藩窯(読み)ハンヨウ

デジタル大辞泉 「藩窯」の意味・読み・例文・類語

はん‐よう〔‐エウ〕【藩窯】

江戸時代諸藩で経営したかま製品幕府諸侯への献上ともされ、精品が多い。鍋島藩鍋島焼黒田藩高取焼など。

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精選版 日本国語大辞典 「藩窯」の意味・読み・例文・類語

はん‐よう ‥エウ【藩窯】

〘名〙 江戸時代、諸国の藩で経営していた焼物の窯(かま)殖産的な窯と趣味的な窯とに分かれる。前者は古九谷焼後者鍋島焼が代表

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改訂新版 世界大百科事典 「藩窯」の意味・わかりやすい解説

藩窯 (はんよう)

江戸時代,諸藩が経営した窯をいう。内容は多岐にわたり,鍋島藩窯(鍋島焼)をのぞいて,厳密に定義できないのが実状である。広義には,陶工・窯業を保護育成し,藩が援助したもの,藩主什器などを焼かせた御用窯,藩の什器や贈答用品を専門に焼かせ,一般市場への出荷を禁じた御留焼(おとめやき),城内や江戸邸内に窯を築かせ,藩主みずからも手捏ね(てづくね)で茶器など焼いた御庭焼なども含めていう。

 室町時代末期から茶道隆盛を迎え,安土桃山時代には古田織部のように茶陶を指導する大名が現れたり,戦功の行賞に名品茶器をもってあてることなどが行われた。こうした背景のもとで,秀吉による文禄・慶長の役では出陣した多くの諸侯が朝鮮人陶工を連れ帰り,そのため一名〈やきもの戦争〉とも呼ばれた。日本に定住した陶工たちは西日本各地に窯を築き,日本の陶磁器生産は飛躍的な発展をとげるが,それらの多くは西国諸侯の保護をうけ,藩窯が生まれる基礎ともなった。なかでも有田の大窯業地を領内にもった肥前鍋島藩は,唯一の官窯的組織を整えた最大規模の藩窯を築き,製品はすべて藩から将軍,公家,諸侯への献上品,贈答品として用いた。また陶工や窯場を厳重な管理下におき,製品と技術の流出を防いでいる。

 藩窯はやがて日本各地に波及するが,藩窯として出発しながら民窯へ転化したもの,民窯が保護をうけ藩の殖産興業策のもとで藩窯化したものなど,時期によっても変化がある。このなかでも著名なものに,薩摩島津藩の竪野窯(薩摩焼),豊前細川藩・小笠原藩の上野(あがの)焼,熊本細川藩の八代(やつしろ)焼,筑前黒田藩の高取焼,高知山内藩の尾戸焼,岡山池田藩の閑谷焼,福山水野藩の姫谷焼,彦根井伊藩の湖東焼,津藤堂藩の伊賀焼,大聖寺前田藩の九谷焼,金沢前田藩の大樋焼,会津保科藩の会津本郷焼,磐城相馬藩の相馬駒焼などがあげられる。また尾張徳川藩の御深井(おふけ)焼,紀伊徳川藩の偕楽園焼・清寧軒焼などは御庭焼としても知られる。
民窯
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藩窯」の意味・わかりやすい解説

藩窯
はんよう

江戸時代の幕藩体制下、藩が経営した陶窯の総称。藩窯は大きく次の3種に分類される。〔1〕藩主の御庭焼(おにわやき)的性格の窯(かま)。〔2〕採算を度外視して、大名や将軍への贈答・献上物や藩用の焼物を焼く窯。〔3〕殖産を目的として藩のきもいりで開窯されたもの、などである。〔3〕の場合、実際上は資本形態の民間との兼ね合いに問題があるが、藩窯の概念規定はむずかしく、ほとんど文献史料もないので、厳密な規定は特殊な場合を除いて困難である。藩が直接経営しないまでもかかわりをもつ陶窯は江戸前期に始まり、時代が下るとともに増大していった。高松焼、尾戸(おど)焼、鍋島(なべしま)焼は江戸前期の代表的藩窯。萩(はぎ)焼、高取(たかとり)焼、薩摩(さつま)焼などの藩窯的性格は厳密には不詳である。

[矢部良明]

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