ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーガイル」の意味・わかりやすい解説
アーガイル(伯・公家)
アーガイル[はく・こうけ]
Argyll, Earls and Dukes of
アーガイル(侯)
アーガイル[こう]
Argyll, Archibald Campbell, 8th Earl and 1st Marquess of
[没]1661.5.27. エディンバラ
スコットランドの貴族。 1638年父の死により8代アーガイル伯となる。長老派盟約者たちの指導者としてイングランド王チャールズ1世と W.ロードの国教強制に反対し,39年からの主教戦争には軍を率いてイングランドに侵入。 41年講和後,侯爵に昇格。清教徒革命にもスコットランド軍を率いて議会軍援助におもむき,46年国王の投降後はスコットランドの政権を握った。しかし国王処刑を機に O.クロムウェルらに批判的になり,皇太子チャールズ (のちのチャールズ2世 ) 支持に転向して,50年彼を亡命先から迎え,イングランドと開戦したが敗れ,52年降伏。以後共和国政府と妥協し,59年国会議員に選ばれた。そのため王政復古後,反逆罪をもって裁かれ,処刑された。
アーガイル(伯)
アーガイル[はく]
Argyll, Archibald Campbell, 9th Earl of
[没]1685.6.30. エディンバラ
スコットランドの貴族。初代アーガイル侯の長男。 1648年から大陸に遊び,50年帰国して皇太子チャールズ (→チャールズ2世 ) の近衛隊長になり,イングランドと戦ったがダンバーの戦いで敗れた。その後もスコットランドで国王派として活躍し,王政復古とともにチャールズ2世の宮廷に登用され,63年伯爵,64年スコットランド枢密顧問官。 81年主教制度護持のためのスコットランド審査法に反対して裁判にかけられ,死刑を宣告されたがオランダに逃亡,この地でモンマス (公)と接触,彼の反乱計画に加担。 85年5月スコットランドに戻り,モンマス公に呼応して挙兵したが失敗し,逮捕,処刑された。
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