形成しつつ東南に流れ、吉田よしだの東で東北に向かい、富竹とみたけ金箱かねばこの北を経て、赤沼あかぬまの北で千曲川に注ぐ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅川」の意味・わかりやすい解説

浅川
あさかわ

東京都西部を流れる多摩川の支流名、および八王子市(はちおうじし)西部の一地区名。旧浅川町。浅川は高尾(たかお)山から流れる南浅川と、あきる野市、八王子市境の山地から流れる北浅川が八王子市の中心市街地の西方で合流して浅川となり、日野市で多摩川に入る。また、南浅川の上流部にある浅川地区は、甲州街道沿いの重要拠点で、1889年(明治22)村制施行にあたり浅川の名を村名とした。1927年(昭和2)町制施行したが、1959年(昭和34)八王子市に編入。なお1901年(明治34)に甲武(こうぶ)鉄道(現、JR中央本線)の浅川駅が開設され、1961年には高尾駅と改名された。1967年には京王電鉄の延長線が開通。現在、高尾山を中心とする明治の森高尾国定公園や、多摩御陵(大正天皇の御陵)・武蔵野御陵(昭和天皇)などがあって、都民の憩いの地として発展している。

沢田 清]

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改訂新版 世界大百科事典 「浅川」の意味・わかりやすい解説

浅川[町] (あさかわ)

福島県南東部,石川郡の町。人口6888(2010)。郡山地方広域市町村圏の最南端に位置し,郡山市とはJR水郡線で結ばれる。阿武隈山系の西麓にあたるため丘陵が多く,平地は阿武隈川上流,社(やしろ)川流域にわずかに広がるのみである。鎌倉初期から石川氏の一族浅川氏が青葉城に拠って支配し,以後1590年(天正18)まで浅川氏の支配が続く。江戸時代は会津領,白河藩領を経て,1742年(寛保2)以降越後高田藩領となり,浅川に高田藩の陣屋が置かれた。1809年(文化6)に天領となり,20年(文政3)以後は幕府の浅川代官所の支配下に入る。主要産業は農業で,稲作を中心に葉タバコの栽培,畜産が行われる。中小の工場も進出し,製造業従事者の数が増えている。毎年8月の盆に社川河畔で打ち上げられる花火は,1798年(寛政10)の浅川騒動の犠牲者の霊を悼んだものといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅川」の意味・わかりやすい解説

浅川
あさかわ

東京都西部,八王子市南西部の旧町域。1927年町制。1959年八王子市に編入。南浅川段丘上に位置し,甲州街道沿いの旧宿駅として発達。国指定史跡の小仏関跡や武蔵陵墓地がある。明治の森高尾国定公園の入口。東部に工業団地がある。1961年国鉄浅川駅は高尾駅に改名。独立行政法人森林総合研究所多摩森林科学園がある。

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事典・日本の観光資源 「浅川」の解説

浅川

(山梨県笛吹市)
ふるさとの水辺百選」指定の観光名所。

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